美濃と美甘

 まみが三日三晩泣き続けることなるその日のさらに深い夜、妖狐の里では美濃狐が長の寺院へと足を向けていた。長の寺院に行くのは造作もないことであるが、これが人であるならば、恐らくは辿り着くことなどできない場所に位置していた。


 いかづちによって垂直に削り立った断崖絶壁の窪みに懸崖けんがい造りで建築された長の寺院は、荼枳尼天へ祈祷きとうする神聖な場所であり、長の百合が住まう場所であった。


 さらに、寺院のさらに上、絶壁を上りきった頂きの先には、里全体、いや、妖狸の集落を優に超すほどの絶景が見渡せ、小さな寺院が建っている。その寺院には抜け道があり、いざという時には、そこから里の者全員を逃がす手はずになっている。


 しかし、何処に通じているのか、百合の傍らにいつもいて、いけ好かないと思っている仙狐せんこ美甘みかもでも知らないのだ。いざという時が本当に来た時に、闇雲に進んで良いものなのかと疑問を抱かない阿保ばかりではないと思う美濃であった。


 その美濃について少々語るべきことを語っておく。人よりも、いや、妖狐の中でも狐一番に小柄で、人で例えるならば百人、いや、千人力の怪力を持つ美濃は寺院が、自らの力で崩れてしまうのではないかと思うことが多々あるのだが、一度もそのようなことはなかった。


 しかし、そのような水泡のように消えていく戯言よりも、美濃は百合と向かい合うことにいささか心の臓が苦しくなる性分があることに悩まされていた。


 白と黒が交じり合った白虎のような髪を冴えわたらせる砂浜のような肌。つり上がった瞳と潤んでいる口元、千年を超える長寿である天弧の特徴である四つの尾に触れてみたいと思うこの気持ちが何なのか、皆目見当も付かないのであった。


 さらにしかし


「一体全体何の用だってんだよこんな真夜中に!」


 っと憤怒しながらも、百合に謁見できる歓喜も入り混じった面倒な思いであった。人が半日はかかる絶壁をうさぎが野を掛けるように飛び越えて寺院のくれ縁に着地した。


 その途端にズシンっと大きな音が里中に響けば、天変地異の前触れのような揺れが寺院を少しばかり襲ったのだった。


「少しは静かにすることはできないのですか美濃?」


 寺院に来て第一声を聞くのはいつも彼女であるが、それでも自分の名を気安く呼ばれるのが気に食わない。だから


「何が少しは静かにだよ。こんな真夜中に呼び出されて、あたいは虫の居所が悪いってんだよ薄らトンカチ」


 威勢の良い美濃の啖呵たんかに少しばかり顔が歪んだかのように見えたが、それでも美甘は先程と何ら変わりがない声色で


「まぁまぁ、相も変わらずこの時分に元気が宜しいことですね。百合様がお待ちですよ。行きましょう」


 っと歩き出した。美濃は「はっ」っと威嚇したが、美甘は振り返ることなく本堂へと進んで行った。彼女は「くそっ」っと小言を漏らし、明るい狐色をした美甘の髪を眺めながら後に続いた。


「百合様、美濃が参りました」


「あぁ、お入り」


 百合の返事を聞き、本堂の扉を美甘が開けるとそこには白い四つの尾をふわりと佇ませた百合が横座りしながら書を嗜んでいた。

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