夏の日、あの場所で待ってる。

 翌朝、柚希は俺の前から姿を消した。


 今回は手紙も何も置かれてはいなかった……。


 俺はいつも通りに過ごしていた、柚希の好きだった鉢植えに水をやる、


 いつもお兄ちゃんは水のやり過ぎだって怒られたな。


 それじゃあミニトマトさんが溺れちゃうって、クスクス笑っていたっけ……。


 真っ白な部屋を隅々まで掃除する、俺達には広すぎる位で掃除機でも大変だ、


 だけど時間は沢山あるので丁寧に掛けた、柚希が帰ってきたら驚くのを期待して。


「鬼の霍乱かくらんだよ、毎日やらなきゃ意味ないから、お兄ちゃん!!」


 俺は柚希が毎日、隅々まで掃除をする意味が分かっていなかった……。


 俺は何て間抜けだ、お前がいなくなって初めて気付いたよ、


 どれだけこんな生活に憧れていたのか、俺が自分の家族や家の話をする時、


 お前の表情に影が射したこと、理解してやれなかった。


 あるじが居なくなって、がらんとしたキッチンの上に折り畳まれた

 オレンジのエプロン。


 俺が恐竜の刺繍と言って気まずくなったな、苦笑しながら手に取る。


 次の瞬間、俺の顔から笑みが消えた……。


 刺繍の絵とは違って上手な文字が、新たに追加されていた。


 ……ガナーピーアンドフレンズ。


 柚希の大好きなキャラクター、ビーグル犬と相棒のモントレー。


「くっ、うあああっ!!」


 俺は柚希がいなくなってから初めて泣いた……。


 顔を埋めたオレンジのエプロンからは微かに柚希の香りがした。


 俺と柚希との生活は終わりを告げた。


 俺は何が出来たのだろうか、柚希を苦しめただけではなかったのか、


 別荘の鍵を閉めながら自問自答する。


 *******


 答えが出ないまま帰宅した俺を、天音や親父は何も言わず迎えてくれた。


 それから数日間、引き籠もり時代に逆戻りしたように何もやる気が起きなかった。


 柚希との生活が続かないことくらい、最初から分かっていたんだ。


 だけど彼女を救えるのは俺だけだと思っていた、いや驕り高ぶっていたんだ。


 その日の夜、天音から萌衣ちゃんが俺を訪ねてきたことを聞いた。


 柚希のこと、ありがとう、そう言って帰ったそうだ。


 俺は合わせる顔がなかった、見ない振り、自分を正当化する言葉ばかり浮かぶ。


 そうして数日が経過したある日、けたたましい音で目が覚めた。


「何だ、この音は、うっせえな……」

 久しぶりにカーテンを開けると眩しい光に目が眩む、


 窓の外には……。


「おい、引き籠もりの宣人、降りてこいっ!!」


 けたたましい音の正体は、俺のベスパモドキ号?


 いや違う、この音は二ストロークだ、俺のモドキ号は四ストローク、

 この社外チャンバーの音は?


 ベスパモドキ号とは同型だが、ボディーカラーは目の覚めるようなオレンジ色。

 小脇にジェットヘルメットを抱えた女の子は……。


「お麻理!? 何で、お前がバイク?」


「へへっ、内緒で教習所行ってたんだよ、驚いた?

