小春と月風
山々の合間から陽が昇り、それを見た夜目の鳥たちは声を木霊させながら飛び立った。流れる川面の中を覗き込めば活きの良い魚が口を何度も開閉しながら栄養を補給していた。
その時分になれば森に囲まれている集落にも陽の光が真新しい今を見せてくれた。鶏の鳴き声が反響して妖狸の者達も目を覚ました。
朝を待ちわびた集落の妖狸の男衆はいつも通りに田畑へと足を向け、育った稲や作物の具合を見た。女衆は身支度を整え、我こそが至上の女と言わんばかりの艶を出しながら表に出て、隣家に挨拶と備蓄している食料を交換したり、そのまま譲渡していた。
その女衆の中に隠神刑部の妾であった小春の姿もあった。彼女は芋や人参、旬の山菜を入れた藁籠を持ちながら、隣家に住まう
「だから、おれは言ってやったのさ、おめーみてぇな玉ぶら下げた狸の子なぞ生みたくもないってね」
「あっははは! 最高の決まり文句じゃないか! あんた本当に最高だよ月風!」
男衆と何ら変わりない投身と肩幅を持ち合わせた剛腕の妖狸である月風の下世話、いや、武勇伝は聞いていて心地よかった。
「それで? 結局昨日そいつをどうしたんだい?」
「玉袋を鷲掴みにして川に放り投げてやったさ」
「あっははは! あぁーあ。全く情けない連中だねぇ、この集落の男衆はさぁ」
「そりゃああんたが隠神刑部様を知ってるからだろ? あのお方に比べたらこの集落の連中なんて足元にも及ばないよ」
「でも、みんなには感謝してんだよ、あたしはね」
小春は月風から視線を移して自分の家を見た。立ち上る煙から、まみが火を起こせたことを知り、さらに顔が綻んだ。
「何だい何だい? 朝から辛気臭い顔になって?」
「これは辛気臭い顔じゃないよ。嬉しいのさ。あたしとまみの為に、こんなところまで一緒について来て、集落を作ってくれたあんたらにさ」
そう言われた月風は小春の頭に軽く力を入れた手刀をお見舞いし「痛っ!」っと彼女が口にしたのを聞いて、男勝りな豪快な笑みととともに嬉しそうにこう言った。
「へっ! 何寝ぼけたこと言ってんだよ素っ頓狂! おれたちがあんたらを見捨てるわけないだろう。あんなに可愛い娘は、まだ三日後でもいねぇんだからな」
「本当、あたしに、よーく似てるよ。あの子はね」
「まぁ、強面の隠神刑部様に似てちゃ、あたしは
「嫌だよ! あんたがいないとつまらんじゃないかい!」
「ははは! 確かにな!」
「おっかあー!」
小春と月風が声のした方を見れば、そこにはまみが頬をリスのように膨らませてこちらを見ていた。
「おっかあ! いつまで月姉と話してんのさ! このままじゃ腹が背中とくっ付いちまうよ!」
小春は月風の方を見て母の顔になった。それを月風は心の中で寂しそうに思うだけにとどめたつもりだったが、顔に出やすい性格が災いして目尻と口角が下がり落ち込んだ表情となった。
「そうだね、そろそろ朝飯作らないとね。あっ! 月風、この籠のもんとあんたが耕した米を交換して欲しいのだけれど、良いかい?」
「あぁ、構わないけど、けどぉ、でもよぉ? 蕨にウドとか、旬のもんばっかじゃないか? 一人身のおれにはうめぇツマミになるけどよ。これはあんたらが米食った方が良くねぇか?」
「良いんだよ。これは日頃の感謝の気持ちさね。受け取っておくれよ」
小春が差し出した藁籠を鼻で笑いながら月風は受け取り
「じゃあ、米を持ってくから家で待ってな」
っと作り笑いをした。月風の表情で小春はすぐにまだ自分と一緒にいたのだと察したが
「あぁ、ありがとね月風」
っと口にしてまみの元へと足を向けた。その背中を月風は愁いを帯びた瞳で見つめながら家へ入った。まみはようやく家の方に戻ってきた小春に
「もう! おっかあはいっつも月姉と話すとなげぇんだからやんなってくる!」
っと歯を剥き出しにして言ったが、小春は何も気にしていないようで
「そうだね、それより、あたしの可愛い可愛い娘が餓死しないように朝飯の支度しないとね」
っと笑いながら答えて家の中に入っていった。まみも「もうあたしの話ちゃんと聞いてんのぉ?」っと言いながら小春を追って家の中に入り、朝飯の支度を手伝い始めたのだった。
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