ある日どこかで
「萌衣ちゃん、これを見てくれないか!」
亡き父と一緒に掛けた鍵箱を大切そうに両手で握りしめ、
誓いの場のフェンス前を離れようとしない彼女。
うつむく彼女に見える様に眼前に差し出した物は……
「鍵……?」
驚きで思わず顔を上げ、俺のほうに向き直る、
涙で曇った瞳が彩りを取り戻す、
「そうだ、その鍵箱を開けられるキーだよ……」
「嘘、でく助が持ってるはずないよ……
だって、お父さんと萌衣だけの思い出の鍵箱だから」
「何故、俺が持っているかは、今は言えない……
だけど君にこの鍵箱を開けて欲しいんだ! 何故なら……」
キーを更によく見える様に彼女の前に差し出す、
「君は過去に囚われている、自分自身で心の鍵も開けて欲しい」
あの嵐の夜、萌衣ちゃんが泣き疲れて眠った後で、
具無理のマスターと話した電話、そこで俺はこの場所、鍵箱の事、
亡くなった両親とのエピソートを先に聞いていたんだ、
そこで思い出の鍵箱を彼女の手で開けさせる事が、
過去のトラウマを克服するトリガーになるんしゃないかと思いついた
具無理のマスターも俺に同意してくれたんだ。
彩りを取り戻したはずの彼女の瞳に、急に暗い光彩が浮かぶ、
「嫌、嫌、絶対に嫌っ! お父さんとの思い出がなくなっちゃう……」
幼い子供が嫌々をする様に、激しくかぶりを振る彼女、
やっぱり推測は当たっていたんだ、雷をあんなに怖がる彼女を見て
思い当たる事があった、両親が亡くなった時と同じく雷が鳴ると、
萌衣ちゃんは八歳の精神年齢に戻ってしまうんだ、
それは過去のつらい体験から自我を守るため、子供に退行していまうんだろう、
心のシェルターに逃げ込む感覚、だけどそのままでは未来に進めない。
心を鬼にして、彼女の強く握りしめた掌をこじ開け、キーを握らせる、
「お願いだ、君の手で開けてくれ、そこにはお父さんとお母さんの……」
言わないでおこうと思ったが、最後の賭けに出てみる、
「萌衣ちゃんに対する想いが詰まっているんだ!」
「おとうさん、おかあさんの?」
「そうだ、このまま開けなければ、その想いは無駄になり、
君は一生、過去に囚われたまま、生きていかなければいけない、
俺は、いや具無理のマスターも、そんな萌衣は見たくない、
君には笑顔でいて欲しいんだ……」
俺の想いが届いたのか、暫くの沈黙ののち、ゆっくりと彼女が動いた、
鍵箱にキーを差し込む、長い間、風雨に晒されていた鍵穴は
錆び付いていてなかなか廻ろうとしない、
また双眸に涙を浮かべながら、眉間に皺をよせ、鍵を開けようと力を込める、
俺は敢えて手を貸さない、彼女一人で開ける事に意味があるんだ、
「ガチャリ」
鈍い音を立てながら鍵が開き、フェンスから鍵箱ごと外れる、
「やった! 外れた」
おもわず声が出た、開錠が過去の呪縛からの解放に見えた。
放心状態で鍵箱を片手に抱える彼女、
「でく助…… 開いたよ、鍵」
「その鍵箱を開けてごらん……」
鍵箱は開錠と共に、ボックスが開閉出来るようになっており、
中には小物が入れられる、
萌衣ちゃんが不思議そうにボックスの中を確認する。
そこには名刺入れサイズの頑丈な防水ケースが入っていた、
「これは何?」
「萌衣ちゃん、そこにはお父さんとお母さんの想いが詰まっているんだよ」
防水ケースを開けるとそこにはSDカードが数枚入っていた、
「貸してごらん」
SDカートを手に取り、あらかじめ用意していたデバイスに差し込む、
まだ、意味が掴めていない彼女を促し、回廊を進み女神像の前に立つ、
俺の用意したデバイスはコンパクトなプロジェクターだ、
アウトドアでも動画をスクリーンに投影して鑑賞できる優れものだ、
でもここにはスクリーンが無いが大丈夫だ
