見習いキューピッド♡ココ〜バレンタインは大忙し!?〜

@oita_pikapika

♡1話完結♡

これは、とある国の、とある街の、とある事務所の、とある一日のお話——



ここは千代市。二本の鉄道が通るそれなりに栄えた町で、学校が沢山あり、若者や学生の姿が街を賑やかす。そんな街に、「恋愛を絶対に成就させてくれる事務所がある」という噂が、若者たちの間でまことしやかに囁かれていた。

「なんでも、めちゃくちゃイケメンのキューピッドが、恋愛を成就させてくれるらしい」「助手もいるらしいけど、あんまり役に立たないんだって」

今日も、恋愛を成就させたい依頼人が、その事務所の扉を叩く。



コンコン。

扉がノックされたのは、大通りを一本外れた場所に建っている、旧いビルの二階にある事務所だ。表には、「春風キューピッド事務所」と書かれた、小さな看板が掛かっている。

ノックしたのは、10代後半くらいの少女だ。艶やかな藍色の髪の毛を高い位置で二つに結っていて、服装はブレザー。どうやら学生服らしい。

「はい、どうぞ。」

扉の向こうから声がしたので、扉をノックした依頼人は、扉をそっと開いた。扉はギィッと大きな音を立てて、ゆっくり開いた。

「こんにちは。恋愛成就のご依頼ですか?」

扉の向こうにいたのは、全身白スーツ、白いシルクハットに白い手袋、おまけに真っ白の大きな翼を携えた、20代前半くらいの好青年だった。

「初めまして、私がこの事務所の所長、春風薫です。」

「春風…薫…」

真っ白ないでたちに目がくらんでいた依頼人は、ぼんやりした声でそう呟いた。その後すぐにハッとして、自分も自己紹介しなければと思い至った。

「あっ、こんにちは。初めまして、私は手越小鞠です。」

それを聞いた春風薫は、ニコリと微笑んだ。なかなかの美青年で、細められた翠色の瞳に吸い込まれそうだった。

「手越さま、ようこそ春風キューピッド事務所へ。まずはご依頼の内容をお聞きします。どうぞお掛けください。」

そう言ってソファに案内されたので、小鞠はスクールバッグを膝に抱え、おずおずとソファに腰掛けた。

「ココ、手越さまにお茶をお出しして。」

「はい!」

自分と同じくらいの女の子の、高めの声が聞こえたので、小鞠は驚いて振り向いた。どうやらこの事務所には、助手がいるらしい。所長も若いが、助手も若そうだ。

振り向いたところにいたのは、全身真っ赤なスリーピーススーツに身を包んだ、可愛らしいキューピッドだった。栗色の少しカールがかった髪の毛が、動くたびにふわふわと揺れる。所長の春風薫と比べると随分控えめの、小さいけれど真っ白な翼を持っていた。

所長は白スーツ、助手らしき少女は赤スーツ。随分派手な事務所だなぁ、キューピッドって皆こうなのかしら、と小鞠は少し不安に思った。

「こんにちは…」

小鞠は、その助手らしき少女にも挨拶した。

「あっこんにちは!私は助手の愛原ココです。よろしくお願いします。今お茶をお持ちしますね。」

随分とハキハキした声で返された。寂れた事務所には似合わず、元気の良い少女のようだ。

「よろしく、ココ。では手越さま、お話をお伺いしましょう。」



私には、幼馴染の彼氏がいます。名前は森本樹で、私と同じく17歳の高校生です。付き合ってるのは2年前からで、その時は私のことを好きって言ってくれていたんですけど…樹は最近ずっとサッカーに夢中で、私のこと全然構ってくれなくて。樹は昔からサッカーが好きで、上手くて、県の代表に選ばれたりもしていて。私も、サッカーをしている樹が好きで。でも、あまりにも樹はサッカーばかりしていて、もう私のことなんてどうでも良いのかな、と思ったりもします。不安なんです。もう飽きられちゃったのかもしれない。だから、バレンタインにプレゼントをして、もう一度、樹を振り向かせたいんです。この機会になら、私の本当の気持ち、言えるかもしれない。お願いします。男の人目線で、樹に渡すプレゼント、一緒に選んでくれませんか?そして、もし樹がまだ私のこと好きだって言ってくれるなら、最後にはキューピッド・ガンで私と樹を撃ち抜いて欲しいんです。え?なんでキューピッド・ガンの存在を知っているかって?そりゃあ女子高生の間でめちゃくちゃ噂になってますから。撃ち抜かれた二人は、永遠に——


ガッシャーン!!


