避暑地の出来事……

「柚希、おしり痛くないか?」


「……うん、平気だよ、宣人お兄ちゃん」

 前かごに詰め込んだ荷物が、カタカタと音を立てた。

 深い轍に自転車の前輪を取られぬよう、慎重に道を選ぶ。


 岬まで続く海沿いの道を進む、二人乗りの自転車。

 明るい返事にひとまず安心する、今日は誘って良かった……


「後ろにクッション敷いてくれたから、

 ぜんぜん痛くないよ、お兄ちゃん!」

 無邪気に笑う柚希、あの頃から変わらない。


「ごめんな、無理言っちゃって、俺の思いつきに付き合ってくれて、

 お弁当、作ってくれたんだ、ありがとな……」


「ううん、柚希も誘ってもらえて嬉しいんだ……

 お兄ちゃんとお出かけ出来るって!!」

 こんなにはしゃぐ柚希をみるのも、何時振りだろう、

 彼女の笑顔がすごく嬉しい、シンプルな感情に胸が高鳴った。

 自転車のハンドブレーキを強く握りしめると、車体が後方に減速するが、

 俺の気持ちは、どんどん前へ前へと引っ張られるようだった……


 今朝、窓から見かけた場所に俺達は向かっている、

 そうだ、今日は対岸で花火大会も開催されるらしい、

 岬の公園には塔があり、そこから眺められたら最高だろう、

 今日一日は何もかも忘れて楽しもう……

 俺の期待が伝わったのか、腰に回した柚希の腕に力が込められ、

 それを身体で感じながら、俺は朝の出来事を思い出した。


 柚希は出掛ける前に玄関先で、ぼつりと呟いた、


「この光景、目に焼き付けておくんだ……」


「柚希? まだ出掛ける前だよ、気が早すぎじゃないの」

 自転車を玄関ポーチに降ろしながら後ろを振り返る。

 彼女は無意識に泣いていた、自分でも気がついていないようだった。


 ぽろぽろと玄関のタイルに涙が落ちた……


「大丈夫か! 柚希、どこか具合でも悪い?」


「……ううん、違うの、悲しいんじゃないんだ、柚希ね、

 何でもないことが嬉しいんだ、お兄ちゃんの背中、洗いざらしのシャツ、

 青い自転車、好きな人のために作るお弁当、ありふれているけど、

 今の柚希には最高のギフトなんだ……」

 そして華奢な指先でかたちを作り始めた、右手の人差し指と親指、


「宣人お兄ちゃん、お願いがあるの、左手を出して貰っていい?

 そしたらね、柚希とおんなじ形作ってくれるかなぁ……」


「柚希これでいい?」

 見よう見まねで柚希の指先を真似た、人差し指と親指を立てる。


「そうそう、それでね、柚希の右手とくっつけこして……」

 彼女は急に幼い頃のような口調になった。


 お互いの指先で形作った、自然なフォトフレームが完成した。


「お兄ちゃんの左手と、柚希の右手、ずぅっと仲良しでいられたらいいのに……」


「何、言ってんだよ、これからもずっと一緒にいられるだろ!!

 昔も、今も、これから先も!!」


「そうだね、お兄ちゃん……」

 柚希と二人で作ったフォトフレームには何が写っていたんだろうか……

 今となっては知るよしも無いが、もし人生最後に思い出すなら、

 狂おしいほどの青い海と空ではなく、なんでもないあの光景を浮かべるだろう。


 あの夏の光景を、俺も一生忘れないだろう……。



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