1-3 全裸になったその先で...
初めて訪れた店の中で俺は、即全裸になったのである......そう、シャワーを浴びるためにね。
ゴミ捨て場の中に入っていた俺の体や服は汚れていた。
このまま他人の店に入るのには、さすがに躊躇してしまうほどに汚れきっていた。
どうやらこの場所は、少女の店でありながら住居も兼ねているらしい。
一階が店舗スペースでありながら、店の奥にある階段から二階の住居スペースにいける構造になっていた。
俺はこの建物の中で、風呂を借りることになる。
他人の家で全裸になることに対して若干のためらいも感じたのだが、そんなことを言っている場合ではない。
ここで断って、汚いままでいる方が失礼だと思い直し、ありがたくシャワーを頂戴する。
服を着たままでシャワーを浴びるような奴なんているわけもなく、当然、生まれたままの姿である。
一度踏ん切りがついてしまえば、もうためらう理由はなく、遠慮なく石鹸を使いゴシゴシと体を綺麗にしていった。
体を隅々まで洗い、水で流し、全身の匂いを嗅いでもうゴミの匂いはしないと確信してから浴室をでる。
シャワーを浴びた後って、まるで生まれ変わったような気分になるよね。
軽く、異世界転生でもしたような気分に。
せっかく綺麗になったのに、ゴミだらけの服を着るのか?と気付いたのとほぼ同じタイミングで、綺麗なバスタオルと自分が着ていたものとは全く違う男物の洋服が目に入ってきた。
もちろん少女のものであるはずがない。
兄弟のものか、それとも父親か。
少女は見た目的には、おそらく日本の女子高校生くらいの年齢に見えた。
そりゃ、一人暮らしをしているはずもなく、男物の服ぐらい当たり前にあるはずだ。
ありがたく服をお借りして、頭についた水気をバスタオルで拭きながら、少女のいるであろう店舗スペースへと向かっていった。
そこには、俺がシャワーを浴びている間に、料理を作ってくれていたであろうエプロンを身に纏った少女がいた。
調理スペースの器具などは、1人の少女が使うには立派過ぎるくらいに立派で、かなり充実をしているのがよくわかる。
「シャワー借りたよ。ありがとう、お嬢さん」
「お嬢さんはやめて」
目の前のフライパンに集中をして、こちらを一瞥もせずに少女はそう言ってきた。
「私は、ジェスター・ピエロン」
少女の名前はジェスターと言うらしい。
「ジェスター...」
「さっきからお嬢さん、お嬢さんって言っているけど、お嬢さんはやめて。何だか子供扱いされてバカにされてるみたいで不愉快よ。あんた、どう見ても私とほとんど年齢が変わらなくない?」
見た目が変わらない?俺の方がそこそこ上のはずだけど。
そのときに、カンテカンテラ商店街の通りに面したところにあった窓に映った自分の顔を見て愕然とする。
迂闊にも体を洗っているときには、気がつかなかった。
明らかに若い。
男子高校生ぐらいの見た目である。
俺の元々の年齢は......、あれ、俺って何歳だっけ?
