狼なんて怖くない

 フィッティングルームの中で俺は天音の言葉を思い返していた……


「お兄ちゃんには、しばらく男の娘として過ごして貰いたいの」

 天音の突拍子のない依頼に、最初は猜疑的だった俺も、

 理由を聞いて合点がいった。


「久しぶりにお祖母ちゃんが来るの……」


「お祖母ちゃんって、いわばあちゃんの事?」


「そうなの、来週の土日に都内見物のついでに、ウチに泊まるんだって」


 岩ばあちゃんとは俺のお祖母ちゃんの事だ、ウチに来るのは俺が中学以来だから、

 二、三年ぶりになる、でもそれが男の娘と何の関係があるんだ?


「お祖母ちゃんは古風な人だから、僕が男装女子になってたら、

 いらぬ心配を掛けるから、その間だけ、僕と入れ替わって欲しいの……」


 天音と俺が入れ替わるって、分かった、だから俺に女装させるんだ、

 俺が天音になって、天音が俺のふりをする、

 その為に男の娘として完璧に振る舞えって事か……


「お祖母ちゃんは血圧が高いから、男装した天音を見たら、

 ショックで卒倒しかねないでしょ」

 それは充分ありうる…… 天音の考えはよく理解出来た。

 自分で言うのも何だが、俺はお祖母ちゃん子だ、

 実の母親を早くに亡くした、幼い頃の俺を母親代わりに育て上げてくれたんだ、

 そんなお祖母ちゃんには何時までも元気でいて欲しい、

 その為にはお祖母ちゃんに気付かれないような、完璧な女装を目指す。


 このショッピングモールに来るまでは決心していた俺だったが、

 初ブラと言う難関に思わず、躊躇してしまったんだ……

 ええい、ままよ! 俺は優しいお祖母ちゃんの顔を思い浮かべながら、

 弥生ちゃんの差し出すブラを手に取った、


「待って! まだ着けちゃダメ……」

 そのまま、胸にブラをあてがおうとした俺を弥生ちゃんが急に制した。


 驚いてブラを広げたまま、彼女の顔を凝視する、


「これを入れてみて」

 弥生ちゃんが俺に手渡したのは楕円形の物体で、肌色をしていた、

 厚みも有り、小ぶりな石鹸ぐらいの大きさだ。


「秘密兵器なの、普通の薄型のパットだと全然膨らみが足りないから、

 ブラカップの内側に入れるだけで、男の娘でもBカップ位になると思うの」


 さっき、弥生ちゃんが買い物かごに放り込んだ物はこれだったのか。


「ありがとう、弥生ちゃん、やっぱり優しいんだね……」


 男の娘モードではない俺の態度に弥生ちゃんが赤くなる、


「えっ、えっと…… 私は外で待ってるから、何か分からないことがあったら、

 カーテン越しでも良いから声を掛けてね」


 そのまま、慌ててフィッティングルームから出て行く彼女。

 立ち去り際、小さな声でこう言い残した……


「天音ちゃんの為に努力する先輩は、やっぱり格好いいです、

 私、全力で応援しますから……」


 弥生ちゃんは変わっていなかったんだ……

 俺が女装していたから、全然態度が違うのかと勘違いしていた、

 彼女は頑張って俺を応援してくれていたんだ、

 恥ずかしいのを我慢して下着を選んでくれたのか……


 俺は彼女に謝りたい気持ちで一杯になった、

 大好きな彼女に女装の過程を見られるのが恥ずかしいと、

 自分の外聞ばかり気にしてしまった。


 俺は決意を固めた、そんな彼女の為にも最高の女装をしてやるんだ!


 ブラを胸に当て、後ろ手でホックを留めようとするが、

 中々上手くいかない、何だか知恵の輪のようだ……

 女の子は毎日、こんな面倒くさい物を着けているのか、

 変な感心をしながら、何とか装着する。


 そのままだと男の胸ではカップがぶかぶかだ、

 そこに秘密兵器のブラパットを装着する、


「おっ!、こ、これは……」

 思わず、感嘆の声が溢れてしまう、


 目の前の姿見に映った俺の胸には、谷間のある膨らみがあったんだ、

 弥生ちゃんの言っていたBカップ位だろうか?

 男装する前の天音より、おっぱいが大きいかもしれない、

 こんな事、本人に言ったら間違いなく張り倒されるだろうな……


 いけないとは思いつつ、自分で二つの膨らみを掌で持ち上げてみる。


 ぷるるん♡

 おおっ、この弾力、ボリューム、自分の身体に有るのが

 信じられない……


「もう着けられた?」

 カーテン越しに弥生ちゃんに呼びかけられ、動揺で文字通り、

 胸がドキッとするのが両手越しに伝わってきた。


 慌てて、スウェットの上を羽織る、


「は、はい、大丈夫だよ、開けても平気……」

 乱れたウィッグの毛先を鏡を見ながら整える、

 こう言う所も女の子って大変!


 ゆっくりとカーテンが開き、弥生ちゃんが顔を覗かせる、


「あっ、いいんじゃない! どこから見てもすっかり女の子だよ……」

 弥生ちゃんが喜んでくれるのを見て、俺も嬉しくなった。


「サイズは大丈夫? どこか苦しくない、」


「う、うん、大丈夫、不思議な気分だけど」


「じゃあ、そのサイズ、色違いで数セット揃えようか、

 ショーツは試着出来ないから、Lサイズでいいよね、

 あと普通だったら新品のインナーは、一度洗濯をした方が良いんだけど、

 今回はアウターの試着もあるし、さっき外で店員さんの了解を貰ったから、

 ブラは特別に着たまま帰れるよ、タグだけ取ってもらうから一度外してね」


 そうなんだ、知らなかった……

 外したブラを、カーテン越しの彼女に手渡しながら考えた、

 男の場合は洗濯なんかせず、新品のパンツはそのまま穿くんだけどな、

 女の子って色々難しいな……


 えっ? でもこのおっぱいのまま、外に出るのか……

 結構、ハードルが高いな、メイクの女装はまだ何とかなったが、

 男の娘デビューの身としてはかなり勇気がいるかも。


 そんな俺をの気持ちを察したのか、レジで会計を済ました弥生ちゃんが、

 俺の背後に立ち、優しく背中を押してくれる。


 こんな光景、前にもあったな………


 そうだ! 天音が男装女子になって初登校の時だ。

 その時とあべこべだが、天音の不安が今なら痛いほど理解出来た……


「ほら! 勇気を出して」

 ぽんっ! と弥生ちゃんが俺の肩を押す。


 ランジェリーショップから一歩、店外に足を踏み出た、

 中央のメイン通路は、夕方の買い物客でごった返していた、

 目の前に大学生位だろうか、男性数人が居た、

 その若い男性達の無遠慮な視線が俺に絡みつく……

 俺の胸を見た後、顔を確認したのがはっきり感じられた、

 そうなのか、綺麗な女の子になるってこういう事なんだ。


 俺は苦笑しながら、新しい世界に一歩、踏み出した……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る