Race into the light
「スタート!!」
天照寺名物、雑巾掛けレース一本目の始まりだ。
俺は香菜ちゃんの走りに触発され、男の娘(?)の意地を見せるべく、
勢いよく飛び出せて、我ながら好スタートが出来たと思った、
はずだったんだが、この雑巾掛けレースの過酷さにすぐ気がついたんだ……
立っていた時より、雑巾掛けの姿勢は低くなる、
丁度、四肢で歩行する動物の姿勢と目線だ、
犬や猫の見ている風景と考えてもらうと分かりやすい。
その低い目線でみた廊下は、ゴールまで果てしなく長く感じられ、
俺のメンタルを容赦なく、へし折りに来るんだ……
歴代の修行僧が繰り返したであろう清掃によって、
黒光りする廊下、それにから拭きではなく濡らした雑巾、
固く搾ってはいるが、水分が廊下との抵抗になり俺の体力を奪うんだ。
「これはキツい……」
思わず口に出してしまう程だ、両足に負荷が掛かり、太ももがプルプル痙攣する。
ゴールは遙か彼方なのに、心が折れてしまいそうだ……
「沙織ちゃん、良いペースだよ、ファイト!!」
ゴール脇から香菜ちゃんが声援を送ってくれたんだ、
萎えそうになった俺の心に、香菜ちゃんの声援が火を点けたんだ……
「わあああああ!!」
言葉にならない叫び声を上げながら、香菜ちゃんのいるゴール目指して
俺は突進した、裸足の指が折れんばかりに廊下の床板を夢中で蹴っていた。
「ゴール!!」
香菜ちゃんの立っている脇には、何やら機械が両側に置いてあり、
俺が勢いよくゴールラインを越えると、電子音が鳴り響いたんだ。
「凄いよ、沙織ちゃん、好タイムだよ!」
勢い余ってゴール先の壁にぶつかり、もんどり打っている俺の首に
香菜ちゃんが抱きついて来たんだ……
どうやら、ゴール脇の機械はタイム計測器のようだ。
「沙織ちゃん、初めてとは思えない、絶対素質あるよ!」
無邪気に喜ぶ香菜ちゃんを尻目に、俺はヘトヘトで笑う気力も無い、
「香菜ちゃん、好タイムっていくつなの?」
「うん! 私の平均タイムから5秒遅れ位だよ」
笑顔で香菜ちゃんが答える、五秒差と言ったら短距離走では
致命的な差になる……
「何だぁ、全然駄目じゃん……」
「そんなことないよ、凄いことだよ、初めてでこのタイムは」
がっかりする俺を、すかさず香菜ちゃんが慰めてくれる、
「それにいきなり香菜のタイムを越えちゃったら、
私達、姉妹の立つ瀬がなくなっちゃうでしょ……」
「姉妹ってことは、やっぱり紗菜ちゃんも速いの?」
「勿論だよ、天照寺Zー1グランプリ歴代記録保持者だからね!」
自慢げに香菜ちゃんが胸を張る。
あのおとなしい紗菜ちゃんが最も凄いのか……
何だか奥が深いぞ、雑巾掛け!
「公式レースでの世界記録は、十六秒で百メートルの廊下を駆け抜けるんだよ、
凄いでしょう!」
確かに凄い、普通の百メートル走でも十秒切りが世界記録だから、
雑巾掛けで十六秒は驚異的だ……
「でも、何で香菜ちゃん達はそんなに良いタイム出せるの?」
素朴な疑問で聞いてみた、
「それはね……」
俺の何気ない質問に、香菜ちゃんが言いよどむのが感じられた、
「香菜ちゃん?」
急に黙り込んでしまった彼女に、慌てて声を掛ける。
「ゴメンね、沙織ちゃん、今は言えないの、
だけどね、香菜を信じて欲しい……」
いつもの無邪気な香菜ちゃんと同一人物とは思えない程、
大人びた眼差し、その双眸には嘘はなさそうだ、
「この雑巾掛けにも意味があるんだね?」
コクンと頷く香菜ちゃん、言葉が無いのが逆に
彼女の強い想いが伝わってくるようだ。
「分かったよ、香菜ちゃん、私に雑巾掛けのコツを教えて!」
「沙織ちゃん、喜んでで教えたげる!!」
俺の言葉を待ってましたとばかりに答える香菜ちゃん、
「よーし、特訓だよ、特訓!!」
スタートラインに向かって走る俺達、
優勝に向けての合宿は始まったばかりだ。
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