天国は待ってくれる
兄貴を見かけたあの晩から数日が経った……
俺は取り憑かれたように駅のホームや、改札口で兄貴を探した。
日がな一日、駅の構内に佇んで兄貴が来るのを待っていた、
電車が止まる度に、改札から吐き出される人の波に目を凝らす、
兄貴の姿は見つからなかった……
勿論、学校には行く気になれない、心配する天音には悪いが、
体調が悪いので休むと、学校には連絡して貰った。
あの時、兄貴は俺だと気が付かなかった、それは俺が女装していたから、
そうに違いない……
約束を破るようだが、今は男の格好に戻っている。
ゴメンな、天音、お前との約束を忘れたわけじゃ無い、
お祖母ちゃんの来る週末には天音、お前になりきるから……
それまではわがままを言わせてくれ。
最寄りの駅に、こんなに長く滞在したのは初めてだ、
朝、夕の通勤ラッシュを除けば、他の時間帯は駅構内も
電車に乗る人もまばらで、閑散としている。
改札前のベンチに腰掛け、降りてくる乗客の顔を見落とさぬよう、
目を凝らすが、兄貴の姿は一向に見つからない……
もしかして俺の見間違い? いや、そんな事はない、
動画でもハッキリ記録されていた、俺が兄貴を見間違えるはずがない。
何度もあの動画を見返した、あの日と同じ様に、
最後に海で別れた兄貴そのままだった……
何度か駅員に声を掛けられた、それは当然だ、一日中、学生服のまま、
改札を睨み続けているんだから、不審がられるだろう、
心配に対してお礼を言い、その場を何とか誤魔化した。
夕方の帰宅ラッシュを過ぎても、俺はその場から微動だにしなかった。
兄貴と再会した時間の電車が過ぎても、乗客にはその姿はなかった、
俺は精神状態が、相当おかしくなっていた……
改札にある時計に視線を落とすと、既に夜の十時を過ぎていた、
それでも俺は諦めなかった、ここで待つのを止めて帰ったら、
兄貴に二度と逢えない気がしたんだ。
電車が到着する度、改札から人が溢れるように降りてくる、
みんな、それぞれ家路を急ぐ人たちだ、
ベンチに腰掛ける俺に、誰も関心を示さない、
その時、一人の乗客が俺に向かって歩み寄ってきた、
もしかして兄貴! 慌てて俯いた顔を上げる。
次の瞬間、乗客の顔を見て失望に変わった、
全然、知らないサラリーマン風の男性だ、
俺の前を通り過ぎ、ベンチの隣に設置された本箱に向かう、
そして手に持っていた一冊の文庫本を棚に置いて、立ち去っていった。
何時間も座っていたのに、隣に本箱がある事に気付いていなかった、
その本箱は、電車に乗る乗客が読み終えた本を置いていく、
共用図書のスペースだった、次の誰かの為に小説などが置かれていて、
自由に本を持って帰って良いみたいだった。
何気なく置かれた文庫本を手に取り、パラパラとページをめくる、
「!!」
思わず、手が止まり慌てて表紙の写真を見る、
そこには鮮やかな夕陽の海が写っていた。
あまりの偶然に驚愕した、その本の著者は末期ガンの為、
三十八歳で亡くなったプロウィンドサーファーの小説だった。
俺もその名前は知っている、兄貴から聞かされていた、
ウィンドのワールドカップ上位入賞は、日本人初の快挙で、
そのサムライのような行動力は、幼い頃の兄貴の憧れだったと。
俺は何かの不思議な縁を感じて、小説を読み始めた、
そこには末期ガンの著者が書いたと思えない、明るいユーモア、
そして生命への賛歌、海を愛するスポーツマンとして、
著者の想いが込められていた。
その中の一節が、荒んでいた俺の気持ちを一瞬で洗い流してくれた。
【人は何時か天国に戻る、最高の自分になって、あの人に逢えたら】
俺は何をしているんだろう、こんな姿を兄貴に見せられない、
今の自分は最低だ、過去に囚われて取り乱して……
あの約束の場所で。兄貴に誓ったはずだ、もう涙は止めるって、
本を閉じ必死に涙を堪える。
次の瞬間、俺の前に缶コーヒーが差し出された。
黄色と黒のパッケージ、山頂カフェで兄貴の好きだった銘柄だ。
驚いて顔を上げると、そこには……
「宣人、遅いから迎えに来たよ……」
そこには、私服のお麻理が立っていた。
「お麻理、何で、ここが……」
「天音ちゃんが心配していたよ、もう帰ろ」
「お前、何にも聞かないの?」
溢れそうな涙を見られまいと、慌てて顔を伏せる、
「分かるよ、何にも言わなくても宣人の気持ちなんて、
私が何年幼なじみ、やってあげてると思ってるの?」
「やっぱり、敵わねえな、お麻理には……」
素直に、お麻理の差し出した缶コーヒーを受け取る、
プルタブを開け、一気に飲み干す、
ご当地コーヒーの練乳入りの甘さが、今は心地よい。
「あの人も好きだったね、その缶コーヒー」
「ああ……」
たとえ電車で見た兄貴が、幻だとしてもそれでいい。
いつか逢えるはずだ、天国は待ってくれる……
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