「あなたの名前は?」
「俺の名前......」
ジェスターの問いかけに対して答えられない。
思い出せない。
俺は、確かにこの世界とは違う世界にいて、違う人生を歩んできたはずだ。
だけど、頭に対してなんだか霧がかかったようなモヤモヤとした感じがして、何もかもをはっきりとは記憶として呼び起こすことができない。
年齢も、名前すらも失ってしまっている。
俺は何に生きて、何を愛した人生だったんだろうか......「
ふと出てきたのは、その文字であった。
「俺の名前は......、キン」
本当にそんな名前なのか、小学一年生のときに自分な一年何組だったのかくらいの、確信を持てない気持ちのままにそう言っていた。
パッと連想された文字の読み方を変えたのは、無意識の抵抗意識だったからかもしれない。
キン。
口に出してみれば、しっくりとこないこともない。
とにもかくにも、俺の名前はキンとなった。
「そう、キンなのね。何だか「
...ジェスターに出会ってからは短い時間しか経っていないのだけれども、今までで一番傷き心に刺さった、言われたくなかった一言だった気がする。
「それで、名字は?」
「...だめだ、全く思い出せない」
こっちは、小学一年生の頃の入学してすぐに、隣の席の子が誰だったのかと同じぐらいに思い出せそうな余地すらない。
何も出てこない。
「そうなの、まぁいいわ。ところでキン」
なんとなく事情を察したのか、ジェスターは名前に関しては、それ以上の追求はしてこなかった。
そこでジェスターは顔を上げ、シャワーを浴びた後に店内へと入った俺に対して初めて視線を向けてきた。
今度は、どんな罵倒をさせるのかと体が少しこわばった俺に対して、ジェスターはこう告げた。
「ご飯できたわよ」
ジェスターの料理は、真っ黒の個体が皿の上に置かれたダークマターのような物質だった。
というオチがあったわけではなく、お店で出てくるような普通の美味しい料理であった。
いや、ここは店舗であり、本当に店で出てくる味なのか。
店内に置いてある、小洒落たバーにあるような、円形のテーブルの上に料理が並べられる。
そして、腰をかけると足が宙ぶらりんになるような高さの椅子に向かい合って座って、食事を始めた。
「いただきます」
2人で手を合わせてそう言った。
少し茶色がかったほんのりと味の付いた米に、一口大の肉と何種類かの野菜が一緒に甘辛く炒められたおかず、どう調理したのかわからない細切りの根菜類っぽいものが入っている小鉢、さらには、これが見た目てきには一番度肝を抜かれたのだけど、水色に輝くスープが添えられていた。
食事は、普通に箸とスプーンで食べた。
豚でも牛でも鳥でもないような未知の肉の食感と、スープの色のことに目をつぶれば、つぶらなくても上等すぎる食事である。
俺は腹をすかせていたのだろう。
じっくりと味わいつつも、素早く、美味しく食事を完食させていただいた。
食事中は、ほぼ無言で食器がぶつかる音のみが、店内に響いていた。
食事を終えて、すっかり空になった食器を全て片付けたところで、なんとなしに机の位置まで戻り、ジェスターとまた会話をする。
「この後、どうするの?」
「...何も決まっていない」
未知の世界に、未知の姿でどうしてここにいるかもわからない状況である。
ホッと一息つけたのだが、冷静に考えてみれば大ピンチであった。
日も暮れかかっているので、ジェスターにこれ以上やっかいにならないとしたのなら、外を探索するにしても急いだほうがいいだろう。
普通に考えたら、出会ったばかりの謎の男に対して、シャワーを貸してもらって、服を借りて、ご飯を食べさせてもらった時点で大恩人である。
口は悪いが心は優しい、ジェスターはそんな女の子なんだろう。
俺はジェスターの暖かさに心を打たれていた。
やはり、これ以上は迷惑をかけられない。
そう思って、俺は椅子から立ち上がった。
「俺は行くよ。この世界がどうなっているのか気になるし、これ以上迷惑かけられないから。悪いんだけど、服は借りていってもいいかな?いつか返しにくるよ」
「いいわよ。その服はあげるわ。もう、着る人もいないしね」
ジェスターの顔は少し寂しそうに見えた。
いや、そう思いたい俺の幻覚かもしれない。
しかし、俺はそのことに対しては深く突っ込まなかった。
「ご飯美味しかったよ。ありがとうジェスター。ごちそうさま」
俺はそう言って、ジェスターに対して背中を向けて、店の扉の方へと向かっていった。
さて、俺は新たな世界で何をして生きていくんだろうか。
この謎の世界で冒険者にでもなって、モンスターでも狩るのかな?
「待って」
ジェスターは去りゆく俺のことを呼び止める。
そして、口を開いて次の言葉を続けた。
それは、色々あった本日の俺の中でもズバ抜けて衝撃を受けた一言だった。
意識を取り戻した瞬間に、なぜかゴミ捨て場の中にいたことよりも、街に普通にエルフや獣耳を持った女の子、長身の蜥蜴男が歩いていたことよりも、水色のスープよりも、自分の見た目が若返っていたことよりも驚いた。
いや、記憶がはっきりとはしない過去の人生と比較をしても、きっとこれ以上にないほどの衝撃だったと思う。
未知の世界で最初に出会った俺の恩人で、困っている俺に手を差し伸べてくれた。
「口は悪いけど、心の芯は暖かい」
そう信じきっていた少女は、身の毛のよだつような恐ろしい一言を発してきたのである。
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