手越小鞠と春風薫がそこまで話したところで、事務所の奥の方から大きな音がした。二人が驚いてそちらを見ると、辺りにはお茶がこぼれ広がっていて、湯飲みがひっくり返っていた。

「ココ、お前転んだのか?はぁーお前は本当に…」

春風薫は大きくため息をついた。

「ひどい所長〜まずは心配してください!!」

ココはプリプリと怒っている。どうやら、助手はあまり役に立たないという噂は本当らしい、と小鞠は思った。

「すみません手越さま、少し片付けて参りますので、しばらくお待ちください。」

春風薫は愛想よくそう言ったあと、事務所の奥の方へ進んで行った。



コンコン。

春風薫が事務所の奥に消えて5分くらい経った後、再び事務所の扉から音がした。どうやらまた、依頼人が来たらしい。

こぼしたお茶の後始末を終えた春風薫は、ココの方に向き直り、ココにしか聞こえないボリュームで、こう言った。

「ココ、お前が二人目の依頼人を担当しろ。一人でだ。」

「えっ!?私が!?一人で!?」

ココは慌てた調子でそう返した。

「そうだ。俺は手越さまのご依頼で忙しいんだ。お前、この事務所に来て何ヶ月目だ?」

「10ヶ月目…」

「だろう?今まで散々俺の活躍を見て来ただろう?そろそろ一人で案件を担当しても良い時期じゃないか?」

春風薫は、笑顔でそう言った。でもその笑顔は決してにこやかなものではなく、笑顔なのに不思議と威圧的で、ココは震え上がった。

「で、でも、今まで一日に依頼が二件も来たことなんて、一度も無かったのに!なんで急にそんな…」

ココの問いかけに、春風薫は笑顔での威圧をより一層強めて、こう言った。

「お前、今日がなんの日か知ってるか?」

「え?」

「今日はバレンタイン!キューピッドの繁忙期だ!」



「えっと、初めまして、私は愛原ココです…」

さっきと比べると、随分元気のない声でココは喋った。それもそうだろう、一人で依頼を担当するなんて、初めての出来事なのだ。ココの胸中は、不安で一杯である。

「初めまして、私は加藤加奈子です。」

二人目の依頼人は、そう自己紹介した。

長い黒髪が腰まである、セーラー服姿の少女だ。やはり年の頃は10代後半くらいに見える。こちらも学生服だろう。

正直、気乗りしない。一人での依頼の遂行なんて、怖い。しかし。こうやって目の前に恋に困った依頼人がいては、断ることなんて愛原ココには出来なかった。

とりあえず、依頼内容を聞こう。そう思った。

「では、ご依頼内容を聞…じゃなくて、えっと、お伺いします。えっと、でも、ソファは所長たちが使ってて…」

そう言ったところで、加奈子は、ココだけに聞こえる小声でこう言った。

「あ、でも、春風さんには聞かれたくなくて…」

「え?」

所長に聞かれたくない内容?春風キューピッド事務所に来て?そんなのある?

ココは訝しく思ったが、依頼人がそう言うなら尊重しないわけには行かない。どうしたものか…と考えあぐねていると、春風薫と手越小鞠が立ち上がった。

「俺たち、出かけてくるから。ココ、あとはよろしく頼む。加藤さま、どうぞこちらのソファをお使いください。」

「愛原さん、失礼しました。」

そう言って、二人は出て行った。事務所の扉が、またギィッと音を立ててしまった。

えっ!?所長が出て行ったー!?いよいよ一人だ!?一人で依頼を担当しろって、所長本気だったんだ!?どうしようー!?と、ココは動揺した。

すると、隣からブツブツ声が聞こえた。

「…春風、さん…春風さん…はぁ…はぁ…かっこいい…」

えー!?なんか言ってる!?所長〜この依頼人さん、なんか怖いです!!でも、でも、初めて依頼を任されたんだから、ちゃんと遂行しなきゃ。

「えっと、それでは加藤さま、ソファにお座り下さい。ご依頼内容を伺います。」



はぁ〜春風さん、ほんっとうにかっこいいですね!初めて名前呼んで貰っちゃた…あっそうです、そうです。私が好きな相手っていうのは、春風さんです。使ってる電車が毎朝同じで…一目惚れです。気付いたら毎朝目で追って探してて、ああ、これが恋なんだなって。はぁ〜本当、好き。そう、それで、私、春風さんに告白したくて。今日バレンタンだし?手作りチョコ作って渡したいんですけど、愛原さん、春風さんの好みとかご存知ですか?ご存知ですよね?助手ですもんね。一緒にチョコ作るの手伝ってくれません?うふふ、楽しみ〜愛原さん、いや、ココさん、女の子同士でバレンタインのチョコ作りって、なんだかとっても乙女!愛情たっぷり詰めましょうね!そう、それで、勿論最後には、私と春風さんを、キューピッド・ガンで撃ち抜いて下さいね。もし振られても、ですよ!え?なんでキューピッド・ガンの存在を知ってるかって?そんなの噂になってるからに決まってるじゃないですか〜!


