生きてこそ……

「お祖母ちゃんの話、素敵だったね……」

 まだ興奮冷めやらぬ表情の天音、

 体育館から続く長い廊下を、俺達二人は歩いていた。


「そうだな、あの寡黙なお祖父ちゃんからは想像出来ないよ」

 俺のお祖父ちゃん、猪野春雄は数年前に亡くなった、

 享年八十九歳、とにかく煙草とお酒が好きな人で、

 晩年も隠れてお酒を飲んでいて、お祖母ちゃんに良く叱られていたっけ……


 とにかく無口な人で、饒舌なお祖母ちゃんと正反対、

 お祖父ちゃんが感情を露わにしている所など、昔から見たことが無い、

 まあ、今思えばお祖母ちゃんと良いバランスの夫婦だったのかもしれない。


 そんなお祖父ちゃんからは想像も出来ない、ロマンスが若い頃にあったそうだ。

 望まない結婚を何とか破談にしようと、若かりし、岩お祖母ちゃんは直談判に

 隣町の国民学校まで乗り込んだ、そこで子供達に剣術を教える

 やはり若かりし春雄お祖父ちゃんと初めて出会ったんだ、

 それも最悪のやり方で……

 いきなり傍らにあった竹刀で斬りかかったんだ、まるで辻斬りだね、

 だけど、春雄お祖父ちゃんは、柳の木のごとく、お祖母ちゃんの一太刀を

 軽く受け流したそうだ、剣術では敵わないと悟ったお祖母ちゃんは、

 道中で用意していた絶対、破談になる策を相手に見せつけたそうだ。


「今、思い出しても傑作だよね、お祖母ちゃん!」

 思わず吹き出す天音、


「さすが俺達のお祖母ちゃんって感じだよな……」


 何と、お祖母ちゃんは炭焼き小屋で拝借した黒炭を、

 顔一面に塗りたくっていたそうだ、

 いきなり狼藉を働いた上に、おかちめんこな顔を見せれば、

 相手も結婚する気が失せるとの作戦だったみたいだ、

 竹刀を投げだし、そのまま地面に仰向けになり固く目をつぶる、

 そんなお祖母ちゃんに呆れるどころか、お祖父ちゃんは優しく手ぬぐいで

 顔の炭を拭ってくれ、語りかけてくれたそうだ、

 君の名前は……って。


「本当にキュンキュンしちゃう!」

 俺と天音が同時にハモる。

 そうなんだ、女装男子の俺もキュン死にしそうなシチュだ……

 お祖母ちゃんも勿論、そんなお祖父ちゃんに一目惚れしたそうだ、

 良かったぁ、ここで破談になっていたら、俺も誕生しない歴史だった。


 それから、二人は無事結婚をして平和な家庭を築いた、

 はずだった……


 戦争の影は色濃く、市民の暮らしに忍び寄ってきたんだ、

 お祖父ちゃんも、二十歳を迎え、徴兵制度で戦地に赴く事が決まっていた。


 既に戦局は思わしくなく、お祖父ちゃんの入隊先は過酷な南方地域だった、

 生きては帰ってこれない……

 お祖母ちゃんは顔では笑って、心で泣き腫らしたそうだ、

 非国民と呼ばれない為に、お祖父ちゃんを笑顔で送り出さなければならない……

 出立の朝、村中、総出で送り出したそうだ、お祖母ちゃんはちぎれんばかりに

 手を振ってお祖父ちゃんの乗る汽車を見送った、

 背中の幼子は状況が掴めず、泣き叫ぶばかり、

 お祖母ちゃんの悲痛な気持ちを思うと、俺達は胸が痛んだ。

 もう二度と会えないかもしれない……


「だけどお祖父ちゃんは帰ってきたんだよね、お兄ちゃん」


 そうだ、お祖父ちゃんは生きて帰ってきた、それも不名誉な形で、

 出征からわずか半月で、お祖父ちゃんは村に帰ってきたんだ、

 除隊された理由は、徴兵検査では撥ねられなかった、

 痔ろう、そう重い痔を戦地で患い、使い物にならないと除隊を命ぜられたんだ。


 最高に格好悪い、当然、村中に知れ渡り、後ろ指どころか、

 お国の為に散った同胞と比較され、半村八分状態だったようだ、


 当のお祖父ちゃんもさすがに、これは堪えたようだ、

 その頃、お酒にも溺れてしまい、生活も荒れてしまったとの事だが、

 そんなお祖父ちゃんに愚痴一つこぼさず、支えたのはお祖母ちゃんで、

 その頃を回想した言葉が俺達の心に焼き付いた。


「最高に格好悪くても、生きてさえくれれば、

 私にとっては最高に格好良いんです……」


 今日の特別授業に、何でお祖母ちゃんが参加したか、

 はっきり理解出来たんだ。


 たとえ泥水を飲んでも、生き延びる事の素晴らしさを……

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