行き倒れた兎を拾いました

4-2 店の前の邪魔者

 朝起きてすぐのこと。

 俺とジェスターは、受け取りに行かねばならない荷物を取りに行くために、外に出ていた。

 本当は、店で使うものの買い出しついでに用を済ませられた方がよかったのだが、相手方の時間の都合により、寝ぼけた頭のままで向かわねはいけなかったのだ。

 

 いつも通りじゃない時間の過ごし方。

 まあ、ぐちぐち言ってても仕方がないこと。

 仕事をしてれば、よくあることだ。


 ご飯も食べずに、用を済ませ店へと戻ってきた。


 胃が空っぽの状態で、ちょっとした肉体労働をこなしたせいで、お腹がぺこぺこになってしまっていた。

 早くジェスターの作るご飯を食べたい。


 そう思った自分に対して少しだけ驚く。


 俺にとって、ジェスターのご飯がすでに家庭の味になってしまっていたのだ。

 舌を調教されていた。


 これは、何度も同じ人が作る料理を食べたことが原因なのか、それともジェスターの作る料理がうまいことが理由なのかはよくわからない。


 でも、一つだけわかることがある。


 俺が、そう思ってしまったことをジェスターに悟られるわけにはいかない。

 もし、俺がジェスターの料理に慣れ親しんでしまったことがバレたのなら、料理を人質にして、きっと何かまた無茶な要求をされるに決まっている。


 俺の横で歩くジェスターによって。

 理不尽な何かを。


 ジェスター相手には、別に目の前に出されたから食べてるんですよ、くらいの態度でいる方がちょうどいいと思う。弱みを軽々に見せることはできないのだ。


 殺されてしまうかもしれないから。心を。


 まあ、とにかく。さっさとご飯が食べたいことだけは間違いない。体全身がそう騒いでいる。

 店が近づいてきた。見慣れた近所の光景が目の前に、広がっている。

 俺の欲求は、そろそろ叶いそうである。


 そんなことを思っていたときのことである。


 それが、視界に飛び込んできた。



********



 そいつは、ピエロ&ドラゴンの中へと入る扉の前にいた。

 いたと言うか、転がってた。

 大の字、うつ伏せで、地面にキスしている。

 そんな体勢。


 荷運びをしていた、俺とジェスターは顔を見合わせる。

「知り合いか?」

 俺が尋ねる。

「知らないわよ。あんな兎耳の娘」

 ジェスターが答えた。


 ”兎耳の娘”