撃ち抜かれた二人は永遠に結ばれる、キューピッドの魔法の銃、キューピッド・ガン——


イマドキの天使のアイテムって、矢じゃなくて銃なんですね。面白〜い!さっ、そうと決まれば、チョコの材料を買いに出かけましょう〜!



「樹さまって、どんなものがお好きなんですか?」

春風薫は、手越小鞠にそう尋ねた。

二人が歩いているのは、事務所から歩いて15分くらいの、駅前のショッピングビルが立ち並ぶ通りだ。目の前のビルには「バレンタイン♡フェア」と書かれた幕が降ろされている。どうやら、いろんなチョコレートを集めたイベントをやっているらしい。二人はこのビルに、森本樹に渡すバレンタインのプレゼントを物色しに来たらしかった。

「樹の好きなもの、ですか。昔は一緒にゲームしたり、動物園に行ったり、色んな遊びをして、年頃の男の子らしく好きなものも沢山あったはずなのに。最近は本当にサッカーばかりで、遊ぶことも全然しなくて。もう彼が何を好きなのか分かりません。こんなんじゃ彼女失格ですね。」

「いや、そんなことは——」

春風薫が口を開きかけて、止めた。そして再び開いて、こう言った。

「ココ?」

「所長〜!奇遇ですね!」

前の方から、ココが能天気そうにブンブンと手を振っていた。しっぽを振る犬みたいだな、と春風薫は思った。

「あ、加藤さまもご一緒で。」

ココの横には、加藤加奈子もいた。こちらは顔を赤くして、固まっていた。

「加藤さま?どうかされましたか?うちの愛原が何かされましたでしょうか?」

春風薫は、加奈子の顔を心配そうに覗き込んだ。ココがまた何かしでかしたのではと思ったらしい。加奈子はますます赤くなって、小声で何かブツブツ言っている。

「ア…チカイ…トウトイ…」

「え?」

春風薫は上手く聞き取れなかったようで聞き返したが、ココには聞き取れたらしく、慌ててこう言った。

「しょ、所長ひどい!私は何もしてないですよ!それより所長、離れて!」

ココは春風薫の真っ白なスーツの裾をグイグイと引っ張った。

「あ、ああ?なんだ?引っ張るなよ、皺になるだろ…」

「所長のオタンコナス!もう私達行きますから!忙しいんです!」

そう言ってココは加奈子の背を押し、行ってしまった。

「何しに出てきてたんだろう、アイツら。」

春風薫はあっけにとられて二人の背を見送り、そう呟いた。



「はぁ〜近かった〜ドキドキした〜」

ビルの壁に手をつき、もう片方の手で胸を押さえながら、加藤加奈子はそう呟いた。

この人、ノリが軽いし、ブツブツ言うしでちょっと怖いけど、本当に所長のこと好きなんだなぁ。真っ赤になってる。と、ココは加奈子の様子を見て思った。

「加藤さま、大丈夫ですか?」

「心配してくれてありがとう。でももう大丈夫。あと、加藤さまじゃなくて、加奈子って呼んでね。」

加奈子は、ココの方を振り向いてそう言った。

「か…加奈子、さん。」

「そう」

加奈子にニッコリと微笑まれ、ココは少しドキドキした。加藤加奈子はなかなかの美人である。黒髪は艶やかで、瞳の黒は深く、左目の下にある泣きぼくろは色っぽい。

この人が、所長と結ばれるのか。私が、二人を結びつけるのか。ココがそんな風に考えていると、

ズキッ

胸が痛んだ。

なんだろう、この痛み。さっきも似たような痛みがあった気がする。加奈子から依頼内容を聞いたとき。それと、もう一つ。さっき、小鞠と二人で歩く所長を見たとき。なんで、なんで私は——

ココがそう思いを巡らせていると、加奈子が口を開いた。

「でも、先ほどの依頼人さんが羨ましいわ。春風さんと二人で街を歩けるなんて。まるでショッピングデートじゃない。嫉妬しちゃう。」

「嫉妬…」

ココは呆然として、その言葉を繰り返した。

嫉妬!?え!?これ嫉妬なの!?私、手越さんに嫉妬したの!?なんで!?だってそんなの、加奈子さんと一緒みたい、まるで、私が所長を——

「そう、嫉妬。負けてられないわね。さあ、チョコ作りの材料の買い出しの続き、始めましょう!美味しいチョコで春風さんを振り向かせなくちゃ!」



「さあ、では気を取り直して、樹さまに贈るプレゼントを選ぶ続きをしましょうか。」

「よろしくお願いします、春風さん。」

春風薫と手越小鞠は、ショッピングビルの中を歩いていた。ビルの中にも「バレンタイン♡フェア」ののぼりが色々なところに掛かっている。街はバレンタイン一色なのだ。

こんなに沢山のバレンタインの贈り物がある中で、私は樹に何を渡せばいいのだろう。最近はあまり樹に構ってもらえていない私に、そんなの選べるのだろうか。小鞠は、にわかに不安になった。

