夢の中へ

「命の授業を開講したいと思う……」

 本多会長の言葉には重みがあった、

 この会場にいる全ての生徒が、特別授業の意味を理解していた、


 先日、ある生徒が校舎屋上から飛び降りた事件があった……

 奇跡的に一命は取り留めたが、未だに意識が戻らない。


 問題なのは、その生徒に自殺する原因が見当たらない事だった、

 いじめどころか、クラスの中心的存在で性格も明るく、誰からも好かれるタイプで、

 クラスは違うが、陰キャの俺から見たら高校カーストの頂点に位置する彼が、

 羨ましく思える位だった……


 そんな生徒が一体何故? 学校中が噂で持ちきりになり、

 人気者だった彼には隠れファンクラブがあった程で、

 幸い、未遂に終わったが、後追い自殺を企てる女生徒も現れた。


 悲しみは連鎖する、不穏な空気が中総高校に蔓延していたんだ、


 そんな中、本多会長の話は、俺達全校生徒の胸に響いた。


 ふと、以前に天音が言っていた言葉を思い出した……

 あいつがまだ、男装女子になる前だ、

 自宅のリビングで、俺が朝食を取っていた時、

 たわいない会話の中で、天音に何気なく言ったんだ、


「お前はいいよな、学園一番の美人で、その上、才女で

 俺と違って友達も多くて、毎日が充実している感じで、

 羨ましいよ……」

 嫌みでは無く、当時ほぼ不登校一歩手前だった俺には

 天音が眩しく見えたんだ。


 天音はいつもニコニコしている表情を、微かに曇らせた、


「ホントはね、そんなことないんだよ、お兄ちゃん、

 天音も疲れちゃう時、結構あるんだよ……」


 その時は気にも留めなかったが、今頃、気がついたんだ、

 人気者だからって、人生、全てがバラ色って訳は無い、

 天音は兄貴の俺だけに、そっと、本心を吐露してくれたんだ。


 傍からは羨ましく見える人にも、色んな悩みはあるはずだ、

 実は持たざる者のほうが幸せなのかもしれない……


 自殺まで追い込まれてしまった彼の胸中にも、

 誰も覗くことの出来ない、暗く深い河が流れていたに違いない。


 我が、歴史研究会のライバルである南女高校ダンス部、部長

 萌衣ちゃんも部活見学のあの日、一緒に入ったシャワールームで

 俺に相談してくれた内容も、トップに立つ者の苦悩だった……


 一流アスリートにはこのような悩みが多いと聞いた事がある、

 その事を思い出した俺の脳裏に、はっきりとした景色が浮かんできた、

 記憶の連想とは不思議なものだ……

 過去のある風景だ、思い浮かべると同時に、ある音も蘇ってきた。


「カンカンカン!」

 波頭がフルカーボン製のボードを叩く音、ウインドサーフィンのボードは

 固ければ固い程、反応が良くなる、現在主流のフォイルボードと違い、

 波の抵抗をモロに受ける、長時間のライディングでは

 思わず、膝が笑うほどだ。


 その当時は兄貴と俺の主戦場である、スラローム競技は

 ボード、リグの最新マテリアルが日進月歩で進化していた。

 あの海に記憶ごと、タイムスリップしたみたいだ、


 その日は、特別な日だったので鮮明に覚えている、

 俺達のホームゲレンデに、マスコミの取材が来たんだ、

 残念ながら俺では無く、当然、兄貴が主役だ、


 TVクルーの車や機材が、浜の突端の駐車場に集結していた、

 夕方の情報番組のニュースで取り上げられるそうだ、

 コーナーのタイトルは、「イケメン学生アスリートを探せ!」だそうで、

 当時、ジュニア大会で、メキメキ頭角を現していた兄貴に、

 白羽の矢が立ったのも不思議では無い、その上、

 男の俺から見ても惚れ惚れする程、兄貴は爽やか系のイケメンだった、

 俺は後で聞いたんだが、天音と、お麻理は友達から、

 兄貴を紹介して欲しいって良く頼まれていたそうだ……

 でも、兄貴は結構硬派だったから、女の子よりもウインド命で、

 デートする金があったら、セイルを買うって良く言っていたっけ、

 俺の恋人はニールちゃんとガストラちゃんだって、

 冗談で有名セイルメーカーの名前を挙げていた、

 そして金の掛かる彼女ばかりだと、豪快に笑っていたんだ……


 取材当日、ゲレンデにはサイドショアの良い風が入っていた、

 兄貴は早く海に入りたくて、ウズウズじていたっけ、

 だけど、テレビの撮影って段取りが多くて、俺達行きつけショップの

 艇庫から撮影は始まったんだ、


 芸能関係に疎い、俺でもCMで見た事ある女性タレントがレポーターで、

 見学に来ていた天音とお麻理はミーハーチックに騒いでいた、

 天音はサインを貰うのも忘れてない、ちゃっかり記念撮影までして貰っていた。


 主役の兄貴はと言うと、ウインドを普通のサーフィンと一緒くたにされて、

 ムカついているのが、遠巻きでも分かる位だ、

 まあ、仕方ない、一般の人はサーフィンと言えば波乗りを思い浮かべる、

 特に多い勘違いが、サーフィンを出来ない人がウインドをやるみたいな質問だ、

 これは俺も腹が立つ事に同意出来る、

 本当に海を愛する人ならこんな事は口が裂けても言わない、

 お互い、畏敬の念で接する、どちらにも良さがあり、奥が深いスポーツだ。


 だけど、それを普通のTV番組に求めても仕方が無い、

 兄貴はスポンサー獲得のチャンスがあると言われ、取材を了承したんだ、

 ご存じの通り、機材スポーツのウインドサーフィンは

 スポンサーが付くことは、この競技を志す者にとって、

 最重要課題かもしれない、分かりやすく説明すると、

 F1でスポンサー無し、それでシーズンを戦うなんて無理でしょ?

 学生の兄貴は特に、俺の機材まで提供してくれて、

 バイトを掛け持ちで苦労している、その時間を練習に当てられたら……

 それを良く知るショップ店長の推薦で、今日の取材が決まったそうだ、


 この放送で、メーカーの眼に止まり、スポンサードされたら、

 資金繰りから解放される。


 結構な時間が経過して、やっと浜での撮影に移動した、

 兄貴は、待ってましたとばかり、ウェットスーツ着替え、準備運動を始める、

 今日の俺は機材のセッティング係だ、入念にリグを組み上げる、

 浜でセイルに風を入れて最終確認をする。


 身体の温まった兄貴に道具を渡す、今日のボードは撮影の関係とやらで、

 メーカー名の無いノーブランドボードだ、

 おかしな事だが、TV番組はCMスポンサーに考慮して、

 そんな事を気にするらしい、まあ忖度なんだな、

 撮影がスタートして、兄貴がボードとリグをランチングして走り出す、

 勢いよくビーチスタートして、沖に設置されたブイを目指す、

 今ならドローンで撮影するカットだが、当時はヘリで追いかける、


 兄貴がいつものように華麗なドライブターンを決める、

 筈だった……


「兄貴!」


 驚いたことに、いつも正確無比なホールショットを決める兄貴が、

 無残にも第一マーカーのブイで、ターンを失敗して沈していた……

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