 ジェスターが、店の扉の目の前で倒れている少女のことをそう形容したのも無理はない。彼女はうつ伏せのために、顔を見ることはできない。

 しかし、それでもその人物が誰なのかを推定するための、見た目上の特に目立った特徴があった。

 それが兎耳。

 体同様にして、しなだれて倒れている耳は、確かに兎のものであった。

 白くて長い。

 彼女は、きっと兎の獣人なんだろうな、と見た目で判断ができる。


 さて、俺たちの通行を妨げる異物をどうすればいいだろうか。

 彼女は綺麗に店の扉を塞いでいるので、無視して通り過ぎることはできない。このままでは、店に入ることができないのである。


 ピクリとも動かない。

 まさか、死んでないだろうか。


 俺たちは、カジノの中に入りたいだけなのだ。

 面倒ごとに巻き込まれすに、平和に解決する手段はないものか。

 俺がそんなことを考えているときであった。ジェスターが動いた。


 ジェスターは、倒れている少女に一歩、二歩と近づいていく。

 話しかけてどけるのか?と思ったのだが、そんなことはなかった。


 正直言って俺は、ジェスターが邪魔者を罵倒するくらいのことは、覚悟していた。


 ジェスターはそういう奴なのである。

 感情がないというよりかは、感情が恐ろしく鋭尖型なのだ。

 尖りまくっている。

 近づくもの皆傷つけるお年頃。


 きっと彼女の日常を邪魔した兎の少女は、無傷ではこの場から去ることはできないだろう、とか思っていたのだ。


 しかし、ジェスターの行動は俺の予想の斜め上をいっていた。


 ジェスターは、倒れている兎の少女に近づいていき…、そのまま踏んづけた。


「ぐえっ」


 兎の少女は、潰されたカエルのような鳴き声をあげた。

 よかった。死んではいないようである。

 生存確認完了。

 ジェスターの体重が全て、少女にかかる。


「うっ」


 少女はもう一言、唸った。

 ジェスターは店の扉を開けると、今踏んだ少女のことは無視して、中に入っていってしまった。


「どうしたのキン。さっさと中に荷物を運びなさいよ」

「運びなさいよって、お前…」


 人間のことを石畳くらいにしか思っていないような悪魔の所業である。

 兎の少女は、唸り声をあげて以降、また動かなくなってしまった。

 ジェスターによってとどめを刺されてしまったのかもしれない。俺は、ジェスターと同じことをするわけにもいかないので、一旦荷物を地面に置いて、少女を揺さぶり、声を掛ける。


「おい…、起きろ。大丈夫か。生きてるか」

「う…、うん」


 少女が息を吹き返した。


「…み、…み」

「み?」


 ”み”とは何のことか?


「…水をください」


 兎の少女は、脱水症状により倒れてしまっていたようである。



********



「プハー!助かったよ。ありがとう!」


 店内で水を飲み終えた少女は、明るい口調でそう言った。

 ジェスターの悪魔の所業を目にしてしまったせいで罪悪感を覚えていたこともあり、俺は兎の少女のことを見捨てることができずに、結局店内に招き入れた。

 厄介ごとを自らの手で招待。

 彼女は動くことができなかったので、脇を抱えて引きずりながらである。

 あのまま、店の前で倒れられていても迷惑だし。


 俺はジョッキに水を注ぎ、兎の少女に手渡した。

 少女はそれを一気飲みする。いい飲みっぷりだ。

 ただの水を、こんなにうまそうに飲む人はそうそう見られるもんじゃない。

 まだ足りなそうだったので、おかわりを持ってきて少女に渡した。

 またも一気飲み。

 ジェスターは、俺が彼女を助ける様子を無視して、料理に取り掛かっていた。


 俺は拾った兎の少女と、ちょっとした雑談をする。


「世の中には、優しい人もいるんだね。本当にありがとう!」

「水をあげただけだ、そんなに感謝されると、逆に申し訳ないぜ」

「倒れた私を踏んずけていく、血の通った人間とは”冷酷ヤロウ”もいたんだけど…。世の中捨てたもんじゃないよ!」

「…ハハ。そんなひどい人もいるのかよ」


 愛想笑いを浮かべて、適当にごまかすことにする。

 ”冷酷ヤロウ”は、君のすぐ近くにいるさ。


 気づいてないのか?

 うつ伏せだったから、誰だかわからなかったのかな?


