十五話 独白(下)
それで、わたしは少し寝ていたようです。
目を開けると、扉の窓にお母さんの顔がありました。お母さんは特にこれといった表情を浮かべておらず、わたしの様子をじっと眺めていました。
歓喜に震え、わたしは声をあげました。扉にかけよります。扉越しにやっと、お母さんと対面。
まだ生きてたの? お母さんはそう言いました。
あれから三日も経ったのに。
お母さんの言葉が信じられませんでした。わたしの中では、閉じ込められてからまだ半日も経っていないという感覚だったからです。
そういえば、とお腹をさすると、びっくりするくらい真っ平らなのが分かりました。途端に空腹感を覚え、扉にべったりくっついてお母さんにすがりました。
お腹が空いたの。早くここから出して。
わたしの声が聞こえていないみたいに、お母さんは静かに独房の中を覗き込みました。やがて、あの水たまりを目に止め、舌打ちをしました。
あら、水があったの。よかったね小夜。水があるのとないのとでは、餓死する期間もだいぶ違ってくるわよ。ほんのちょっぴり、長生きできるわ。
がし?
自分の耳が、自分のじゃないみたいでした。目の前のお母さんも、お母さんじゃないみたいでした。あれはお母さんの皮をかぶった誘拐犯だったのでしょうか。
それっきり、お母さんは独房に姿を見せませんでした。日にちの感覚はやっぱりありません。人間は、お日さまを見なければ一日の長さを推し測れない生き物なのだと知りました。
最初はひどい空腹感で目眩まで起こしていたのですが、やがて胃に穴が空くような腹痛がしてきました。胃酸がのたくりまわり、内壁を削るかのようです。
とても立っていられなくて、わたしは地面に横になりました。お腹がぐるぐると渦巻くようで、とにかくなにか詰め込まなければだめだと思い、がらくたの破片で地面を削り、砂を食べました。
気持ち悪くなって、すぐに吐いちゃいましたけど。
さらに時間が経つと、今度は頭が割れるような頭痛に襲われました。頭の中をいじくりまわされてるみたいでした。酸化液で脳を溶かされるような殺人的な頭痛です。
ラジオで現在の日にちを聞きました。お母さんとドライブに出かけて、もう九日が過ぎているようでした。
この頃になると、例の頭痛や腹痛に悩まされることはなくなっていました。代わりに、食べたいという欲求も失せ始めていたのです。
四六時中ねぼけ眼で、景色が歪んで見えました。頬に触ると、骨の感触をありありと感じ取れました。手や足は青ざめています。
身体の芯から力が抜け、もはや立つこともできません。地面にずっと当てていた腰あたりの血が滞って、じわじわとした痒みが常時へばりついていました。
初めのころ、ものを食べられないという現状にひどく恐怖したのですが、そんな原始的な感情も徐々に薄れていきました。なにかを考えることにさえ無気力で、生に対しての執着を奪われていくような感じです。
ラジオの番組で数回、お母さんの出演する番組を聴きました。
お母さんは、ある紛争地域の現地レポートを終えた体験談を語っていました。
お母さんは特に紛争の中で生きる子供たちに注目していたようです。
飢餓で悩まされる世界中の子供たちのために、日本でももっと支援の意識を持たなければいけない。そんなことを語っていました。なんとも滑稽ですね。
出演者の大御所演歌歌手が、お母さんにこんなことを尋ねました。
――もしあなたにお子さんが居たら、飢餓で苦しむ子供たちの現状について、どう教育してあげますか?
お母さんがそれになんと答えたか、うまく思い出せません。お母さんらしい、もっともな答えを返していたように思います。
もしあなたにお子さんがいたら。
その演歌歌手が、彼女を人の親だと知らなかったための発言じゃありません。それもそのはずです。お母さんは、世間的には天涯独り身だと認識されていたのですから。
そうです。わたしはこの事実を知らなかったわけではありません。今まで知らないふりをしていただけです。
わたしは本来の意味での箱入り娘ではありません。隠されるように育てられただけだったんです。望まれない子供だったんです。少なくとも、お母さんには。
それが身に染みて分かってしまうと、もうどうでもよくなってきて。
やっぱりそうなんだって。
それなら、このままでいいやと思えてきて。
砂だらけのまつげを拭うこともせず。産まれる前に戻りたくて、膝を抱いて、まあるくなって。
やがてラジオが生命を失っていくように、わたしの鼻先で静まり返りました。
わたしは目を閉じていました。眠りから覚醒していましたが、しばらく閉じたままでいました。
何故なら、瞼の上からかかる陽光が眩しすぎたからです。
全身が柔らかいものに包まれていました。懐かしくて温かい、お布団の感触です。
ふいに誰かがわたしの頭を撫でました。光に慣れて目を開けると、そこにはお父さんがいました。優しい笑みを浮かべ、お父さんがわたしの頬を撫でていたんです。
助かったのだと知りました。わたしは、たしかに生きていたのです。
起き上がってお父さんに抱きつきたかったけど、起き上がる気力がありません。
お父さんが水を飲ませてくれました。薄れた視力が戻ってくると、自分がまた見知らぬ場所に居るのだと知りました。
ログハウスのような一室です。丸太組みの古めかしい部屋。頭上でベージュのカーテンが揺れ、窓の外に木漏れ日を見ました。
お腹が空いただろう。
お父さんが優しく問いかけました。わたしはかすかにうなずきます。お父さんはホワイトシチューのお皿を手にしていて、スプーンをわたしの口元に近づけてくれました。真っ白な液体の中に、きれいな褐色をしたお肉があります。
食べなさい。
口に含むと、未知の味が舌の上に広がりました。美味しい、という範疇を超えていたように思います。わたしは弱々しくも感動して、がらがらな声で尋ねました。
これは、なんのお肉?
お母さんだよ。
牛肉だよ、とでもいうようにお父さんが答えました。
なるほど、だからこんなに気分がいいわけか。正常を欠いた思考で納得し、口の中のお肉をよく噛みしめました。
お父さんにお肉を多めにお願いして、何杯もシチューを食べさせてもらいました。
今まで飢餓状態にあったというのに、胃はすんなりとお母さんを受け入れてくれます。わたしを死の寸前まで追い込んだはずのお母さんを、どうしてだか歓迎していました。
やはり美味しいという感じはありません。食べる、という感覚とも違います。
みなぎるとか、吸収するとか、身体に取り込んでいくという感じでした。食物を蹂躙し、支配するような気分です。相変わらず起き上がれないくせに妙に力であふれていて、地を這う虫けらから天上の神にでも昇格したような、途方もない全能感で満ちていくのです。
気付けばわたしは、泣きながらお肉に感謝していました。何故ここでこうして、わたしがお母さんを食べているのか、その全てを理解しました。
この感覚を味あわせるために違いありません。最高の状態で、自分を食べてもらうためだったんです。
この件で、お母さんを一瞬でも軽蔑したことを、わたしは後悔しました。お母さんはやはり世界一尊敬できる人物だったんです。わたしのために自分の全てを差し出してくれた、とても偉大な母だったんです。謝ったり、感謝したりしたいけど、彼女はもうこの世にはいません。
お母さんが行方不明になった事件はしばらく世間を騒がせましたが、一年もすると人々の記憶から消え去ってしまいました。
いまだに年に一度、お父さんと遠くへお出かけします。お母さんを食べた日を祝って、キャンプをします。
一種の謝肉祭でしょうか。
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