まみ

 集落のほとんどの家々が堅穴たてあな式住居だったが、小春とまみが住まう家だけは京の都の貴族たちが住まう寝殿造しんでんづくりには劣るが、寺院に近いものとなっていた。


 寺院にしては少しばかり豪勢なものとなっていたが、それでも隠神刑部の妾である小春とその血を継いでいるまみが住まう家なのだから、他の者と同じ造りではダメだと月風が先導して建てたのだった。


 台所で朝食の支度をまみとしていた小春の元に「邪魔するぜ」の声と共に月風が米俵一俵を担いで家の中に入ってきた。


「ありがと月風。これから朝飯じゃけんど、あんたも一緒にどうだい?」


「え? え、ええのかい?」


「もちろんさ。どうせあんたは、また朝食わんで畑に行っちまうんじゃろ?」


「まぁそうだけんど、ちょいちょい作物の出来栄え食うてみてるけんそなぁに――」


「アホンダラ! 妖狸でも十分に腹ぁ満たしとらなんだらいざという時どうすんだい! ちいとばっかし待っとっておくれよ。ほら、そうと決まったら上がんな上がんな」


 こうやって時折、昨晩に飲み過ぎて暴れた月風は、翌日小春に朝飯に招待される。こうした気遣いをしてくれる小春に対し月風は以前から、いや、幼い頃から好意を抱いていた。


 月風はそういったおもむきを誰にでも思っているわけではなかった。男に好意を抱き、そいつの子を成したいと思ったこともあった。顔は端麗で胸もある月風は小春と張れる。しかし、その高身長と体格の良さ、何より妖力や化け術に秀でた彼女は男衆のみならず女衆からも好意を抱かれる。


 ある時から小春のことを意識すればするほど彼女の心の中で眠っていた獣が現れた。彼女を自分のものにしたいと言う欲求を引き連れて。


 月風は集落の女衆と何ら変わりないはずの下げ髪を肩に乗せている小春の仕草に唾を飲み込んだ。

 うるちまいをアワとキビを一緒に研いでいる姿を見て、綺麗だと口にしたい思いを押し殺して台所から床の間に向かった。


 月風が床の間に行くとまみは火桶ひおけの前で塩汁に入れる野菜を包丁でぶつ切りにしていた。その姿を見て、月風はまだ幼い頃の小春と重なって見えていた。


 数え年で九つとなったまみは、うないの髪型で、黒々とした髪は何処か茶色が混ざっていた。そこは隠神刑部の血を受け継いでいると思わせる。


 そして、顔や少しだけ華奢きゃしゃな身体は、小春の幼い頃とうり二つであった。幼い頃の小春は、その体形からよく周りの女衆から笑いものにされる対象であった。


 細い身体の妖狸は元気の良い子を産むことができないと言われていたからだ。しかし、その脆く儚げで端麗な容姿のおかげで隠神刑部のお眼鏡に適い妾となり、まみを生んだのだ。


 そのまみは誠に小春に瓜二つと見紛うばかりの娘となった。月風にとってまみを眺めることは保養となるほど、目に入れても痛くなかった。


「邪魔しよわいまみ」


「月姉、また昨日お酒飲んだの?」


 訝しげに見つめる眼に月風はテレを隠すように頭を掻きながら


「ま、まぁね。酒飲みは今日の畑仕事するための英気ぃ養う大事な儀式なんぞな」


「あぁはいはいそうか」


 まみは抑揚のない話方をして月風のことを見ることもなく、白菜のぶつ切り続けていた。月風はまみの隣に男衆のように胡坐をかいて座り


「本当、元気に、大きゅうなったね、まみ」


 っと彼女の頭を撫でながら口にした。まみはそれでようやく月風の方を見て


「ねぇ、月姉、おっとうの話してくれん?」


 っと寂しそうな眼と共に訴えた。まみが月風と二人になった時には、必ず隠神刑部の膝元にいた月風から武勇伝を聞くのが楽しみだったのだ。


 すでに隠神刑部の元を離れて二年が経とうとしていた。この地に向かう道中ではまみは隠神刑部の元から離れる理由を理解していなかった。


 先行してこの集落の建屋や田畑を作っていた男衆の後から、小春とまみと共に、護衛を兼ねた月風を女頭とした陰神刑部の八女狸はちじょだぬきがやって来た。


 妖狸は男衆の方が化け術も妖力も秀でているが、月風を筆頭にした八女狸は妖狐の銀狐に匹敵する力を有していた。


 男女の優劣は明らかに男衆よりも八女狸たちの方があり、基本的に男衆はしりに敷かれていたが、そこは男と女、もとい雄と雌である。月風以外の八女狸は一か月も経たぬ内に男衆と夫婦めおととなったのであった。


 その間、まみは真新しい景色や自然が広がるこの地でのびのびと日が暮れても遊んでいた。その姿を見ていた小春をはじめとした他の妖狸達も温かく見守り、いつ、この地に来た理由を話そうかと思い悩んでいた。


 しかし、ここでの生活が二か月を過ぎて慣れた頃、馬鹿な男衆が夜更け、酒に酔った勢いで言った話をまみが偶然聞いてしまった。


「おらはやっぱり納得できんよ」


「何がだ?」


「小町様のやっかみぞな。自分が子成せなかったんは致し方ねぇことぞな。でもよぉ、生まれてきたまみ様に罪はねぇよ」


「その話詳しゅう聞かせとくれや、わしゃ詳しゅう知らなんじゃ」


「あのよぉ、小春様が懐妊された時、小町様は隠神刑部様にこう言うたらしい。あの妾とできた子殺せってな」


「何でだ?」


「そりゃおめぇ、百年も連れ添うた正妻の自分が懐妊できなんだのんよぉ、


 一緒におって一年も経たん妾が懐妊して子産むこと許され、


 さらに生まれてくる子を我が子って認めるってんじゃけん面白うねぇって話さ。


 じゃけん、小春様の腹の中におったまみ様に呪いかけたんよ」


「まぁひでぇ話だよなぁ。んでよ、そりゃどがいな呪いじゃったんだ?」


「なんじゃおめぇ知らんのか?」


「あぁ……そん時は伊予国いよのくににおらなんだ。なぁ詳しゅう教えてくれんか?」


「仕方ねぇな。それがよぉ、小町様がまみ様にかけた呪いってのはよぉ。自分以外の因果率操る小町様はな、まみ様が十二になった時に小春様――」


「のぉ! その話は本当なの!?」


 草陰からの突然の甲高い声に二人は驚いて腰を抜かし、普段は隠している尻尾が飛び出してしまった。

 二人が倒れたと同時に、まみが頬に大粒の涙を流しながら草むらから出てきて二人に詰め寄ってきた。


「今の話は本当なの!? のぉ! 小町様はあたしに呪いかけたの!? 何の呪いかけたの!? のぉ! のぉぉぉぉ!」


 そこでまみの涙ながらに物言う声が集落に響き渡り、最初に駆け付けた月風が来た頃には時すでに遅かった。


 事情を知ってしまったまみは、その日から三日三晩泣き続けたのであった――。

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