「でも、何であんな場所で行き倒れてになってたんだよ?何かあったのか?」

「ああ、それなんだけどね―――」


 兎の少女の言葉は、異音によって遮られることになってしまった。


 ギュルルルルル


 兎の少女の腹から大きな音が鳴った。随分と空腹のようだ。

 喉が渇いていただけではなく、腹もすかせているようだ。


 ジューー


 ちょうどそのタイミングで、ジェスターが肉を焼いた、いい音色が耳に届いてきた。


 ゴクリ


 兎の少女が大きく唾を飲み込んだのがわかった。

 …唾を飲み込んだどころではない。ダラダラとよだれを垂らしている。


「…………」

「…………」

「…………食いたいのか?」

「うん。食べたい」


 兎の少女は首を強く縦に何度も何度も振っていく。

 やれやれ仕方がない。こうなってしまったのも、何かの縁だろう。


「というわけで、ジェスター。彼女の分も料理を作ってあげてくれないか」

「いいけど、キン。その代わりキンの分はなしよ」

「えっ?」

「キンの分がそのまま兎の彼女に提供されることになるわ」

「…………」


 そういう等価交換の図式になってしまうのか。


「話は聞いていたか?兎の少女よ」

「ラビューだよ」

「そうか、ラビュー。俺が、君の力になれることは何一つとしてないようだ。あきらめて帰ってくれ」

「見捨てるの?」


 ラビューは、手で祈りのようなポーズをとり、目をうるうるとさせてこちらを見てくる。

 少しだけ、心が揺さぶられたが自分を強く保ち、要求を突っぱねる。

 食欲の勝利。


「俺のボスからのお達しだ。残念だが、俺にはご飯を作ってくださるボスに逆らう権限はない。無理なものは無理だ」

「私、ここ最近ずっとご飯食べてないんだよ。キンは一食抜いたぐらいじゃ死なないでしょ。助けてよ〜。私これ以上ずっと、ご飯食べてないと死んじゃうよ〜」


 俺の体を揺さぶりながら半泣きでそう言ってきた。

 ええい。鬱陶しい。


「帰れと言ったら帰れ。ラビューにくれてやるものは水しかない。それにな、今料理をしているジェスターの飯は地獄のように不味いんだよ。真っ黒焦げの暗黒物質のようなものが出てくる。胃が慣れている俺が食べてギリギリだ。慣れないラビューが食ったら体調を崩すのは当然のこと、下手をすれば死んじまうぞ。俺はな、ケチでそう言ってんじゃない。ラビューの身を案じてそう言ってるんだ」


 口からでまかせをしゃべって、何とか帰らせようと試みる。

 俺だって、腹が減りすぎて限界だ。誰にもご飯はあげられない。

 死守しなくては。


「ケチ!マヌケ!ばか!ど変態!!」


 ラビューは、また俺の体を揺さぶりながらそんなことを言ってきた。

 普段、ジェスターからの罵倒にさらされている俺には、そんなお子様レベルの罵倒は一切通用しない。

 何を言おうとも、無駄なことである。


 この後も、だらだらと帰るか帰らないかの不毛なおしゃべりをしていく時間が続いいていった。

 ラビューの粘り方も凄まじかった。

 ご飯を食べさせてもらうまでは、絶対に帰らないとの強い意志を感じる。

 水をあげたのが原因で、漬け込むことができる優しい人たちとでも思われてしまったのかもしれない。


 乞食根性がすごかった。

 生きる力に、みち溢れている。

 これならば、外に捨てたところで生き延びるだろう。


 そんな、やり取りをしている間に、ジェスターが本日のご飯を作り終えたようである。

 ラビューに気を取られて、全く気がつかなかった。

 俺たちの座るテーブルに料理を配膳していく。


 ……一人分だけ。


「…………」

「…………」

「…………」


「いただきます」


 ジェスターはそう言うと、一人で食事を始めようとした。


「…………あの、ジェスターさん」

「何?」

「このうるさい、たかりの兎の分がないのはわかる―――」

「何でよ!!」

「……俺の分までないのはどうしてだ?」


 そう質問した。


「何?食べたかったの?」

「そりゃ、食べたいよ」

「それは意外ね。そんなつもりはないのかと思っちゃったわよ」

「…………それまたどうして」


 俺も、腹ペコなのである。すぐにでもご飯が食べたいのに。

 ジェスターが作ったご飯が。


「だってキンが言ってたじゃない。私の料理は、”地獄のように不味い”、”真っ黒焦げの暗黒物質のよう”、”胃が慣れているキンが食べてギリギリ”、”慣れない人が食べたら体調を崩すのは当然、下手したら死ぬ”ようなものなんでしょ。普通に考えたらそんなもの食べたくないじゃない。私は無理ね。だから、優しさでご飯を作らないであげたのよ」

「…………」


 ジェスターは俺のことを見ながら、怒りを抑えるような口調でそう言ってきた。

 俺は、不用意な発言でジェスターの機嫌を完全に損ねてしまったようである。


 自分の迂闊さに腹がたつ。


 いつものジェスターに戻ってもらうためには、どれだけの代償を払わなくてはいけないのか、今から考えるだけでも恐ろしかった。

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