第48話 少女に死を捧げる


 やめろ。そんな声で囁くな。

 

 俺に話しかけるな。


 やめろ。俺は『人間』を……殺したくはない……。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」



 頭がどうにかなりそうだった。ずっと脳内に響き渡る声によって……。


 そしてその願いは、『殺して』。それだけだった。


 今までと同じだ。今までと。


 知りたくはない、気がついてはいけない真実が否応無く俺を襲う。


 俺は気がついていた。十層、三十層、四十層、そしてこの五十層で戦っている蜘蛛たちが人間だと言うことに。詳しく言えば、人間と蜘蛛のキメラだ。おそらく、心は人間、体は蜘蛛なのだろう。ホムンクルスと違い、予め存在している人間の心を魔物に組み込んだ代物。これこそが、第六迷宮の真実だった。


 そして俺は、あの時の言葉を思い出していた。


「それに、君はもう戦っているだろうけど、世界の魔物の異変も真理探究者ファナティコスが人為的に起こしているものだ。人間を実験台にしてね。君は知るよ、この第六迷宮の最深部で……奴らの非道な実験の結果をね」


 あの時のやつの言葉はこれを言っていたのだ。だから俺は違和感にすぐに気がついてしまった。


 あの蜘蛛たちが非道な実験の結果なのだと。


 そして彼らは死を願っていた。俺たちを殺そうと言う意志は感じ取れたが、その中には明確な『死にたい』と言う願いがあった。


 そして俺は迷いながらも、それを叶えてしまった。


 それが正しいのかは未だに分からない。


「ありがとう」

「ありがとう、優しい人」



 そう声をかけられた。感謝されたのだ。だから間違ってはいない。でも、俺の手にはべっとりと他人の血がこびり着いているような錯覚に陥る。




 そして目の前の古代蜘蛛エンシェントスパイダーは死を願いつつも、俺に攻撃を仕掛けてくる。全てが死に直結しており、少しでも油断すれば俺は死ぬ。


 だからこそ、俺もこいつを殺す覚悟で戦うしかなかった。


 もう止まることはできない。


 俺かこいつか、どちらかが死ぬまでこの戦いは続く。そしてあの少女は……死を願っている。何かに抗いながらも、必死に俺に伝えてきている。


 その願いを叶えるべきなのか、俺は未だに迷っている。


 どうすべきなのか、どうしたらいいのか、そんなことを考えながら俺は戦っていた。


「キ、キ、キ、キィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!」



 古代蜘蛛エンシェントスパイダーが鳴いている。だが俺は分かっていた。


 これは慟哭どうこくなのだと。いているのではない、これはいているのだ。


 それに気がつくと、刃が鈍る。思考が鈍る。手が震える。


 でも俺は進まなければならない。死を願っている少女に、終わりを渡さなければならない。


 何も知らない少女。顔も声も、しっかりとしたものは分からないし、会ったことも話したこともない。でもあの中にいるのは確かに少女で、俺に語りかけていると分かる。



『お願い、私を終わらせて……?』







 瞬間、古代蜘蛛エンシェントスパイダーが雄叫びをあげる。




「キキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」




 明らかに異常な第一質料プリママテリアの収束。俺はそれを絶対領域サンクチュアリで感じ取っていたが、何かおかしい。


 これは第一質料プリママテリアなのか?


 俺はそう考えるとあいつの言葉を再び思い出していた。


「君たち錬金術師は第一質料プリママテリアこそが、全ての根幹だと思っているようだけど、実際は第零質料アカシックマテリアが世界の根幹。全は一、一は全。それを成しているのは第零質料アカシックマテリアだけさ。魔法使いたちは例外なく、第零質料アカシックマテリアを使う」


 そうこれは……第零質料アカシックマテリアであり、魔法なのだと気がつく。


 そして次の攻撃でこいつは俺を殺しにくる。だが今の俺に何ができる……? そう考えているとふと思いついた。


 そうだ。俺は今まで野菜たちの中にあるコードを書き換えて、遺伝子組換えを行い、その存在を変質させてきた。


 ならば人間にもコードを書き換えるのは可能じゃないのか?


 俺はそう思考して、意を決して実行する。


「……遺伝子改造オルタードコード


 そして俺は体内のコードを書き換える。今までよりも第一質料プリママテリアの通りをよくし、最大の欠点である魔力の貯蔵を拡大する。魔力は一般的に脳の前頭前野という部分にあると言われている。そこを俺は自分の意志で肥大化さえ、身体中のコードを書換リライトする。


「ぐ、うううううううううううううううううううッ!!!!」


 頭が割れてしまいそうなほど痛い。だがこうしなければ、あの攻撃には耐えることはできない。今の俺では届かない。ならば、俺は今を超えればいい。書き換えればいい。自分自身を。


 あの少女のためにも……俺は……。


 そして俺は全ての工程を処理した。見た目に変化はない。だが俺の中身は確かに変質した。人間のコード配列を無理やり書き換え、さらに錬金術に適応するように脳から体まで書き換えた。