「春風さん、男の人って、結局何を貰うのが一番嬉しいのでしょうか?」

「うーん、男の人と言っても人それぞれですからねぇ。人によるのではないでしょうか。」

「そんなぁ…」

そう言われてしまったらそれまでだ。男の人の気持ちを教えてくれる唯一の頼りにそんなことを言われてしまったら、為す術もない。

「あ、でも!」

春風薫は落ち込んだ小鞠を見て、フォローするように声をあげた。

「なんですか?」

「女の子が、相手のためを思って、一生懸命用意してくれたものなら、嬉しいと思わない男はいないですよ。これは確実に言えます。」

そう言って春風薫はウインクした。

「相手のためを思って、一生懸命…」

小鞠は、その部分を噛みしめるように繰り返した。

「樹のため…樹のため…あっ!」

バレンタインのチョコレートコーナーを歩きながら、小鞠は何かを思いついたようだった。



板チョコレートと、生クリーム、ココアパウダー。それと、忘れちゃいけない、可愛いラッピング用品。

ココと加藤加奈子は、買い出しを終えて、春風キューピッド事務所に戻ってきた。これから事務所のキッチンで、チョコ作りを始める。

「さあ、愛情込めて作るわよ!愛しの春風さんに!」

加奈子は腕まくりをしながらそう言った。準備は万端である。

「ココさんは誰に作るの?」

「え!?私ですか!?う、う〜ん、お父さんとおじいちゃんかなぁ。」

「そういうのじゃなくて!好きな人とかいないの?」

加奈子がキラキラした瞳で尋ねて来るが、あいにくココに好きな人はいない。好きな人はいないけど、チョコ、チョコかぁ…所長にはお世話になってるし、あげようかな。義理チョコだけど。

でも、それを加奈子に言うと、面倒臭いことになりそうである。義理チョコとはいえ、女の子二人で同じ男にチョコを作るなんて変な話だ。

「えっと、秘密です…」

「あら、生意気♡」

そのハートが怖い…とココは思ったけれど、そんなこと言えるはずもなく。二人のチョコ作りが始まった。


難しい料理は得意じゃないとココが言ったので、二人が作るのは生チョコレートになった。「春風所長は甘すぎるものは得意じゃないから」というココの進言で、買って来たのはビターの板チョコレートだ。まず、板チョコレートを湯煎で溶かして、生クリームと混ぜる。そして、一口大に丸めて、ココアパウダーをまぶす。それだけだ。そんなに難しい工程はない…はずなのだけれど。


ガッシャーン!ボッチャーン!パリーン!

