母乳を吸う怪物
「吸乳鬼。400年以上前に誕生した、母乳を吸う怪物だ」
誠の影から出てきたラミアは開口一番そう言った。いまは、誠の自室に設置されているベッドに腰掛け、あぐらをかいている。
「赤い眼に、とがった犬歯。強い搾乳衝動を兼ね備え、身体能力も常人の数倍。治癒力が高く、太陽光を嫌う。……と言っても日中でも活動はできる。と言うより、日中は普通の人間と同じ生活をして、日が沈む頃になると活動を開始する」
ラミアは長い緑の髪を弄び、
「まあ、説明すると言っても、吸乳鬼の特徴はこんなところだ。わかったか? 誠」
自分の名前を呼ばれた誠は小さく頷いた。誠はベッドの脇で正座し、見上げるようにしてラミアに視線を送っている。
「まるで、吸血鬼のような怪物ですね」
「吸血鬼ではない、吸乳鬼だ。そもそも吸乳鬼の伝承が一転二転して生まれたのが、吸血鬼だ。」
「そうなんですか。……あの。ところで、ラミアさん」
「……なんだ?」
誠は、ベッドであぐらをかくラミアをジッと凝視した。
「その……なぜ全裸なんですか? できれば服を着ませんか? 僕は全然かまいませんが、ラミアさん的に恥ずかしくはないんですか?」
誠が凝視するその先。ラミアは全裸の状態であぐらをかいていた。大切なアレコレが丸見えだった。
だがラミアは不服そうな顔になる。
「別に私もかまわないぞ? それに服は嫌いなのだ」
「わかりました。ラミアさんは裸族なのですね。……なら、僕も脱ぎます。こうすれば、僕も気兼ねする必要もありません」
誠は素早く制服を脱ぎ去り、全裸で正座すれば、ラミアが「ほう」と眼を細めた。
「それで、吸乳鬼のことはわかりました。でも、ラミアさん。僕にはまだ分からないことがあります」
誠が不安そうな眼を向ければ、ラミアは長い緑髪を弄るのを止めた。
「なんだ?」
「その、あなたは……ラミアさんはいったい何者なんですか? アナタはあのとき――」
誠は疑いの目をラミアに向ける。
――吸乳鬼の女王。
ラミアは先の戦闘の最中、自らをそう呼んでいたはずだ。それはラミアもまた吸乳鬼であるということではないかと誠は思ったのだ。
するとラミアは「ふむ」と頷き、
「……さて、どこから話したものか」
スッと目を細め視線を宙へと飛ばした。ただ、誠にはその視線がどこに向けられているのか見当がつかなかった。
ラミアは数秒の沈黙したのち、「では」と言って腕を組んだ。
「いくぶんか省いて説明はするが、それでも少し長い話になる。だが誠。お前には聞く義務がある」
「義務、ですか」
「そうだ。義務だ。なぜならお前は私と契約を結んだ。力を受け取る代償して、私の願いを聞き届けるとな。まさか、忘れているわけではあるまい」
「……ええ、それはもちろん。あのとき、僕は確かにアナタから力を受け取りましたから」
誠はグッと拳を握り込む。
吸乳鬼に襲われ絶対絶命の際、その契約の内容を聞くことはしなかったが、確かに契約を結び、力を受け取っている。
――伝導術。
ラミアの願いを叶える代わりに手にした、吸乳鬼を人間に戻すための力。
ラミアが「うむ」と頷いた。
「まず、お前も気にはなっているだろうが……私は吸乳鬼の女王だ。ただし……」
と、ラミアは言葉を区切る。
「ただし私はあの吸乳鬼の仲間ではないし、なにより私自身は吸乳鬼ではない。だが私は、あの吸乳鬼を作り出した存在、人間でいうところの娘。つまり、私の父があの吸乳鬼を作り出したのだ」
「ラミアさんのお父さんが吸乳鬼を作り出しただって?!」
誠は身を乗り出した。
「そ、そんな! あんな恐ろしい怪物を人間が生み出しただなんて! でもいったいなんのためにっ! 母乳を吸う化物なんかをっ」
食い入るような誠に対し、ラミアが肩を竦めた。
「それは私の父が、母乳をエネルギーとして喰らう……神だからだ」
誠はその聞きなれない言葉にたじろぐが、ラミアは続けて口を開いた。
「正確には神と呼ばれていた存在だ。この国の言葉であれば……ツクヨミ、という名前が近いだろうか」
「月読命……。たしか日本神話に登場する、月を神格化した神様ですね?」
