第4章 ギャングな兎の入店審査
プロローグ
4-1 出会いと別れ
出会いがあれば、別れがある。
…なんてのは、1年間に100回くらいは聞くことになるチンケな言葉であり、今更これを聞いたところでなんとも思わない。
感情が揺さぶられない。
揺さぶられるわけがない。
得られるものは、ぴったりゼロ。
したり顔でそんなことを言っている奴がいたら、話を聞いているこっちの顔が真っ赤になってしまうほど、恥ずかしくて、痛い人間になってしまう。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
俺は、そんな言葉を死んでも口にすることはできない。一生言うことがないと誓うことができる。絶対に言わない。
しかし、それでも数十年、数百年、数千年と古今東西、あらゆる場所でこの言葉が語られ続けているのは、世界の『真理』の一端を捉えているからなのだろう。
皆が自分の人生を生き、同じ答えに、到達をする。
出会いがあれば、別れはあるのだ。
この言葉が正しいことを、世界中の人々が己の経験から知っていた。
どんなにチンケに聞こえる言葉であろうとも、正しいものは正しいのである。
生きる世界が変われば、物理法則から始まり、住んでいるものたち、動物、植物、社会制度、貨幣、食事、あらゆるものが変化する。
魔法だって使えるようになる。
前の世界の常識なんてものは、何一つとして通用しない。
それでも、自分たちが呼吸をする生物である限り、『真理』は変わらない。
出会いがあれば、別れはある。
相手が人間ではない別の種族で、人間以上に寿命があったとしても、どんなに仲良くても、愛し合っていても、寿命がある限りは、必ず別れの瞬間がやってくるのである。
じゃあ、寿命がなければ、別れは来ないじゃないかって?
無理、無理。
むしろ、寿命という概念がないほうがさっさと別れる可能性は、一気に高まるだろう。
互いに死ぬことができなかったとしても、容易にお別れをすることができるのだ。
相手との関係に終わりがないと思ってしまったら、あらゆるトラブルを時間が解決してくれない。
時間の、喧嘩仲裁人としてもスキルを舐めないほうがいい。
人は、お互いに握手し合わなくても、一度壊れた関係を修復することができる。
時間が何もかもをなかったことにしてくれる。
水に流すのだ。
人間は強い感情を、長期間、ずっと保ち続けることはできない。
喜び、憎しみ、悲しみ、恨み、その全てをだ。
時間が経ったことで何もかもを無効試合とし、感情をなかったことにしてしまう。
不老不死だと、それができない。
あの頃は、お互いに若かったから…、とか言えないのである。
だって、ある意味、ずっと若いままなんだから。
死に近づかなくては、精神の成熟はないのだろう。
人は永遠に続いていく、相手に対するモヤモヤを抱え続けることは不可能だ。
破綻はすぐに訪れる。
たとえ、互いが同じ世界で永遠に生き続けることになろうとも、関係は永続しない。
すぐに、離れ離れになってしまう。
やはり、不老不死が出会ったところで、別れは必ずくるのである。
永遠に続く関係なんてものは、ファンタジー世界にも存在しない。
ファンタジーを超えた、真の「ファンタジー」なのだ。
世界の『真理』をもう一つ。
別れには必ず、負の感情がつきまとう。
プラスの状態で、人間同士が別れることなんて不可能だ。
そんなものは、食べられない食べ物や切れない包丁、泳げない魚、飛べない鳥くらいに存在をしない。
…飛べない鳥は、存在いるけどね。
でも、別れがマイナスであることは、まず間違いない。
それまで、仲良く、楽しい時間を一緒に過ごしていたもの同士が離れ離れになってしまう。気軽にあって笑い合うことができなくなってしまう。それが悲しくないわけがない。
自分の体の一部を失ってしまったような感覚に襲われてしまうだろう。
その人のことを思い出すだけで苦しい。辛い。
あの頃に、戻れるものなら戻りたい。
永遠に続く痛みを抱え込んで生きていくことになってしまうのである。
嬉しい別れもあるって?
人間関係がうまくいってなかった相手と?
ブラックな職場、いじめられていた学校、不仲な恋人、DVしてくる相方とか?
そんなものは、別れる前からすでにマイナスじゃないか。
取り返しがつかないほどに、ありとあらゆるものを失いまくっている。
別れたところで、今までのマイナスは決して元には戻らない。
時間を失い、傷ついた心を抱えたままで、今後の人生を生き続けていかなくてはならない。
やっぱりマイナス。
別れが嬉しいと感じるのは、所詮下げ止まりが見えたことによる安堵に過ぎないのだ。別れたところで、今まで失ってきたものが元に戻るわけじゃない。
プラスに転じさせるためには、別の何かを手にしなくてはならない。
別れのマイナスを受け入れた状態で、新たなプラスを求める旅に出るのである。
トータルでプラスだとか言ってんのは、ただの言い訳。
別れのマイナスがなければ、さらにプラスが上乗せされるじゃないか。
別れには負の感情がつきまとう。
これもまず間違いのないことである。
最近、ふとこんなことを考えた。
辛い別れがあるのならば、誰とも出会わない方がいいのじゃないだろうか。
誰とも出会わずに引きこもる。
感情が何一つとして揺さぶられることがない人生。
最強。
…かどうかは知らないけど、少なくとも、別れで傷つくことは防ぐことができる。
将来の予測可能な傷を減らすことができるのだ。
無傷で生きられる。
出会いがあれば、別れがある。
ということは、
出会いがなければ、別れがない、のだから。
しかし、俺たちは彼女と出会ってしまった。
一度出会ってしまったのなら手遅れだ。もう、間に合わない。
出会いとは不可逆なものである。
出会いを取り消すことは、誰にもできない。
出会いを取り消すためには、別れるしかないのである。
別れたのならば、傷ついてしまう。
やっぱり、手遅れ。
とにもかくにも、俺たちは彼女と出会った。
それは良かったことなのか、悪かったことなのか、正直言って、いまいちよくわかっていない。
別れを迎えるくらいならば、やはり、出会わなかったほうがよかったのだろうか…とも思う。
それとも、別れのことは一旦忘れて、出会いを盲目的に祝福することこそが、人とちて正しい態度なのだろうか。
出会いを喜び、別れを忘れる。
これこそが幸せに最も近づく手段なのかもしれない。
俺たちは、
彼女と出会った。
仲間になった。
店で働いた。
笑って語り合った。
一緒に飯を食った。
一緒にゲームで戦った。
土下座した。
ギャングをぶっ飛ばした。
思い出を作った。
明るく、愉快で、ファンタスティックで、空気を読むのが苦手で、ちょっとMな兎の少女は俺たちの仲間になった。
カジノ・ピエロ&ドラゴンの一員に。
きっと俺は、彼女の存在を永遠に忘れることはないだろう。
店に関わる皆が、彼女のことを明るく向かい入れた。
盲目的に祝福した。
別れのことを考えると、それがいいことなのかはよくわからない。
その答えは、いずれは必ずやってくる別れの瞬間に見られるのだろうか。
負の感情の中で。
俺たちはピエロ&ドラゴンで、突如現れた兎の少女と、ちょっとビターな”出会い”の物語を紡ぐことになってしまったのである。
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