メヌエット

「本日の特別講師は……」


 来賓席から立ち上がった小柄な女性は、俺達のよく知っている人だった、


「お祖母ちゃん?」

 俺と同時に、天音も言葉を発したのが後方から聞こえた……


「なんで見学に来ただけのお祖母ちゃんが講師を……」

 今日は驚きの連続だ、本多会長の思惑が全然読めない、


 動揺したのは俺達だけでは無く、会場の生徒、教師、来賓も、

 初見の人物が誰だか分からず、会場にはさわめきが広がっていた。


「静粛に!」

 本多会長の一喝が飛び、一瞬にして体育館全体が静まりかえる、


「今日は、儂が特別にお願いして壇上に上がってもらった……

 本校の生徒、猪野宣人君、猪野天音さん、二人のお祖母様であられる、

 くれぐれも失礼の無いようにお迎えしたい……」


 本多会長の真剣な態度に感化され、会場全体も感応するように

 自然と拍手の渦が巻き起こった、


 ゆっくりと登壇するお祖母ちゃん、

 その横顔はいつもの柔和な表情では無く、何かを思い詰めたように見え、

 立ち姿も、加齢を感じさせない凜々しさを感じさせた、

 そのままステージの中央に歩みよる。


 本多会長が、お祖母ちゃんに合わせ、マイクの高さを調整してくれる、

 いよいよ、お祖母ちゃんの講演が始まりだ、

 固唾を呑んで第一声を待つ。


「中総高校の皆様、おはようございます……」

 いつもの訛りは消え、しっかりとした口調に俺は驚きを隠せない、


「本日は老い先短い後期高齢者に、このような場を設けて頂き、

 大変、僭越に思います……」

 最近、お祖母ちゃんは、この単語を口にしてたっけ、

 後期高齢者、何だかとても寂しい響きだ……


「本多会長様に、スピーチをお願いされた時、最初は辞退しました、

 学の無い、年寄りに何が話せるのかと……」

 言葉とは裏腹に、知性と、慈愛を感じさせる語り口、

 お祖母ちゃんの知られざる一面を見た気がした。


「だけど、若い皆様の将来に何か参考になればと、

 微力ながら協力させて頂きます」


「私事ですが、本日、この場に来るきっかけは、

 孫の高校生活をぜひ見てみたい、との事が発端でした……」

 お祖母ちゃんは今回の高校見学について説明しはじめた、


「そこへ、本多会長様より、中総高校で起こった、

 悲しい出来事についてお伺いました」


「若い人が自らの命を絶つ…… 

 何らかのつらい事情がある事は理解出来ます、

 だけと、同じ年頃の孫を持つ身として、言わせてください」

 お祖母ちゃんの小さな身体か、小刻みに震えるのがこちらからでも分かった。


「あなたの命は、あなた一人だけのものではありません……」

 お祖母ちゃんが、振り絞るように言い放った言葉の意味には、

 年輪を重ねた者だけの重みがあった……


「どうか、その命を絶やさないで……」


 静かな水面に波紋が起きるように、俺達の心にゆっくりと響いてきたんだ。


 お祖母ちゃんは目を閉じたまま、暫く言葉を発しなかった、


「こんな年寄りにも、皆様と同じ歳の頃がありました……」

 高校見学をしたいと言った時、かいま見せた少女のような表情になる、


「あれは十六歳の頃、今では信じられない事だけど、

 女性は十七歳で親の決めた相手と、結婚するしきたりで、

 私も例に漏れず、会ったことも無い男性に嫁がされる予定でした……」


 俺達も、もちろん初耳の話だ、昔はそれがあたりまえだったのか?

 男尊女卑の時代とは言え、むちゃくちゃな話だ……


「特に田舎の農村では、女性は働き手として扱われていた時代で、

 恋愛結婚なんて、夢のまた夢だった」


「非道い……」

 お祖母ちゃんの話を聞いて、お麻理が肩を震わせながら憤った、

 周りでも女子を中心に、ざわめきが広がる……


「私も、最初は嫌で嫌で仕方が無かった……

 顔も名前も知らない相手と結婚なんて、絶対嫌だと、

 特にお転婆だった私は反発したわ、村一番の柿の木に登ったまま、

 降りてこないとか、精一杯の抗議のつもりでね」

 お祖母ちゃんの少女時代が想像されて、少し微笑ましくなった、


「そんな子供だましの抵抗は続かなく、婚礼の準備は進んで行った、

 だけど最後の抵抗で、両親に内緒で相手に断りに行こうと画策したの……」


 我がお祖母ちゃんながら、凄い行動力だな……


「相手の住まいは近隣で、女の足でも行ける距離だったから、

 善は急げで、家を飛び出したの、ある作戦も携えてね……」


 ある作戦? お祖母ちゃんは一体、何を画策したんだろうか。


 当校、最高齢の特別授業は続く……








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