「そうだな。あの男……便宜上、ツクヨミと呼ぼうか。ツクヨミは月を司る神として崇められていたから、おおかた合っているだろう」
「……なら。それならラミアさんも……神様、なんですか?」
誠はこくりと喉をならしつつ、ラミアの全身を見る。
金色の双眼に、緑色の髪の美しい少女。おそらく地球上のどこを探したとしても、このような人種は存在してないだろう。
だがラミアは「ははっ」と笑い、首を振った。
「違う。ツクヨミは、あくまでも人間から神と呼ばれていただけだ。実際には肉体を持っているし、飲み食いもする。ただ、人間ではないことは確かだ。そして私は、ツクヨミと人間の間に作られた存在。つまり……」
「半分は人間、ですか」
「そうなるな。まあ、実際は80%ほどあの男と同じ存在だ。だからこそ私は、吸乳鬼の女王という名で通っていた。吸乳鬼を作ったツクヨミの娘、だからな」
そう言って小さく溜息を付くラミアを、誠はジッと見つめる。
吸乳鬼を作り出した、ツクヨミという未知の存在。その娘であるラミア。
「……ラミアさんの正体はなんとなく理解できました。でも、そんなアナタが、なぜ僕の影に潜んでいたのですか? いったい、いつから僕の影に」
「いつから……か。まあ、その話をしてやらないでもないが……そのためにもう少し、昔話に付き合え」
そうしてラミアはベッドに座り直し、胸元にぶら下がっているペンダントのようなものを握った。
「数百年前の話だ。東南アジアのある場所に、ツクヨミが王を傀儡にする形で成り立って王国があった。吸乳鬼を従え、近隣の女子供をさらい、僅か数年で成り立った国。そしてその国の……つまりツクヨミがその国を操っていた理由はただ一つ……大量の母乳を集めること」
「大量の……母乳。そう言えば、さっきツクヨミは母乳を喰らうって……」
「そうだ。大量の母乳を集めることが、その国の真の目的であり、ツクヨミの目的だった。むろん、国に住む大半の人間はその事実を知らず『神の意向』という名の元に、母乳を集める生活を送っていた」
ラミアが言葉を気切り、肩を竦める。
「だが実際、なぜツクヨミが大量の母乳を必要としていたのかは私も知らない。しかし、ツクヨミにとって母乳はエネルギーそのもの。その大量のエネルギーを使ってなにか企んでいたようだが……いまとなっては闇の中だ。もう知る術はない」
と、そこで誠が「ん?」と声を上げた。
ラミアさんの喋り方……もしかして。
「あの、ラミアさん。その語り口調からすると……母乳の国はもう存在しないんですよね」
「そうだな。数百年前に滅んだ。それもたった一夜にして。そして、その滅んだ原因が……誠。お前に関係する」
「ぼっ、僕に?!」
誠はビクっと身体を揺らす。
遠い昔のおとぎ話の中に突如現れた、自らの存在。それがおそろしく異質で異分子だと感じる。
「そうだ。お前だよ、誠。正確に言うなら……お前の先祖と、その仲間たちがツクヨミを打ち倒して封印し、国が亡ぶ切っ掛けとなった。そしてお前の先祖は私を……」
ラミアはそこで少しだけ微笑んだ。
「私を助けてくれた」
そのラミアの微笑みはまるで、大切なものを宝箱にしまい込み慈しむ、幼い少女のような笑みだった。
「そう……助けてくれた。私と……それから、もう私の姉を」
「そう……なんですか。でも、ラミアさん。それだと僕のご先祖はラミアさんのお父さんを――」
「いいや。私はツクヨミを封印したお前の先祖を恨んではいない。ツクヨミと私の関係性を人間に当てはめるなら親子だが、そのような交流もなかったのでな。だからむしろ……感謝している」
ラミアは少し苦笑した。
「お前の先祖とその仲間がツクヨミを封印したとき、私と私の姉は処刑される予定だったそうだ。だが、それをあの男が私たちを匿ってくれたからな」
「そうだったんですか……」
誠は頷き、少しだけ自分の先祖のことを想像してみた。
どういう経緯があって、東南アジアの人間がこの国に移り住むようになったのか見当はつない。だが、脈々と受け継がれる遺伝というものは不思議なものだと感心した。
と、そこで。ラミアが「ところで」と呟いた。
