Episode 2 「ミルキーウェイ」
濃い母乳の香り
夕暮れ時。誠は、町中にある細い路地を歩いていた。
この路は比較的古い区画にあり、古ぼけた雑居ビルや、客の入りが悪い喫茶店などが並んでいる。好んで通るような道でもないが、地元民は近道としてよく利用する。
……それにしても。誠は首を振った。
「母乳が……吸いたりない」
いつもなら、結衣のおっぱいをお腹いっぱいに搾乳するのだが、あんなことになってしまった。ただ、それを抜きにしても、ここまで強い搾乳衝動は経験したことがなかった。母乳が欲しくてたまらないのだ。
と、そのとき。
「……ん?」
微かな香りをかぎ取った。それは、ほんのり甘い香りだった。
「……母乳の匂いだ」
誠は鼻をスンスンと鳴らし、犬のように鼻を高く掲げた。そのまま、匂いを辿り歩いて行く。すると、ある建物の前に辿り着いた。
すすけたネズミ色のビル。ただし、何かしらの理由によって建設計画がとん挫し、完成を見ずに放置されてしまったビルだった。やぶれかぶれの養生シートが、ヒラヒラと風に巻かれている。
誠はそのビルの入り口まで進み、中を覗く。照明もなく、薄暗い。誰もいないハズなのに、コーンというタップ音が聞こえてきて不気味だ。
なぜ、こんな場所から母乳の香りが?
その疑問に突き動かされ、誠はビル内に一歩足を踏み入れる。だが、
――やめておこう。時間に余裕ができたとは言え、ここで道草を食っている暇はない。早く帰って父の帰りを持たないと。
そう思い直しきびつを返しかけた、そのとき。ポタリ、と何かが肩に落下してきた。
誠は肩に落ちてきたソレを手でそっとぬぐい、確認する。それは白濁色をした液体。甘い香りが漂っていた。
「……これは、母乳?」
誠はゆっくり顔を上に向ける。
――ヒィッ! 見てしまった。天井にべっとりとはりつく、おびただし量の母乳を。
誠はすぐさま暗がりの先を見る。すると地面に、白濁色の液体が線を引き、そのまま暗闇の先まで続いていた。
「こ、これはもしや!」
誠は言うのが速いか携帯電話を取り出し、懐中電灯代わりにする。そしてそのままビルの中へと進んでいく。
強制搾乳事件の犯行が、いまここで?!
ビルの中を進むにつれ、母乳の香りが強くなっていく。地面に撒かれた母乳も、その量を増してゆく。
ピチャピチャッ……! 生々しい音が耳に届いた。眼の前にある、曲がり角の先から聞こえてくるようだった。
ま、まさか。あの先で誰かがおっぱいを吸われているのか?!
