受け継がれる宿命

 21時を過ぎた、玉城公園。

 誠とラミアは、公園にある垣根の裏に潜み、その時を待っていた。

 玉城公園にはブランコや滑り台、砂場などの設備があり、敷地面積が比較的大きいということを除けば、一般的な公園となんら変わりない。ただ、井ノ原町の中心部から離れた場所にあり、また、周囲に住宅地があるとは言え、夜ともなると人影は全くない。

 ただただ、公園の中央に設置された街灯が、チカチカと点滅しているだけだった。


 誠は、その街灯が照らし出す場所に眼を向け、ジッと動かずにいた。すると、横にいるワンピース姿のラミアが「誠」と呼びかけた。


「誠。念のため確認しておくが……。私は手を出しはしない。が、もし何かあれば、すぐに戦闘に加わるぞ。それこそ小鷹結衣が、己に乳仮面を使用するようなことにでもなればそのときは……」


 ラミアは口を小さく開き、犬歯を覗かせた。

 ――快楽搾乳。

 その恐ろしさを誠は知っている。ラミアに母乳を吸われた人間はおびただしい量の母乳を噴出させ、その快感によってラミアに服従することになる。だけど。


「大丈夫です。ラミアさん。もしそのときは僕が結衣を説得してみせます。それに‥‥‥」


 誠は視線を前に向けたまま、


「僕は今でも、結衣が乳仮面所持者ではないと信じています。たしかに、結衣のおっぱいは小さいですけど、だからと言っておっぱいの大きな子を恨むようなことはしません。僕は結衣と、結衣のおっぱいが大好きですから、そう信じてます」

「……ふん。そうか。好きにしろ」


 ラミアが肩をすくめると、誠が苦笑した。と、ラミアが「それにしても」と感心したような面もちになる。


「……本当にお前は、あの男に似ているな」

「あの男?」


 誠が首をかしげると、ラミアが小さく笑った。


「前に話しただろう。私を助けたお前のご先祖だ。あの男も、お前のようにおっぱいを愛していた。おっぱいは正義、それがあの男の信念だった」

「そうなんですか。僕のおっぱい好きは……ご先祖様譲り。こうして僕が吸乳鬼に関わったことにも、受け継がれてきた宿命のようなものを感じます」

「宿命……か。だが、本当にそうなら、私の願いはとっく叶えられていただろうな」


 ラミアは視線を宙に移す。

 「その眼をするときは、遠く昔のことを思い出しているのだろう」と、誠は思う。それこそ、自分には想像もつかないほど昔のことを。

 ラミアはフッと自嘲的に笑い、肩を竦めた。


「実を言えばな、誠。本当なら、私の願いはとうの昔に叶えられていたはずなのだ。私の願いを叶えてやると言ったあの男は、その誓いを自分の息子に託して死んでいったのだから」

「えっ」


 誠は一瞬、身体が動かなくなった。

 ――息子に託して死んだ? でも、それなら、どうして。

 誠が不安そうな顔を浮かべれば、ラミアは「はっ」と笑った。


「簡単な話だ。あの男の息子は、私の願いを叶えることを放棄した。私を拒絶した。それだけだ。そして私は……その息子の影に引きこもった。その息子が死ねば、次の世代へ。そして次の世代へ。何百年も影から影へと移り住んだ。まあ、私あの男の血に縛られているから、自動的にそうなるのだかな」

「そんな‥‥…」


 誠は唇をキュっと絞る。

 ラミアが楽しそうに語る自分の先祖の話。だけどその男の息子に契約を蔑ろにされたラミアの心情。誠はラミアという少女が可哀そうに思えて仕方なかった。

 ところがラミアはクスっと笑った。


「おいおい、そんな暗そうな顔をするな。お前が気に病むことではない。それに、誠。お前はあの男に似ていると言っただろう。だから期待しているのだ。お前なら、あの男の息子のように、私を拒絶することはないだろう。そう思っているのだ」

「拒絶……ですか。あの、ラミアさん。その……僕のご先祖の息子さんは、どうしてラミアさんを拒絶したんですか?」

 するとラミアは肩を竦めた。


「ああ、それか。信じられないことにあの男の息子は、私のおっぱいを――。……誠」

 ラミアがスッと笑みを消し、顔を公園の出入り口方面へと向けた。誠もラミアの視線を辿り、顔を前方へと向ける。


「……声がします。ラミアさん」


 誠は、どこかから遠く聞こえてくる声を聞き取る。その声は会話をしている様子であり、かつ、この公園に近付いてきた。そしてすぐに、その会話の声の主が姿を現す。


「――っ」


 公園の入り口に現れた、私服姿の女の子二人。そして誠は、その2人をよく知っている。


「……結衣。それに‥‥‥乳原さん」


 誠が小さな声でそう言うと、ラミアがクスッと笑った。


「ようやく表れたな。さて、どうなることやら」

「……わかりません。でも、とにかく見守りましょう。話はそれからです」


 小鷹結衣と乳原はるかは、街灯のたもとまでやってきて、そこで立ち止まる。

 はるかが結衣に向き直り、弱弱しい顔を浮かべた。


「……あのさ、結衣。こんなこと続けるより、他の方法があるんじゃないかな?」


 結衣は首を小さく振った。


「……ごめんね。はるかちゃん。でも、私にはこれしかできないから。だってそうしないと、私のおっぱいは……」


 ――おっぱい。その言葉が結衣の口から出てきたことに、誠はゾクリと寒気を感じた。まさか、本当に結衣は。結衣は……。

 結衣が小さな胸の前でギュッと手を握る。


「私はおっぱいのために、お願い。だからはるかちゃん……」

「でもさ、結衣。もうアレ使っちゃいなよ。大きくなるよ? 大きく見えるよ? 一度使っちゃえばきっと元には戻れないけど、それでも大きく見えることには変わらないんだよ。低身長の男の子がシークレットブーツ穿くようなものだよ。全然恥ずかしいことじゃない!」

