ビギナーの特権

「土偶男子フェスにも私達、南女ダンス部でエントリーします!」

 先程の完璧なパフォーマンスに、俺達は打ちのめされてしまった……

 追い打ちを掛けるような柚希の言葉に、更に衝撃を受ける。


 歴史研究会で優勝を目指す土偶男子フェス、同じトーナメントに参加することを、

 彼女達がこの場で表明するのは決して偶然ではないはずだ。


 誰かが仕組んだに違いない、柚希が医務室に居た事も関連がある気がする。

 ふと俺は我に返り、周りを見渡す、

 歴史研究会のメンバーは皆、無言のまま、暗い表情が見て取れる……

 特に天音の落ち込み具合が激しい、兄の俺には気持ちは痛いほど分かる、

 根拠のない自信で、トーナメントで優勝するって、

 ここまで皆を引っ張って来たのは、天音だから……

 当然、あれだけの人気コンテンツのトーナメントだ、

 優勝を狙う強豪が他にいてもおかしくない。


 俺達は何も分かっちゃいなかったんだ……

 楽しいはずの夕食が、まるでお通夜のようだ。


 その時、重い沈黙を破る音がホールに鳴り響いた、

 パチパチパチ! 

 それは拍手の音だった……

 俯いた顔を上げ、拍手の主を探す、

 弥生ちゃんだ、小柄な彼女が立ち上がり、精一杯の力で

 ステージに向かって拍手をしている。

 その表情はこちらから伺えないが、彼女の拍手の意味が伝わってくる、

 勇気は伝染するんだ……


 一人、また一人と立ち上がり、拍手をし始める、

 もちろん俺も立ち上がり、惜しみない拍手を送る。

 弥生ちゃんが振り返り、泣き笑いのような表情を浮かべる、

 他の部員も泣いていた、だが失意の涙じゃない……

 悔しい気持ち、弥生ちゃんへの感謝の気持ち、ふがいない自分たちへの怒り、

 色んな感情がない交ぜになっていた。


 でも弥生ちゃんの言いたい事が分かった、

 俺達はダンスに関しては素人だ、だけどそれは

 伸びしろがあると言う事の裏返しでもある、それはビギナーしかない特権だ

 やる事全てに発見がある、


 ふと兄貴に教えてもらったウインドサーフィンの事を思い出した、


「宣人! もっとしっかりバランスを取るんだ」

 俺が初めて海に出た日だ、昨日のように思い出される……

 ウィンドサーフィンの初期練習とは本当に面白くない、

 ここで脱落してしまう初心者も多いと聞いた。


 リグと呼ばれるセイル部分を、不安定なボードの上てバランスを取りながら

 アップホールラインと呼ばれる紐で水面からセイルを持ち上げる、

 何度やっても上手くいかない、水に浸かったセイルは重く、

 腕の力だけでは簡単に持ち上がらない……

 何度も後ろに重いセイルごとひっくり返り、塩辛い海水をしこたま飲んだ。


「腕だけで持ち上げようとするな! もっと腰を入れて持ち上げるんだ」

 兄貴が激を飛ばすだけでなく、隣でお手本を見せてくれる、

 スルスルと簡単にセイルを持ち上げる。


 何が俺と違うんだ? 頭の中で兄貴の動きを反復する、

 そうだ! 兄貴はセイルを持ち上げる時、風に逆らっていなかった……

 一瞬、セイルがフッ、と軽くなるゾーンがあるんだ。

 目を瞑り、精神を集中してアップホールラインをたぐり寄せる、

 自分の体にセイルが近くなる、いつもここで焦ってバランスを崩すんだ、

 片手を離してみる、セイルが風に合わせて左右にたなびく、

 その時だった、フッ、とセイルが軽くなった。


 これだ! 慌てず、セイルに装着されたブームと呼ばれるハンドルを握る、

 マスト寄りの右手を固定し、左手でセイルを引き込む、

 次の瞬間、風をはらんだセイルの推進力で足元のボードがスルスルと進み出す!

 出来た!! 今まで見たことのない光景が俺の眼前に広がる、

 鏡のような水面に白い軌跡を牽きながらボードはぐんぐん進む、

 時間にしたら数秒だったかもしれない、だけど俺には何分にも感じられた。


「おーい、宣人 やったな! これでお前もウインドサーファーだ!」

 まるで自分の事の様に嬉しそうな兄貴の声が、背中越しに聞こえた……

 俺の平凡な世界が一変した瞬間だった。

 ビギナーの特権とは全てが新鮮な驚きになる事だ、

 スキルをまるでスポンジのように吸収出来る。


 俺達はまだまだ発展途上だ、だからこそ面白い!

 新しい事に挑戦しがいがある。

 隣の天音と視線が交差する、

 俺を見据える天音の表情は、先程とは打って変わり晴れ晴れとしていた、

 男装女子初登校の時と同じ、何か決意したような凜とした眼差し、


「お兄ちゃん、私達も優勝目指して頑張ろ! 」


「おう、俺達歴史研究会は絶対に負けない、目指すは完全優勝だ!」


 周りの皆も同じ気持ちのようだ……

 先程の落ち込みが嘘のように、生き生きとした笑顔で見つめ合う。


 ステージを終えた南女ダンス部のメンバー数人がこちらに歩み寄るのが見えた、

 部長の萌衣ちゃん、柚希が俺達のテーブルに挨拶に来るみたいだ……


 俺達のテーブルに向かって手を振る萌衣ちゃん、

 にっこりと微笑む彼女は近くで見ても本当に綺麗だ、

 口元の八重歯が白く輝く、とてもキュートな娘だ……

 俺達のテーブルを見て声を掛けてきたんだ。

「おじいちゃん!」


 萌衣ちゃんの言葉に俺達は驚いた、

 えっ! 誰がおじいちゃんなの?

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