「ココさん、何ひっくり返したの!?」「ココさん、何落としたの!?」「ココさん、何割ったの!?」

「ひええ〜すみません〜」

事務所には、普通に料理をしていたら聞こえないはずの音が響く。その音の正体は当然、ココだ。おっちょこちょいのココには、生チョコレートを作るのさえ一苦労だった。

「もう、あなたってそんなにおっちょこちょいだったのね。噂通りだわ。」

「え!?噂ってなんですか!?」

「凄腕キューピッドの助手は役立たずって噂よ。女子高生たちの間で、恋愛を成就させてくれるキューピッドがいるって噂と一緒に流れているの。」

「そ、そんな噂が…ガーン…」

ココは分かりやすく落ち込んだ。

「うふふ。まあまあそんなに落ち込まないで。どうにか生クリームとチョコレートを混ぜるのも終わったし、あとは丸めて固めるだけよ。一緒に頑張りましょう。」

加奈子はココの方を向いて、ニッコリ微笑んだ。

「加奈子さん…ハイ!頑張りましょう!」

二人は手をがっしり握り合った。生チョコレート作りのラストスパートが始まった。



春風薫と手越小鞠は、無事に樹へのプレゼントを購入した。いよいよプレゼントを渡そうと、小鞠が樹を呼び出した公園に、二人で向かうことにした。

「春風さんは、木の陰に隠れていてください。樹にプレゼントを渡すのに、他の男の人を連れて来るなんて、変な話ですし。」

「了解しました。」

「でも、もし樹がまだ私のことを好きだと言ってくれたら…キューピッド・ガン、忘れないでくださいね。でも、もし樹が私のことをもう好きじゃないと言ったら——」

手越小鞠は寂しそうに微笑んだ。

「そしたら、別れます。キューピッド・ガンも撃ち込んでくれなくて結構です。お代は同じだけ払うので、安心して下さい。」

そう言って、小鞠は、樹のいる方へ歩いて行った。


「樹!」

小鞠がそう声をかけた先には、小鞠と同じ学校の学生服姿の少年がいた。

「小鞠…」

その少年が森本樹らしい。ほどよく筋肉のついた、体格の良い少年だった。顔は整っているが、あまり愛想のある方ではなさそうに見える。深緑のショートカットが、風に揺れている。スポーツバッグを背負っていて重そうだ。どうやらバレンタインの今日も練習があり、今の今までサッカーをしていたようだった。手越小鞠の言う通りの少年だな、と春風薫は思った。

「どうしたんだ、急に呼び出して。」

樹は不思議そうに尋ねた。どうやら今日がバレンタインだと言うことも忘れているらしい。

「えっと、あのね、樹に聞いて欲しいことがあって。」

小鞠はそう言ったあと、次の言葉を続け辛そうに下を向いた。しかし、意を決したように思い切り顔をあげると、大きな声で叫ぶように続けた。

「私、私…最近樹がサッカーばっかりで寂しかった!もう、私のことなんてどうだっていいのかなって…。私、樹に、サッカーと同じくらい、私のことも愛して欲しい!」

それを聞いて、樹は驚いたような顔をした。

「小鞠、そうだったのか…俺…ごめん。寂しい思いさせて。俺…」

「でも!」

樹の言葉を遮るように、小鞠は続けた。

「でも、私は、サッカーに⼀⽣懸命打ち込む樹のことが好きでもあるの!だから、これ…」

そう言って、小鞠は、赤いハート型の箱を取り出した。可愛らしい黄色のリボンが結われている。

「⼩鞠…これは…?」

樹は不思議そうに尋ねる。

「もう、今日はバレンタインでしょ。私からのチョコレート。ね、開けてみて。」

樹はハッと驚いたような顔をした。本当にバレンタインのことを忘れていたらしい。

小鞠が急かすので、樹はリボンをほどき、蓋を開けた。そこには…

「サッカーボール…」

箱の中には、サッカーボールの形をした、コロコロと可愛らしいチョコレートが、いくつも入っていた。

「ね、可愛いでしょ。樹に喜んで貰いたくて選んだんだ。どうかな。」

そう言って笑った小鞠の顔は、樹への思いで溢れていた。


——女の子が、相手のためを思って、一生懸命用意してくれたものなら、嬉しいと思わない男はいないですよ。


春風さんが言っていたこのセリフは、本当だろうか。でも、もし本当なら。このチョコレートには、私の樹への思いを目一杯込めた。きっと、伝わるはず!伝わって!

小鞠は、そう願った。


「小鞠…小鞠、ごめん、俺…」

樹が「ごめん」なんて言うから、小鞠は悪い意味でドキッとした。

「俺、⼩鞠が、サッカーをしている俺のことが好きだって⾔ってたから、サッカーばかりに打ち込んでしまっていた。さみしい思いをさせていたなんて…気付けなくて、ごめん。」

その言葉を聞いて、小鞠の目には涙が溜まっていた。言ってよかった。言ったら嫌われるかと思って、ずっと我慢していた言葉だったけれど。そんなことなかったんだ。

「俺にとっては、⼩鞠もサッカーも、どっちも同じくらい⼤切なんだ。チョコレート、嬉しいよ。ありがとう。これからも、俺の隣で応援してください。この先もずっと、毎年、小鞠からのチョコレートが欲しいな。」

そう言って樹が照れ臭そうに笑うから、小鞠は胸が一杯になった。

「うん!」

と大きな声で言ったと思ったら、泣きながら樹に抱きついた。


その時、


パンッ!!!


と大きな音がして、二人の胸の中心から何かあたたかいものが広がる感触がした。この先もずっと、永遠に、この人と一緒にいたい。この人が、大切なんだ。樹も小鞠も、そのあたたかな幸福感に包まれて、お互いをより一層強く抱きしめていた。



「任務完了、だな。」

夕日に染まる公園。その木の陰で、春風薫がそう呟いた。春風薫が持つ、大きなライフル型のキューピッド・ガン。その銃口から、煙が出ていた。

「まあ、俺は任務を失敗したことがないからな。当たり前と言えば、当たり前だが…まあ、でも。」

そこまで言って、春風薫は少し黙った。そして、またゆっくり口を開き、しみじみとこう言った。

「幸せそうな依頼人を見るのは、たとえ何度目でも、いいものだな。」

この男は、キューピッドの中でもエリートだった。弱冠23歳で個人事務所を持っているキューピッドは、決して多くはない。しかし、凄腕と噂されるキューピッドも、原動力は「依頼人に喜んでもらう」という小さな幸せである。そのために動けるのが、キューピッドがキューピッドたる所以なのだ。