「でも!」


 結衣は大きくかぶりを振った。


「それでも私は、育てたい! 大きくなりたい! 大きくしたい! 自分の力でっ! じゃないと私……あの人に好きでいて貰えないから!」

「……結衣」


 涙目になっている結衣の肩に、乳原が手を置いた。


「わかった。それじゃあ、結衣。やろっか」

「うん……うんっ! ありがとう、はるかちゃんっ」

「いいよ。気にしないで」


 小鷹結衣と乳原はるかが向き合って距離を空けた。

 そうして、はるかがスッと息を吸い込み、大きく口をあけ、


「育乳体操第一! よおぉぉぉぉいっ!」


 じゃーん、じゃかじゃかじゃかっ。じゃーん、じゃかじゃかじゃか。じゃかじゃかじゃん!と、イントロを口ずさみ、2人は奇妙な動きを始めた。

 自らの乳房を持ち上げ、優しく下ろす。

 鳩胸になって、数歩く。

 肩や首周りをもみほぐし、息を吐き出す。

 体操の合間に、「おっぱい、いっぱい、でっかい!」と合いの手を入れる。

 たわわに実ったはるかの乳房が揺れる。小さくこぶりな結衣の乳房はまったく揺れない。


 ――育乳体操。


 それは、小さな胸を大きく成長させるための運動。小さな胸を持つ者が希望を抱く体操。

 そして、そんな体操を行っている結衣を見た誠は……


「うっ……ひっ‥‥‥ううっ」


 気が付くと泣いていた。

 滂沱の涙を流し、声を殺し泣いていた。頬伝い顎先から流れ落ちた涙が、地面の土に吸い込まれシミを残した。


「ううっ・‥‥結衣っ‥‥‥結衣!」


 誠は声を殺しているために、その言葉が結衣はるかに届くことはない。

 結衣は身体を動かしながら、「ねえ、はるかちゃん」とはるかに顔を向ける。


「やっぱり私! おっぱい大きくなってるよ! 絶対大きくなってる! 乳パットなんて使う必要なんてないっ!」

「うん。そうだね結衣。結衣の胸、確かに大きくなってる。これなら、AAAカップからAAカップにもなれかもね」

「だよね! ああ、もうっ。 雨宮さんも土倉さんも続けておけばよかったのに! そしてら私みたいに、おっぱいが育ったかもしれないのにっ!」


 揺れない乳房を振り回し、はるかに嬉しそうな顔を向ける結衣。

 その健気な姿を見て誠は、より一層涙を流した。だが、なんとか声を押さえラミアに向き直った。


「み、みて……うぐっ。見てください。ラミアさんっ。結衣は……結衣はっ!」


 誠は赤く腫らした目を腕でぬぐった。

「結衣はやっぱり、乳仮面所持者ではありませんっ!」


 小鷹結衣は絶対に乳仮面所持者ではない。愛誠にはわかってしまった。

 だがラミアは首を傾げる。


「ほう……なぜそう言える?」

「はいっ。あります。それは、結衣が大きなおっぱいを恨むことなく……ううっ、恨むことなく……」


 誠はまた泣き出すが、それでも我慢して口を開いた。


「結衣は努力でおっぱいを大きくしようとしている! そこに、乳仮面所持者のように大きなおっぱいを恨む気持ちなんてないんです! 吸乳鬼となった、あの雨宮あまみやさんと土倉つちくらさんのように、大きなおっぱいを滅ぼそうという気持ちがないんです! だからっ!」


 誠は涙で滲む視界のまま、街灯の下で育乳体操をする結衣を愛おしそうに見た。


「結衣は…‥‥乳仮面所持者なんかじゃありませんっ」

「……なるほど」


 ラミアが数秒考える素振りを見せた後、頷く。


「たしかに、お前の言う通りだな誠。そもそも小鷹結衣には動機がない。巨乳を恨む動機が」

「はいっ。そうです。ああ、信じてよかった。結衣のことを信じてよかった! ……だけど、ラミアさん」


 誠の顔にスッと影を落ちる。


「これで……また振り出しに戻ってしまいました。いったい、だれが乳仮面所持者なのか。まったく手がかりがありません」

「仕方あるまい。こうなったら、尺取さだめとまた話をして対策を――」


 と、その瞬間。


『いやあああああああ! 止めてぇ! おっぱいがああああ!』


 耳をつんざくような悲鳴が響き渡る。


「結衣っ!」


 誠はとっさに顔を上げた。

 ――まさかっ、吸乳鬼?!

 だがそこには、街灯の下で表情をこわばらせる、結衣とはるかの姿があるだけだった。2人もその悲鳴を聞いていたらしいが、なにか危害を受けた様子はなかった。


 しかし直後、誠の鼻孔を甘い香りがくすぐった。


「この香り……ラミアさんっ、まさか!」

「ああ、母乳の香りだ! 誠! ヤツがいる! 吸乳鬼が近くに……いや、待て!」


 ラミアはスッと、鼻から大きく息を吸い込んだ。


「この濃い香り、これは人間に乳仮面を使用したときに発生する母乳の香りだ!」

「な、なんだって?! それじゃあ!」

「ああ、ヤツがいる! 乳仮面所持者が近くにいるぞ! 誠!」

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