誠は一歩一歩確かめるようにして進む。そして曲がり角にやってきて、一気に飛び出す。
「う、うわあああああっ! こ、これは?!」
その先で見たものは、母乳まみれになって横たわるスーツ姿の男。
ワイシャツが引き裂かれ、乳房が向き出しになっている。乳首から、脈打つようにしてぴゅっ、ぴゅっと母乳が噴き出していた。凄惨な光景だった。
「ひ、酷い! なんてひどい!」
誠は腰を抜かし、そのまま地面に座り込んでしまった。だが、誠も男だ。足を引きずるようにして、そのスーツ姿の男に近付いていく。スーツ姿の男は気を失っているらしく、何も言葉を発することはしない。
「大丈夫ですか?! しっかりしてください! こういうときは警察? いや、救急車!」
誠は震える手を無理矢理抑え込み、携帯電話のダイヤルを打ち込んでいく。そして発信ボタンを押しかけた、そのとき。
「そこまでだ!」
誠の背中に何かがぶつかった。そのままうつ伏せの体勢に押し倒され、右腕を背中に回させられた。何者かが誠を組み伏せたのだ。
「動くな! 警察だ! お前が強制搾乳事件の犯人だろう?! いかにもおっぱいが好きそうな顔をしている!」
誠が首を後ろに曲げる。すると自分の背中に、背広を脱いだスーツ姿の女が覆い被さっていた。
気の強さを感じさせる吊り上がった眼。シュッと肩まで伸ばしたヘアスタイルが、性格を言い表しているかのようだった。だが、その印象に反し、おっぱいは豊に実っていた。ワイシャツのボタンがはち切れんばかりに。
「違う! 僕は確かにおっぱいも母乳も好きだけです! だけど僕はたまたま通りかかった普通の高校生です! それより、そこの人を助けないと! 救急車を呼ばないと!」
誠の声が悲痛なものへと変化した。眼の前で倒れているスーツ姿の男を、本気で案じていることを感じさせる声色だった。
「……ふむ」
スーツ姿の女が、誠の懐に手を突っ込み学生証を取り出した。「天道……誠。……なるほど」数秒間沈黙したのち、誠の背中から立ち上がる。
「わかった。……どうやら犯人ではない、らしいな」
「そうです。僕は母乳の香りを嗅ぎつけてここまで来ただけです。それより、もしかして刑事さん……ですか?」
「そうだ。
理沙がふらっと、よろめく。誠はとっさに理沙を受け止め、そこで初めて気が付く。理沙の胸部からは白濁色の液体が染み出していた。
「理沙さん、しっかりしてください! いったいなにがあったんですか?」
「このビルに入っていく不審人物を見かけた。それで、そこに倒れている竹井と共に追いかけて……この様だ。いきなり襲われた」
「襲われた? いったい誰に?!」
「分からない。俊敏すぎて、ハッキリと姿を見ることができなかった。ただ、アレは。あの動きは――」
『いいやああああああ!』
耳をつんざくような声がこだました。誠と理沙はとっさに、建物の奥へと続く通路へと眼をやる。痛々しいほどの悲鳴だった。
「行かなくては。私たちが追いかけていた女子生徒がこの先にいるはずだ。君は、早くここから逃げてくれ」
理沙は誠を押しのけて歩き出す。ただ、その足取りはおぼつかない。歩くたびに、ポタリポタリと白濁色の液体が地面に垂れ落ちる。
「待ってください。そんな状態で行っちゃだめです! せめて応援を呼ばないと! 無線とか、携帯電話とかあるでしょう?!」
「無理だ。ヤツは私と竹井を襲った際、きっちり無線を破壊していった。携帯電話も上着ごと奪われた。狡猾で、ずるがしこい相手だ。……そうだ、君はさっき携帯電話を持っていた?」
「は、はい。持っています。けっ、警察に連絡すればいいですか?」
「そうだ。頼む。私はこのまま、ヤツを追う。すぐ先で、犯行に及んでいるはずだ」
理沙は懐から、折り畳み式の警棒を取り出した。腕を振って警棒を展開させ、そのままビルの奥へと進んで行く。
誠はその背中を見送ることはせず、すぐさま携帯電話を探す。先の一件で、どこかに飛んで行ってしまったらしく近場にはない。だが、周囲を見渡して地面に明かりを見つける。携帯電話の画面の明かりだ。
よし! 誠は携帯電話を拾い上げた。これで、警察がやってくる。とにかく逃げて、いや倒れている刑事も一緒に運び出して‥‥‥‥
「ちくちょう!」
電源が入らない。どのスイッチを押しても携帯電話は反応しない。それだけなく、画面の文字羅列が読みとれないほどパネルがバキバキに割れていた。
……あのときだ! 組み伏せられたとき、携帯電話が吹っ飛んだあの衝撃で! どうする? 公衆電話……いや、外に出て誰かに電話を借りて……
『いやあああ! 私のおっぱいがああああッ』
悲鳴がこだました。その悲鳴は、あの理沙という刑事の声と同じだった。
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