脅迫

 瞬間、誠は立ち上がり駆け出した。

 匂いを辿れば、その先に公衆便所があった。悲鳴が聞こえてきた方向と合致する。


 ――なぜ? どうして? どうしてこんな場所に乳仮面所持者がいる?


 誠は公衆便所の入口までたどり着き、中を覗く。だが、そこに人影などない。


「裏か!」


 そのまま公衆便所の裏まで周り込み、そこには


「にょほおおおおおおおおっ!」


 女の子がブリッジの体勢で母乳を噴出させていた。

 胸を大きく突き出し、破かれた服から覗く乳房から、白濁色の液体を撒き散らかしていた。

 そしてその女の子の傍らに、頭まですっぽりとフードを被った人物。女の子の顔になにを押し込んでいた。


「まっ、まさかっ! アレが!」


 額から顎先まで覆う仮面。が、眼球が野球ボールサイズほどに膨れ上がって、まるで女性に乳房のような形をしている仮面。


「乳仮面! おっ、おっぱいの形をしているっ!」


 と、誠のその声に、乳仮面を女の子に押し込んでいた人物が顔を上げた。だが、目元まですっぽりと覆うフードによって、その顔を窺い知ることはできない。


「お、お前が乳仮面所持者か! その女の子から離れろ!」


 すると、そのフードを被った人物はジィ……っと誠を見つめるような挙動を見せたあと。


『モウ……スグ……ダ。オマエハ……オモイシル。オマエノ、ツミヲ』

「ヘリュウムガスで声を加工しているっ! なんて頭の悪い変装方法!」


 誠の言葉に示し合わせるかのように、フードを被った人物は懐からガス勘を取り出し、射出口を口に押し当てた。


『ダカラ……コレイジョウ、シラベルナ。……オマエノ、タイセツニンゲンモ、コウナルゾ』

「なにを訳のわからないことを! 早くその女の子を開放するんだ!」

『ナラ……ソウシテヤル!』


 突如、フードを被った人物が駆け出した。


「待て! 待つんだ!」


 誠も駆け出し、襲われた女の子の脇を通り過ぎようとした、その瞬間。


「ああああああッ! このセクハラ野郎!」


 ガッ! 誠の右脚にその女の子が抱き着いた。


「なにをするんだ! 僕はアイツを追いかけないといけない――はっ!」


 誠は顔を強張らせる。

 ――赤い眼っ、吸乳鬼!!


「このセクハラ野郎! おっぱいを吸うなんておかしいんだよおおおおおおお!」


 女の子が誠に飛びかかり押し倒す。そしてまたたくまに誠の服を裂くと、ガブリ! 女の子が乳房に食らいついた。


「あへぇ! 君だって吸ってるじゃないか! 畜生! ラ、ラミアさん! ヤツを、乳仮面所持者を追いかけて!」

「わかっている!」


 すでにラミアは、襲われている誠の脇をすり抜け、走り去ってゆくフードの男を追っていた。誠は駆けて行ったラミアを確認する暇もなく、身体に渦巻く快感によって気を遠くなっていくのを感じた。


「ち、ちくしょう! 呼吸を整えるんだ! 伝導の呼吸を ひっひっふー! うおおおおおお!」


 ブオオオオオオオン! 誠の身体が小刻みに揺れ出し、次第に大きくなってゆく。


「弾き飛べ! 反発伝導共鳴リプリング・バイブス・トランスミッション!」

 バチイイイイ! 吸乳鬼の女の子の身体が吹っ飛び、公衆便所の壁面に激突した。

 誠は素早く起き上がり、吸乳鬼の女の子と距離を取る。


「聞いてくれ! 僕はさっきのヤツを追いかけないといけない! だから、大人しく人間に戻ってくれ! 君の母乳を噴出させてくれ!」


 だが、その吸乳鬼の女の子は身体を起こすと、キッと誠を睨みつけた。


「この変態っ! 変態っ! 母乳を噴出させてなんて! 変態!」

「違う! 僕は変態じゃない!君を救うために、おっぱいから母乳を出す必要があるんだぁぁぁ!」

「なら、そのちょっと嬉し恥ずかしな顔をやめろおおおおおお!」


 吸乳鬼がガッと地面を蹴り上げ、土塊を誠に飛ばした。その土塊が誠の双眼に直撃し、たちまち誠の視界を奪う。

 ――目つぶし! だけど、この程度でッ!


「変態は母乳を撒き散らかして死ねぇぇぇ!」


 吸乳鬼の女子生徒が誠に飛びかかる。

 だが、誠は視界を奪われてなお冷静だった。両腕を勢いよく突き出す。


「この分からず屋! ただ母乳を噴出させるだけじゃあないか! なのに君は! うおおおおおお!」


 ガコン! 誠の両腕が女の子の乳房に叩き込まれる。


「匂いでわかるぞ! 君の位置は! 濃い母乳の香りッ! 僕と戦うなら風上は避けることだ! くらえ! 圧搾伝導共鳴!」


 バチイイイイイイ! 