公園の真ん中で堂々と抱き合う小鞠と樹を、一仕事終えた感慨と共に眺めていた春風薫だが、スマートフォンのベルが鳴って現実に戻された。

スマートフォンの画面には、「おっちょこちょい赤スーツ」と表示されている。

「なんだ、ココか。はぁ〜もしかしてアイツ、また何かやらかしたのか。」

春風薫は、そうため息をついて、電話に出た。

「はい、もしもし。なんだ、ココ。お前、また何か——」

「あの!」

しかし、電話の相手の声は、ココではなかった。

「わ、私、加藤加奈子です!い、今、ココさんのスマホを借りて電話していて…」

「あ、加藤さまでしたか。これは失礼しました。いかがされましたか?」

なんだ、ココではなかったのか。依頼人だったとは。危うく粗雑な言葉遣いをしてしまうところだった。と、春風薫は心の中で冷や汗をかいた。

「あ、あの…えっと…」

何やら口ごもっている。なんでだろう。加奈子の後ろの方にココがいるらしく、「加奈子さん、頑張って!」と言っているココの声が小さく聞こえた。頑張れって何をだ。

「えっと…今から、駅前の広場に来ていただけませんか?渡したいものがあって。」

加奈子はそう言った。今日はバレンタイン。バレンタインの夜に男を呼び出して、渡したいもの。恋愛成就を職業にしているくらいの春風薫だ。当然そういう雰囲気には鈍くない。

「分かりました。今から伺いますね。」

そうにこやかに言って春風薫は電話を切ったが、その後

「参ったな…」

と小さく呟いた。



駅前の広場は、イルミネーションで煌びやかに飾り付けられていた。

雪の結晶、雪だるま、ピンクのハート。キラキラと輝くイルミネーションはムードがたっぷりで、沢山のカップルが見に来ている。

その中に、少女が二人いた。ココと加奈子である。

「い、いよいよ、春風さんを呼び出してしまったわ…!ああ〜ドキドキする!」

「頑張ってください、加奈子さん。」

そう言いながら、ココはなんだかモヤモヤしていた。モヤモヤしていたが、自分がなんでモヤモヤしているのか分からなかった。生チョコ作りの味見をしすぎて、胃がもたれたのかしら?

「ねえ、ココさん、もう一度言うけど、キューピッド・ガン、よろしく頼むわね。何があっても、絶対によ。私と春風さんは、今日、永遠に結ばれるのよ…!勿論、報酬は弾むわ。」

「…はい、了解してます。」

口ではそう言ったが、胸のモヤモヤはますますひどくなる一方だった。なんでだろう。モヤモヤ、それだけじゃなくて、ズキズキもする。病気にでもなったのだろうか。ああ、まだ仕事をしなきゃいけないのに。キューピッドもまだ見習いで、今日が初めての一人での仕事なのに。このまま胸のズキズキがひどくなって、もう死んじゃうのかもしれない。享年17歳かぁ。短い人生だったなぁ。まだまだやりたいことがあった。そう、例えば恋とか。

ココがそんな風に悲観に暮れていると、隣にいる加奈子から「うぎゃっ」という声が聞こえた。驚いてそちらを見ると、春風薫が向こうから歩いて来ていた。

「コ、ココさん、隠れていて。キューピッド・ガン、よろしくね。」

加奈子が早口でココにそう言った。人混みに紛れて、春風薫はまだココには気付いていないらしい。今のうちに隠れなくては。

「分かりました。」

そう言ってココは人混みの中に隠れたが、まだ胸のモヤモヤは晴れないままだった。



「加藤さま、お待たせしました。」

加奈子の目の前に、真っ白なスーツに真っ白なシルクハット、真っ白な翼の、派手な男が現れた。本日3度目の、春風薫との対面である。

今まで何度も一方的に見つめては来たが、いざその翠の瞳に自分が映るとなると、何度だってドキドキしてしまう。それが恋心というものだろう。

「ひゃ、ひゃい…あ、ははは、はい、すみません、急に呼び出して。」

緊張した加奈子は、めちゃくちゃに噛んでしまった。

「大丈夫ですよ。それで、ご用件は。」

優しい…勿論、それは私が依頼人だからだろう。でも、この優しさを、依頼人ではない私にも向けてくれないだろうか。大切な人を見る目で、私のことを見つめて、可愛いよ、好きだよって、愛してくれないだろうか。この先もずっと、永遠に。加奈子は春風薫に見とれてボーッとしながら、そんなことを考えた。そう思ったら、言わずにはいられなかった。