 どうでもいいけど早く用意して、レディを待たせないの!!」


 意外すぎて驚いた、幼馴染みの俺が一番良く知っているが、

 お麻理は昔から、自転車を始め壊滅的に乗車センスがない、

 自転車の補助輪が外れるのも一番遅くて、天音に呆れられる程だった。


 そんなお麻理がバイク? 良く免許取れたもんだ。

 急いで身支度を調え、表に出る。


 俺を待っていたのはお麻理だけでなく、ガレージには天音と親父もいた。

 それも妙な素振りで笑いを堪えているようだ。


「天音、それに親父、あっ、さては二人の差し金だな、お麻理のバイクデビュー」


「違うよ、僕達も驚いたけど、サプライズで驚かせるんだって、

 お麻理お姉ちゃんがね……」


「宣人、石坂文化堂のおやっさんに骨折って探して貰ったんだ、

 最近は二ストローク車は少ないからな……」


 兄貴の時も俺にバイクを進めてくれたのは親父だ、今回も心配掛けちまったな。

 それに石坂文化堂、中総高校最寄りの本屋兼バイク屋さんだ、

 子供の頃から家族ぐるみでお世話になっている。


「どうしてベスパモドキなの、女の子なら原付とか、ほらビーノやジョルノとか」


「もちろん国産も可愛いし壊れないって、宣人のおじさんにも反対されたけど、

 私、これがいいんだ、宣人が乗っていて見慣れてるのもあるけどね、

 初めて対面したとき、これだって思ったの、この子は私に乗られたがってる、

 そうワンちゃんみたいに……」

 お麻理が鉄製のフロントカウルを愛おしそうに撫でた。


「でも二ストロークをなんで選んだの、チャンバーからオイル飛ぶし、

 白い服じゃ乗れないぞ、あと俺が後ろ走るのもご免だ、オイルまみれになっちまう」

 そうなんだ、現行車では四サイクルばかりになったが、親父が若い頃は

 スクーターと言えば二サイクルばかりで、当時乗っていたトレーシー125と言う

 スクーターはじゃじゃ馬で、スクーターのRZと呼ばれていたそうだ。

 俺も親父に子供の頃、無理矢理タンデムさせられて、

 信号スタートでウィリーして、あやうく落っことされそうになり、

 しばらく俺はバイク恐怖症になったんだ。


「だって宣人より遅かったら、何だか悔しいじゃん、ふふっ!!」

 初心者のくせに末恐ろしいな……。絶体に一人では行かせられない。


「じゃあ、天気も良いし初ツーリングいこうか!」


「えっ、いきなりかよ、免許取り立てで大丈夫なのか?」

 お麻理は昔から無鉄砲な所がある、こうと決めたら引かないんだ。


「宣人お兄ちゃん、お弁当二人分作ったから持っていってね!」


「ありがとう、天音ちゃん、それにおじさんも最終整備してくれて……」


「麻理恵ちゃん、お安いご用だよ、あっ初期慣らしもあるから、

 これはおじさんからのプレゼント」


 そう言って親父は胸部プロテクターを手渡した。


「あっ、ありがとうございます、これは?」


「嫁入り前の大事な身体だからね、何かあってはいけないから、

 ジャケットに対応して装着できるから、早速付けてごらん」


「じゃあ、胸のところに入れるんですね、んしょ、こうかな?」

 お麻理がジャケットにプロテクターを装着した。


「お、お麻理、お前スクーターで良かったな、

 おっぱいが大っきいから前傾のキツいスポーツタイプだと、

 胸がつっかえちゃうぞ」

 思わず吹き出しそうになる、お麻理は結構巨乳なんだ、

 プロテクターで胸がさらに強調される。


「宣人のスケベ、どこ見てんのよ!!」

 真面目に張り倒されそうになる。


「プロテクターは降りた後、外せるから大丈夫だよ、まあツーリング先で

 注目されても俺が困るからな……」


「えっ、それって私を心配してくれるの、大事な幼馴染みの胸を

 他の男に見せたくないとか?」


「ば、馬鹿、そんなんじゃないよ……」


 そんな俺達のやり取りを天音と親父が嬉しそうに眺めている、


「じゃあどこ行こうか?」


 インカムマイクのテストで会話してみる、


「私、アニメの聖地巡礼行きたいな、ちょうど十周年目の大好きな作品があるんだ」


「おいおい、また眼鏡を掛けてた時、私に似てるとか言ってたアレか、

 あの委員長キャラだっけ…… でも勘弁してくれ、埼玉の外れだろ、

 一応、お前のバイクの排気量大丈夫だけど、遠すぎるから千葉県内にしようぜ、

 結構聖地も多いし…… ほら鴨川エナジーとかも飲めるから」


 何とか折衷案を模索するが、お麻理はどうしても行きたいらしい。


「まあ、宣人、のんびり行ってこい、お父さんのキャンプ道具貸してやるから、

 連休だし泊まってきてもいいんじゃないか?」


「えっ、宣人とお泊まり? どうしよ準備が足りないかも……」


「お麻理お姉ちゃん、何の準備?」

 天音の的確なツッコミにお麻理があたふたする。


「ええっ、まあっ女の子の準備が色々とね……」


「大丈夫だよ、お兄ちゃんはジェントルマンだから、

 ちゃんとお麻理お姉ちゃんをエスコートしてくれるよ!!」


「うん、そうだね、天音ちゃんありがと……」


 俺はそのやり取りを見ながら考えた、お麻理が今日誘いに来た訳を……。

 前回の引き籠もりの時も辛抱強く家に来てくれたんだ、

 自分がツーリングに行くと言えば、俺は否応なしに付き添うからだ。


「よし、じゃあ行こうか、お前の好きな場所、一度行ってみたかったんだろ、

 まあ俺もわらじカツとか食べたいしな……」


「えっ、宣人、本当にいいの?」

 お麻理が驚いて目を丸くする。


「ああ、だけど昼飯はお前のおごりな!!」


「相変わらずせこいんだから、宣人は……」


「気をつけて行ってらっしゃい!!」

 天音と親父が手を振って送り出してくれる。


 お麻理の緊張ぶりに心配になるが、特殊なハンドシフトの操作は

 石坂文化堂のおやっさんにレクチャーを受けたみたいで手間が省けた。

 左右の安全を確認して、ゆっくりと車道に出る。

 午前の陽射しが二人の鉄製スクーターにきらきらと反射する。


「……あれは!?」


 俺は先行するオレンジの車体を見て驚きを隠せなかった。


 特徴的なサイドカバーの膨らみに貼られたステッカー。


「ガナーピーとモントレーだ!!」


 柚希の大好きなキャラクターが貼られていた……。


「お麻理、お前、そのガナーピーのステッカーは?」

 彼女にインカムマイクで語り掛ける。


「宣人、私達も子供の頃、四人でいつも一緒だったでしょ、

 だから柚希ちゃんも連れて行ってあげたいんだ、

 せめて大好きだったガナーピー達だけでも……」


「お麻理……」


 あの村一番の柿の木が目の前に現れた気がした。

 その木の下には青いワンピースの柚希、

 あの頃と同じく、眉を微妙に歪めた困り顔で微笑んでいた。


 柚希、ごめんな、もう少しみんなと頑張らせて欲しい、

 全てが終わっても、お前はもう俺の前に姿を現さないかもしれない。


 だけど俺達はいつまでも一緒だ、

 あの柿の木の下でお前の帰りを待っているから……。



  ◆◆◆お礼・お願い◆◆◆


 最新話まで読んで頂き、ありがとうございました。

 面白いと思っていただけましたら、


 レビューの星★★★でご評価頂けたら嬉しいです。


 つまらなければ星★1つで構いません。


 今後のやる気や参考にしたいので、何卒お願いしますm(__)m


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