デバイスの電源を入れると、乾いた唸りを上げながら動画の再生が始まる、
白い女神像に投影してスクリーンがわりにする、
「萌衣ちゃん、最前列にどうぞ」
彼女をベンチに座らせる、俺はプロジェクターを三脚に固定し、隣に座った。
ふたりっきりの上映会の始まりだ、女神像の大画面に映し出された動画、
そこには……
「お父さん! お母さん!」
再生された一本目の動画には男女二人が写っていた、
萌衣ちゃんに良く似た綺麗な女性、これがお母さんか、
その隣に、日焼けした笑顔が印象的な体格の良い男性、
これが萌衣ちゃんのお父さんなんだな、
カメラの電源が入っているか気にして、画面手前に歩みより、
ゴゾゴゾしだすお父さん、それを微笑みながら見つめるお母さん、
「お父さん、ちゃんと写ってますよ」
「あっ、ごめん、ごめん、萌衣に笑われちゃうな……」
急いで画面奥の定位置に戻る父、
二人が真剣な表情になる、
「萌衣、これを観ていると言う事は、お前も大人になったんだな、
多分お母さんに似て、さぞかし美人に育っているんだろう、結構、結構」
「お父さん、余計なこと言わないで!」
隣の母がたしなめるような表情になる、
お父さんのユーモアに、思わずこちらまで微笑んでしまう。
「これは未来の萌衣に送るビデオレターだ、面と向かっては言えない事も
これなら伝えられると思って、お母さんと決めたんだ」
萌衣ちゃんは黙ったまま、画面を見つめている
こちらからでは良く表情が伺い取れない、
「おじいちゃんとも相談して、萌衣が大人になったら話してくれと言ってある、
そうだな、区切りでは萌衣が二十歳の成人式の時、結婚した時、
子供を授かった時、そう言う節目に見せられる様にメッセージを
SDカード複数枚に残してある、いわば動画のタイムカプセルみたいな物だ」
お父さんとお母さんの萌衣ちゃんに対する愛情が画面越しに伝わる動画だ、
「ただし、人生の節目では無く、お前に観て欲しい時があるんだ……
それは萌衣、お前が本当につらい時、このメッセージを紐解いて欲しい、
人生はサーフィンにおける波のようなものだ、一つとして同じ形は無い、
荒れた日もある、穏やかな日もある、そんな荒波に負けそうになったら、
これを観てくれ……
萌衣、おまえはお父さんとお母さんの自慢の娘だ、どこに出しても恥ずかしくない、
萌衣、俺達二人の元に生まれてくれて本当にありがとう、
お前を本当に愛している、その事を伝えたかったんだ……」
萌衣ちゃんの両親の想いの強さに圧倒される、こちらまで涙が溢れてしまう、
隣の彼女も泣いているかと視線を送るが、意外だが萌衣ちゃんの表情は……
とても健やかで微笑みを浮かべている様に見える、
隣のお母さんが話し始める、
「萌衣、いつも厳しい事ばかり言ってごめんなさい、幼いあなたは
お母さんの事、ちょっと嫌いかもしれません、
でもね、萌衣に立派に育って欲しいからなの、
私とお父さんが出会った様に、萌衣も大人の女性になったら
素敵な相手を見つけた時、困らないようにお小言を言うの、
萌衣、お父さんと同じか、それ以上にあなたを愛しているわ」
萌衣ちゃんのお母さんの愛情がストレートに続わってくる、
微笑む萌衣ちゃんの傍らで、俺のほうが滂沱の涙を流してしまう。
「お父さん、お母さん、メッセージありがとう!
私、二人の子供で本当に良かった……」
萌衣ちゃんがベンチから立ち上がり、再生が終わり、
画面で静止したままの両親に深々とお辞儀をしたんだ、
それを見届けた俺はもう大丈夫だと確信した、
彼女はもう過去に囚われた幼い少女じゃないって。
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