 誠が乳房を鷲掴みにしたその瞬間、女の子の乳首の先から勢いよく母乳を飛び出した。


「あへぇぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 白濁色の液体が噴き出し、母乳の雨を降らせる。その白濁色の液体は地面を濡らし、そして誠をも全身母乳まみれへと変貌させる。


「僕は変態なんかじゃない。ただ、おっぱいを吸いたいだけだ。わかったね?」

「ああっ‥‥‥この、ヘンタ……い」


 ガクリ。女の子はこと切れたように動かなくなった。


「よし。ラミアさんを追いかけないと。……くっ」


 誠は膝を付いてしまう。

 ――畜生。母乳を吸われ過ぎた。力が出ない……。それなら、


「回復するまでこの女の子の手当てを……」


 誠は倒れている女の子の傍まで行く。

 その顔は当初から母乳まみれであったものの、なお酷く母乳に覆われ、母乳の厚い膜によって顔の輪郭まで分からなくなっていた。


「可哀そうにっ。こんなに母乳まみれになってしまって……。乳仮面所持者……許せない」


 誠は顔の母乳をぬぐってあげようとして、女の子の顔に手を向けた。そのとき、

 ――え?

 その手を伸ばそうとした女の子に違和感を覚える。母乳まみれになっているものの、その顔と輪郭と雰囲気に、どこか見覚えがあった。――いったい、どこで?

 ブーッ! 突如、誠のズボンに入っている携帯電話が振動する。

 誠は携帯電話を取り出し画面を見ると、そこにあるのは「尺取さだめ」という文字羅列。


「尺取から、電話? ……もしもし誠だ。ごめん尺取、いま忙しくて――」

『やられた……誠、やられたよっ』

 誠の声を遮ったその声は、ひどく憔悴していた。

「やられたって……いったいどういう」

『とにかく、これを見てくれ』


 ピロンと音がして、手に持った携帯電話が震えた。

 誠が画面を見てみると、動画ファイルが添付されたメールが届いていた。誠はファイルを開くと動画が再生される。するとそこには


『いやっ‥‥‥やめえて! おっぱいが! 私のおっぱいが! なんでも言うこと聞きますからぁ! もう母乳吸わないでぇ! あへぇ!』


 その動画には、妊婦が使用する搾乳機によって母乳を絞り出されている、女の子が映し出されていた。恍惚とした顔を浮かべ、椅子に縛られた身体をビクンビクン揺らしていた。


「しゃ、尺取! これはいったい?!」

『大森さん。……大森あかねだ』

「大森あかねだって?」


 ――大森あかね。誠が初めに遭遇した吸乳鬼である、土倉あやこの友人。尺取が話しを聞きに行った女の子だった。


「なっ、なんで。どうして大森さんが?! この動画はいったい?!」

『さっき私の携帯電話にこの動画が届いた。「手を引け」って文章と一緒に。誠、これは恐らく……』

「まさかっ、乳仮面所持者か!」

『ああ、警告だ。……誠、それで小鷹さんは?』

「違った。結衣は乳仮面所持者じゃなかった。ただ、乳原さんと一緒に育乳体操を公園でしていただけだった。はっ! 尺取! 大森さんが狙われたってことは! もしかして!」


 尺取が話しを聞いた大森あかねが、乳仮面所持者に襲われた。

 なら、自分が話しを聞いたあの女子生徒は。雨宮こころの友人の、あの気弱な生徒は。


 ゾクッ。と、誠の背筋に嫌な感覚が走った。視線を、いま倒した吸乳鬼へと向ける。


「――ま、まさかっ」


 誠は手を伸ばし、地面に横たわる母乳まみれで女の子の顔をぬぐった。塗りたくられた白濁色の液体がどかされ、そこから現れる。


「……波風なみかぜ……さん。ああっ! ああああっ! ああああああッ! 波風さんっ!」


 波風さら。誠が話しを聞いた、波風さらの顔がそこにあった。


「うわあああっ! 波風さんも襲われた! 僕の眼の前で、乳仮面所持者に吸乳鬼にされてしまったんだ!」

『襲われた?! いったいどういうことなんだ! 誠! おい誠?!』


 誠は身体を強張らせる。

 ――乳仮面所持者がここに現れたのは、僕を脅迫するためだ! 


「聞いてくれ尺取。僕の正体も乳仮面所持者にバレている! 波風さんは僕への脅迫のために――」

「いやああああ! 何してんの! 誠くん!」


 その聞き覚えのある声に、誠は素早く顔を上げた。そこに居たのは


「ゆ、結衣‥‥…」


 小鷹結衣が眼を見開き、そこに立っていた。カタカタと歯を震わせ、まるで誠との間に壁でも作るようにして、両腕を胸の前で抱いて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る