愛はもどれない

「猫ボール、ピッチャー振りかぶりました!」

 もう駄目だ…… 

 子猫が川に投げ込まれてしまうのを、為す術も無く見過ごすしか無いのか。

 慎一の投げた子猫が、川に向かって放物線を描く、

 はずだった……


「やめて!」

 次の瞬間、俺は眼を疑った、立ちすくんでいたはずの柚希が居なくなった。

 地面に無様に倒れ込んだ俺の視界からは、彼女を確認出来ない……


「何だ、お前は! 俺様に勝てるわけ無いだ、グエッ……」

 慎一の悲鳴が聞こえた、誰だ? 俺達に加勢してくれたのは、


 痛みを堪えながら両腕で身体を支え、ズキズキする頭を持ち上げた、


「!!」

 俺は自分の見た光景が理解できなった……

 白い着物の袖口と裾を乱しながら、小学生としては体格の大きな慎一を

 片手で軽々と持ち上げた小柄なシルエット、


 あり得ない、あり得ない……

 俺は混乱した思考の中で繰り返し呟いた、

 慎一を吊し上げた人物は誰あろう、柚希だった……


「子猫をいじめる奴は、絶対に許さない!」

 先程まで泣きじゃくっていた柚希が、鬼神の様な表情に変貌している。

 何故だろう? その声までも低く、これまでの柚希ではない……


「やめろおっ……」

 柚希が更に高く、締め上げる、

 慎一は泡を吹きながら気絶する、その足元には失禁したのだろう、

 激しく湯気が上がりながら液体が流れる……


「あ、兄貴が女にやられた、嘘だろ? 」

 雄一と取り巻きが慌てふためきながら、自転車に跨がり、その場から逃げようとする、


「逃がすもんか!」

 柚希、いや違う、柚希を纏った何者かは、一瞬にして奴らの前に回り込み、

 先頭の雄一を自転車ごと転倒させる、その後に続いていた取り巻きも

 雄一の転倒に巻き込まれ、無様な悲鳴を上げながらもつれ合う。


 倒れ込んだ奴らは、すっかり戦意を喪失して地面にへたり込んでいる、

 柚希の表情はこちらからでは、死角になって見えないが、

 奴らの狼狽っぷりから、柚希の怒りが伝わってくる……


「ごめんなさいっ……許してください」

 泣きながら許しを請う雄一、

 その襟元を無言で掴み上げる柚希、自分より体重の重い男子を

 軽々と持ち上げる。

「ぐ、苦しい……」

 兄貴の慎一と違い、雄一の襟元は蝶ネクタイを絞めている、

 そのせいで首つりの状態になる、

 柚希は怒りで、その事に全く気付いていない……

 雄一が白目を剥くのが、こちらからでも見て取れた、


「柚希、やめろ! それ以上やったら死んじまうぞ!」

 怒りに彩られた柚希には、俺の叫びも届かない……


 このままでは柚希がひとごろしになっちまう、

 それは絶対駄目だ!

 先程まで全く動かなかったはずの身体に、力が入った。


 自分で何をしたのか覚えていないが、

 俺は柚希を後方から抱きしめていた……

 柚希が身体を強張らせたのが、抱きしめた両腕から感じ取れた。


「もうやめてくれ…… もういいんだよ、柚希」


 柚希の身体から敵意が薄れていくのが分かった、

 高く持ち上げた雄一を解放して、地面にそっと置いた。


 止まった!良かった……

 力を込めた両腕を緩め、彼女の肩に手を置いた。

 無言のまま、柚希がゆっくりと振り返り、俺にこう言った……


「お前、誰だ? 気持ち悪いから触るんじゃねえ!」


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