「あの、これ…」

バッと音がしそうなくらい勢いよく、加奈子はスクールバッグからピンクの箱を取り出した。大きさは加奈子の両手で包み込めるくらいで、ハート柄の包装紙で包まれている。

これは、どう見ても…

「好きです!私、電車の中で春風さんを見かけてから、ずっと好きです。一目惚れでした。これ、手作りのチョコレートです。本命です。よかったら、私と付き合ってください!」



ココは、加奈子に言われた通り、人混みの中に隠れながら、二人を見ていた。

二人は何を喋っているのだろう。遠くて会話までは聞き取れない。

キューピッド・ガンを撃つ準備をしなくては。ココも見習いといえど一応キューピッドなので、キューピッド・ガンを持っていた。ツヤツヤとした半透明の楕円形のボディに、真っ赤なハートがいくつも詰まっている。可愛らしいサイズ感がお気に入りのキューピッド・ガンだ。とはいえ見習いなので、これを実際に人に向かって撃ったことは、一度もなかった。

一人で依頼をこなすのは初めてのことなので、どのタイミングで撃ったらいいのか分からない。いつもだったら「助けて所長〜」と泣きつけば、呆れながらも、丁寧に話を聞いて、所長がどうにかしてくれるのに。でも、その所長は、今はキューピッド・ガンの標的だ。そしてこれを撃ったら、加奈子のものになるのだ。もうココに優しく仕事を教えてくれることはなくなるかもしれない。

そんなの嫌だな、撃ちたくない。そう自分が思っていることに、ココはようやく気付いた。

「私、春風所長のことが、好きだったんだ…」

ココはそうポツリと呟いた。

そうか、そうだったんだ、今までの胸のモヤモヤも、ズキズキも、全部嫉妬だったんだ。所長のことが好きだから、小鞠さんや加奈子さんに嫉妬してたんだ。

なんだ、そうだったんだ、スッキリした。ココは一瞬そう思ったが、すぐに今の状況を思い出した。

「でも、所長は今から加奈子さんと結ばれるんだもんね。気付いてすぐに失恋かぁ。」

依頼人から依頼を受けたのに、今更断ることが出来るはずもなく。

視界の端で、加奈子が動いた。どうやらチョコを取り出して、春風薫に渡したようだ。

いよいよ、いよいよだ。撃たなくては。

そう思って、ココは引き金に指をかけ、春風薫と加奈子に狙いを定めた。しかし…気がつくと、目頭が熱くなってきていた。やばい、前が見えない。どうしよう。

しかも、ぼやけた視界でも、真っ白の何かが近づいて来ているのが分かった。

あ、所長だ、所長が近づいてきてるんだ。バレたんだ。私、任務に失敗したんだ。怒られる。


でも、撃たなくて済んだ、嬉しい——


ココの真っ赤な瞳から、大粒の涙が溢れた。

「お前、なんで泣いてるんだよ。」

春風薫はココの前に立って、そう言って笑った。



「あ?告白?断ったよ。キューピッド・ガンの件も、加藤さんとはちゃんと話しつけてきたから、心配すんな。」

加奈子はどうしたのかと泣きながら訊ねるココに、春風薫はそう返した。

ココが少し遠くにいる加奈子の方を見ると、少女のシルエットが肩を震わせているのが分かった。

そうか、断ったんだ。でも、何でだろう。もしかして所長、他に好きな人がいるのだろうか。

ココがまた一人でモヤモヤしていると、頭がポンポンと叩かれた。

「まあでもお前、なんで泣いてたんだ?こんなところで一人で泣いてたら危ないだろ。お前も一応女子なんだし。」

「一応ってなんですか!」

人の気持ちも知らないで、この男は。そうやって頭をポンポンされるのも、優しく微笑まれるのも、気持ちを自覚した後だといちいちドキドキしてしまう。こんなこと前から普通にされてたのに、おかしい。