「誠。お前は吸乳鬼について……どう思う?」
「え? 吸乳鬼ですか」
誠はラミアが突然そんなことを聞いてきたことの真意を測りかねた。するとラミアが「深く考えなくていい」と言葉を付けえた。
「そうですね……吸乳鬼は人間の母乳を吸い散らかす恐ろしい怪物です。」
「そう、怪物だ。そして、そんな恐ろしい吸乳鬼はどうするべきだと思う?」
「それは……言い方は悪いでが排除するしか。もしくは、伝導術で人間に戻すとか……」
「その通りだ。そしてそれは、ツクヨミを封印した人間たちも同じことを考えていた」
ラミアはあぐらを組んでいた脚を組み替える。
「ツクヨミの封印後、多くの吸乳鬼が逃げ出し、世界中に散らばって行った。同時にツクヨミを封印した人間共は、吸乳鬼を狩り出すことを使命とした。しかし、お前の先祖であるあの男は関わりを持とうとせず、私と私の姉を匿って生活していた。幸せな日々だったよ。だが‥‥…」
ラミアが視線を地面に向けた。
「そう長くは続かなかった。私と、私の姉が人間に見つかってしまった。その結果として姉は行方知れずになり、さらに私は、お前の先祖の影の中に縛られることになった。」
「影に……縛られる?」
そのラミアの言葉に誠は自身の影をチラリと見た。
「そうだ。つまりは私は、お前の先祖の影に封印されたのだ。そして、お前の先祖が死ねば次の世代へ。そして次の世代へ。影から影を移り住んでいった。これが、お前の影に私が潜んでいた理由だ」
ラミアは誠の影にスッと視線を移した。
--それが、ラミアさんが僕の影に潜んでいた理由なのか。
誠は頷き、「なるほど」と呟く。
が、そこでラミアが「ただし」と言って、ジッと誠を見つめた。
「ただし、私がお前の先祖の影に封印されたのにはもう一つ理由がある」
「もう一つの理由……ですか?」
「ああ、そうだ。可笑しいと思わないか? ツクヨミの娘たる私を、なぜ処刑せずに、わざわざ封印などという手を使ったのか。それに、なぜ私を匿っていた男の影に封印したのか」
「……」
誠は視線だけで、ラミアの話の続きを促した。
「私の身体はツクヨミと同じ高エネルギー体のようなもの。その莫大な力を利用しない手はない。特に、吸乳鬼を追う人間は特にそう思った。いや、お前の先祖が提案した、というべきか」
「……提案、利用。それはもしかして」
誠はスッと眼を細める。
ラミアの力、吸乳鬼、吸乳鬼を脅威とみなす人間。毒を以て毒を制す。
「察しがいいな。誠。その通りだ。お前の先祖は人々に対し、私の力を吸乳鬼狩りに利用することを条件として、見返りに私を救ったのだ。以後、私とあの男は吸乳鬼を狩るために世界中を旅した。長く旅をした。そして同時に……」
ラミアは言葉を区切り、胸元のペンダントをギュッと握りしめた。
「私の願いを叶えるために」
ラミアは少しばかり微笑んだ。
「そう、私の願いをあの男は叶えようとした。しかし、あの男はその途中で病に倒れ、死んでしまった。あっけない最後だったよ。一晩のうちに体調が悪くなり、そのまま死んでしまった。私の願いを叶えられなかったことを悔いながら…‥‥息を引き取った」
ラミアの顔は人の死を話にしては、いささか微笑みが多すぎると誠は感じる。だがそれはきっと、悲しみを上回るだけの良い思い出があるのだろうと思えた。
誠は「そうだったんですか」と腕を組んだ。
「それはお気の毒です。……あの、ラミアさん」
「なんだ?」
「その。あなたの願いとはなんだったんですか? 僕のご先祖様が叶えようとした、あなたの願いとは」
誠をしては何気なくその質問をしただけだった。ところが、ラミアはくすっと笑い、嬉しそうな顔になった。
「ははっ。よく聞いてくれたな誠。なぜならその願いこそが、私とお前の契約に関係している」
そう言ってラミアはベッドから降り立った。そして、月明かりが指し込む窓辺まで移動し、サッと振り向いた。月光に照らされた、美しい緑色の髪がフッと宙を舞った。
「私の願い……。それは、私を殺すことだよ。誠」
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