きみのとなり

 香菜ちゃんとの特訓は一日中続いた、只の雑巾掛けとあなどるなかれ、

 全身を酷使する運動で俺は疲労困憊だったが、この気持ちは何だろう、

 疲れの中で見えた景色は、自分でも驚く程、清々しい気分だ、

 そう、無心になれたんだ……


 そして何より、自分以上に喜んでくれる人が隣に居る、


「沙織ちゃん! 本当に良く頑張ったね、お疲れ様……」

 今日のパートナーである彼女が労をねぎらってくれた、

 その姿を見て俺は驚きを隠せなかった……

 小さな身体を震わせ、泣きじゃくる彼女、

 だけど悲しみの涙ではなく、俺の頑張りに対して泣いてくれたんだ、

 俺は香菜ちゃんの事をまるで判ってなかった……

 普段の彼女は、突飛な行動が目立ち、いつも紗菜ちゃんに叱られてばかり、


 そのやり取りを見て、俺は勝手に決めつけていた、

 妹気質の甘えん坊な女の子だと……

 甘えん坊の一面だけじゃない、香菜ちゃんのもう一つの側面、

 そこに気付くのが遅かった、今日だけでも彼女の言葉には、

 ヒントがちりばめられていた、以前姉妹で参加した本山での修行、

 雑巾掛けの意味を訊いた時の微妙な表情、彼女も紗菜ちゃんと同じ位、

 歴史ある天照寺に生まれた宿命に、翻弄されてるのかもしれない。


「香菜ちゃん、ありがとう……」

 自然に感謝の言葉が出た、苦しさを共有した者同士だから理解出来る、


「香菜ちゃん、これが作務の教えなんだね……」

 清々しい気持ちになった事が今、ストンと腑に落ちた、

 花井住職が言っていた作務の教え、掃除を精神修行と捉え、

 内なる心を見つめ直す、最初は何故、雑巾掛けが修行なのか疑問だった、

 和尚は修行にかこつけて、俺達部員をタダ働きさせるんじゃないかと。


「ピンポーン! 正解だよ、沙織ちゃん、」

 いつもの笑顔に戻った香菜ちゃんが答える。


「だけどね、まだスタートしたばかりなんだよ……」


 俺達が一日かけて掃除した長い廊下、一段と黒光りした床板、

 その両側の白壁、窓の外はすっかり暗くなっていた……


「香菜ちゃん、お腹空いちゃったね……」


「うん! ペコペコだよぉ!」


 お昼はお弁当のおにぎりだけだったので、確かにお腹が空いてしまった、


「沙織ちゃん、いったん部屋に戻って着替えよっか?」

 香菜ちゃんの提案に頷く、今日一日で汗もかいたし着替えたい所だ、


「ねえ、沙織ちゃん、一緒にお風呂入ろっか?」

 何よりズルい笑顔で香菜ちゃんが訊いてきた、

 先程の前言撤回だ、普段の香菜ちゃんに戻ってしまったぞ、

 一緒のお風呂はマズい、萌衣ちゃんの時は奇跡的に誤魔化せたが、

 そうそうラッキーは起こらない……


「あ、ああ、お風呂は駄目だよ、恥ずかしいもん、一緒だなんて……」

 しどろもどろになりながら何とか断ろうとする。


「大丈夫、大丈夫、香菜にまかせて、恥ずかしくないようにするよ!」

 んっ? 恥ずかしくないようにするって何……

 香菜ちゃんの言っている意味が判らないぞ。


「とにかく部屋に戻ろう!」

 香菜ちゃんに急かされながら長い廊下を走り出した、


「よーし、沙織ちゃん、部屋まで競争だよ!」

 香菜ちゃんのトレードマークである右向きで結わえた髪が激しく揺れる。

 俺も慌てて後を追うが、香菜ちゃんに追いつけない、

 すっかり先に行かれてしまったぞ、相変わらず元気だな。


 廊下を出た所で人とぶつかりそうになってしまった、


「すみません……」

 非礼を詫び、挨拶を交わそうとした俺は驚いてしまった。


「花井師匠!」


「宣人君、お疲れ様、今日はゆっくり休むと良い」

 俺は花井和尚とぶつかりそうになった事に動揺を隠せなかった、

 いや何より花井和尚には、全てを見透かされているような気分になってしまう。


「宣人君、気を付けるとよい、女難の相が出ておるぞ」

 花井和尚が俺の顔をじっと見据えながら言い放った。


 女難の相って一体、何? 俺の合宿、これからどうなってしまうのか! 

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