「だってお前、チョコ作るのにキッチンめちゃくちゃにしたって聞いたぞ。まともな女子はそんなことしない。」

「ギクッ!な、なぜそれを」

春風薫は、ハハッと笑った。乾いた空気に、吐いた息が白く濁った。

「加藤さんに聞いた。」

「加奈子さんめ…」

ココがそう呟くと、春風薫はまたおかしそうに笑い、当たり前のようにこう言った。

「で?俺へのチョコは?お前も作ったんだろ?」



「な、なぜそれを!?加奈子さんにも言ってないのに!?所長エスパーですか!?」

「うっるさいなぁお前。そんなに大きい声出すなよ。」

春風薫は耳を塞ぐようなポーズをして、うるさそうに顔を歪めた。

「勘だよ、勘。で、どうなんだ?あるんだろ?寄越せ。」

そう言って春風薫はズイッと手の平を出してきた。ここにチョコを置けということらしい。

「あります、はい…」

そう言ってココも、チョコを取り出した。ハート型の真っ白な箱に、赤いリボンを結んだものだ。ハート型にしたのは、なんとなく可愛いから、だったが、気持ちに気付いた後だと恥ずかしい。白と赤って、なんだか私たちみたいだし。

なんとも言えないむずかゆい気分になって、ココは春風薫の顔を見られない。所長、今どんな顔してるんだろう。

「ふーん。ありがとう。で、もちろん本命だよな。」

顔は見えないが、上の方から春風薫の声がした。

「何言ってるんですか!義理ですよ義理!」

ココは大慌てで否定した。まさか春風薫からそんなことを言われると思っていなくて、混乱したのだ。しかしすぐに、「あちゃ〜この機会に本命って言っておけばよかった!」と後悔した。気持ちを自覚したばかりで、それを上手く伝えられない。

「冗談だよ冗談、そんなに怒るなよ。」

春風薫はそう言ってまた笑ったが、なんだか寂しそうに見えた。なんでだろう、とココは不思議に思った。

あ、そういえば、なんで加奈子さんの告白を断ったのかも聞いてないな。しかも、加奈子さんのチョコは断っておいて、私のチョコは請求するのか。なんでだろう。所長は不思議な人だなぁ。ココは能天気にそう思った。

ココは気になったことを胸の中に置いておけるタイプじゃないので、早速春風薫に質問した。

「所長、なんで加奈子さんの告白断ったんですか?他に好きな人がいるとか?」

不思議そうに聞くココを見て、春風薫は「お前、分からないのか…」と呟いた。

「分からないって、何がですか?」

「はぁ〜、もういい、お前はそういう奴だったな。」

春風薫は悩ましげにそう言った後、立てた人差し指を口の前に持ってきて、こう言った。

「今はまだ、秘密な。」



イルミネーションの中を、翼の生えた二人のキューピッドが歩いていく。春風薫とココだ。どんどん遠ざかっていくその後ろ姿を眺めながら、加藤加奈子は肩を震わせていた。


——すみません、加藤さま。いや、すまない、加藤さん。俺、あなたの告白は受けられない。


そう言って申し訳なさそうな顔をした春風薫が、脳裏に焼き付いて離れない。


「違う、好きな人とかじゃなくて。ただ、ココが…あいつ、本当にまだまだへっぽこなキューピッドなんだよ。俺が急に誰かと結ばれて、事務所を畳んだら、あいつはどうするんだ。あいつが一人前のキューピッドになるまで、俺は見守らなくちゃいけない。キューピッド・ガンも当然撃たせないよ。」

春風薫はそう言っていた。でも、そんなのおかしい。愛原ココは、ただの助手のはずだ。キューピッド事務所なんて、この世には他にもある。わざわざ春風薫の元でなくてはならない理由などない。

でも、加奈子には分かった。春風薫のことが好きだから、ずっと見てきたから、分かってしまった。

「分かりました…春風さんは、ココさんのことが好きなのですね。」

「いや、だから違うって、好きとかじゃなくて——」

「違わないです。あなたはココさんのことが好きです。ココさんがあなたがいないと困るんじゃない。あなたが、ココさんがいないと困るんじゃないですか?」

「それは…」

春風薫は言葉に詰まった。

「もしココさんが好きではないというなら、告白を断られるのに納得が出来ません。私と付き合って下さい。キューピッド・ガンも撃ち込んでもらいます。…それが出来ますか?」

そう言って加奈子は、キッと春風薫の瞳を見つめた。緑の炎が揺れているような瞳だった。どうやら本当に気付いていなかったらしく、動揺しているようだ。キューピッドなのに、自分の気持ちには鈍いらしい。

「そうか…」

春風薫が呟いた。

「俺…ココのことが好きだったんだ。」


失恋が決定した瞬間だった。さっきからそのシーンが何度も頭を巡って、離れない。

「背中を押すようなことしちゃったな…悔しい…」

加奈子はもう豆粒ほどの大きさの二人を眺めながら、そう呟いた。

「私をフッたからには、ココさんと幸せにならないと許さないんだからね。春風さん。」



これは、とある国の、とある街の、とある事務所の、とあるバレンタインの一日のお話——

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見習いキューピッド♡ココ〜バレンタインは大忙し!?〜 @oita_pikapika

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