「……スゥウウウウウウー、ハァアアアアー」



 深呼吸をして、俺は薄羽蜉蝣を構える。


 それと同時に、やつも準備が整ったのか魔法を発動してくる。


「キキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」


 それは空から降り注ぐ、無限の業火だった。天から落ちてくる炎の波。防ぎ切らなければ、俺と……そしてフィーとモニカも死ぬ。


 だからこの攻撃に全てをかける。



「……属性付与エンチャント絶対零度アブソリュートゼロ



 そして俺の錬金術と、少女の魔法が交錯した。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」



 一手では足りない。あの時の、アルタートの時のようにはいかない。これは魔法なのだ。ならば、俺は数で補う。すでに以前の俺はいない。今ならば、俺は絶対零度アブソリュートゼロを連発できる。


「キキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」




 少女も負けじと、それに対抗する。

 

 業火と絶対零度。ぶつかり合う互いの意志。互いに明確に殺すという意志を込めて、攻撃を放ち続ける。





 そして……永遠かと思われた攻防の終わりは、あっけなく訪れるのだった。



「……ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



 互いの攻撃が途切れた瞬間、俺はすでに地面を駆け出していた。いつものように薄羽蜉蝣を地面と平行にして、地面を超高速で疾走していく。


 そういつものように。今まで幾度となく繰り返してきたように。俺は……俺は……。この少女を、殺す。



 そして飛翔して、脳天めがけてこの刃を……振り下ろした。


 震えはあった。恐怖はあった。それでも俺は、刃を振るった。



「キ、キ、キ、キ、キ、キィイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!! キ、キ、キィイイイイ……キィイイ……ィイイ……ィィィ……ィ……」



 全身を震わせてそう叫ぶ。だがもう終わりだ。全てが終わった。脳天がパックリと裂けて体液が溢れ出す。それと同時に大きな地響きを上げながら、古代蜘蛛エンシェントスパイダーは倒れこんだ。


 どくどくと溢れる体液をじっと見つめる。そして薄羽蜉蝣を降ると、地面にその体液がピッと付着する。


 終わったのだ。俺はやりきった。


 だが、今回は違う。俺は全てを知っていて、そして覚悟の上で人を殺したのだ。


 だが人の定義とはなんだ? 心と体、どちらかが揃えば人なのか? こいつは本当はただの蜘蛛じゃないのか? でもそうではない。俺の心はそうだと思えなかった。


 ずっと声を聞いていた、少女の声を。


 その悲痛な叫びを、慟哭を、死にたいと願う少女の声を、俺は聞いていた。


 この迷宮で何百年もずっと一人でいた少女の願いを、俺は叶えて上げたいと思った。


 そして、俺がこの蜘蛛を……いや、少女を殺したのだ。




 今までの戦いに比べると呆気なく、そして容易に終わった。体に疲れはそれほどない。俺は、俺たちは第六迷宮を踏破したのだ。



 だが俺は今までよりも、ずっと、ずっと、心に何か重いものがのし掛かっている気がした。


 そして地面にひれ伏した古代蜘蛛エンシェントスパイダーを見ると、小さな光のような粒子が天に向かって散っていく。


 まるで綺麗な雪がパラパラと降るのではなく、昇っていくような……そんな幻想的な光景だった。


 俺はこれも知っていた。第十層で凍らせた個体はきっと、このようにしていなくなったのだろう。三十層と、四十層で燃やしていたのはこの光景を直視しないためだ。逃げるために、正当化するために、俺は隠したのだ。


 でも、もう……逃げることはできないし、隠すこともしない。


 俺はこの少女と向き合う必要があるのだ。殺した者の責務として。


『ねぇ……あなたの名前は?』

『エルウィード・ウィリス。みんなにはエルって呼ばれている。君は?』

『私は、エリサ。エル、ありがとう。兄も、母も、父も、そして私もあなたに感謝しているの。私たちを殺してくれて、ありがとう』

『死は……救いになるのか。俺は迷って、逃げて、隠して、後悔して、そして……』

『救いになるわ。あなたは私たちに終わりをくれた。それは本当に感謝しているのよ。だから泣かないで……』

『……俺は、正しいことをしたのか……?』

『えぇ。でもね、正しさなんて結局は主観的なものよ。あなたは私たちにとって正しいことをしてくれた。だから、こう言わせて……ありがとう』

『エリサ……どうか安らかに……』

『えぇ、さようならエル。どうかあなたに最大の幸福が訪れますように……』



 そして目の前にいた古代蜘蛛エンシェントスパイダーは、いや……エリサは還って逝った。全てが粒子となり、光となり、輝きとなり、この世界に溶けていく。どこまでも透き通るように、穢れなき光となって散っていく。



 そして天高く昇るようにして、少女は旅立って行った。





 俺はやり終えたのだろうか……。



 呆然と立ち尽くしたまま、そして涙を流したまま、俺はじっと天を仰いでいた。どうか、どうか、安らかに眠れるようにと祈りながら俺はじっと宙に舞う少女の残滓ざんしである、光の粒子を見つめていた。





 こうして俺たちは、第六迷宮を踏破したのだった。


 世界で二番目の迷宮踏破者になったのだ。


 でもそこに……ほこりなど、無かった。

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