十四話 独白(上)

 小学生のわたしは、いわゆる箱入り娘というやつでした。滅多に外に出してもらず、箱の中で卵のように育てられるという、あれです。


 たとえば、吉村さんや咲子さんは、幼児時代にどんな思い出がありますか?

 普通ならたぶん、幼稚園や保育園で同年代の友達に囲まれて有意義に過ごすと思います。

 わたしは、そのどちらにも通いませんでした。ずっと家の中にいて、ベビーシッターや家庭教師にお世話してもらっていました。外に出たり、公園やプールで遊んだりという経験はすこしもありません。他の子供たちと交流した覚えもないです。

 両親が過保護だったという理由もあり、お母さんは報道のお仕事で、お父さんは大学の教員だったので、必然的にわたしに構える時間が少なかったからだと思います。


 さっき、幼稚園や保育園に通うことが有意義だと言いましたが、そのときのわたしは別に、その生活が有意義でなかったとは思いませんでした。幼い子供は、大人に囲まれて育つものだと思っていたからです。


 小学校には、受験を経て入学しました。首都圏内の大学キャンパス内にある国立小学校です。入学前、両親に

一つだけ約束させられました。


 ――お母さんのお仕事のことを周りの子たちに話してはだめだよ。


 お母さんは、朝や夕方の報道番組でニュース記事を読む仕事をしていました。誰でも一度は目にするような、いわばテレビの看板みたいなひとです。

 なので、特に悪いことはしていないのだけれども、テレビに映るお母さんをネタにして面白がり、わたしを馬鹿にする子が必ず現れるからだ、という理由からだったのです。


 わたしは言いつけを守りました。というか、同世代の子供たちと遊んだ経験のないわたしに、そもそも最初から友達なんか出来っこなかったんです。約束は自然と守られました。

 わたしが小学校に入る頃、お母さんのお仕事は、単なるニュースキャスターというカテゴリーを飛び越えていました。タレントや役者活動をしたり、報道キャスターとしても、自ら世界中に出向いて現地レポートなどをしていました。身をていして世界情勢を提供するお母さんの姿に、日本中の人々はいたく感心させられたようです。

 そんなわけで、わたしにとってのお母さんは、普通のお母さんとはイメージが違います。

 母とはお茶の間に居るものではなく、お茶の間のテレビの中に居るものだということです。


 お母さんと会えるのは二、三ヶ月に一度くらいでした。

 お母さんはいつもサングラスや帽子をしていました。有名人だから当然です。

 素顔を見せるのはレストランに入ってからです。高層ビルの最上階にあるような、個室のレストラン。そこなら誰にも素顔を見られず、落ち着いて食事ができます。

 両親そろって物識りで優しいので、その滅多にないお母さんとの食事会は、わたしの悩みや質問に答えてもらう相談コーナーみたいになっていました。

 そして、最後は必ず、お母さんがお話を聞かせてくれます。世界中をレポートして得た経験をもとに、とても価値のあるお話をしてくれました。

 面白くもあり、勉強にもなり、ときには涙するような感動話も聞かせてくれました。かけがえのない、貴重なひとときでした。


 恥ずかしいけど、二人には正直に告白しておきます。

 わたしは、お母さんの大ファンでした。

 ――笑わないでください、吉村さん。




 小学三年生のあるとき、お父さんが海外の大学まで出張した時期がありました。期間は一ヶ月だとか、そこらだったと思います。

 お母さんは常に家にいないので、ホームシッターを呼んでいました。小学校の送り迎えにホームシッターのお姉さんが来るのは恥ずかしかったけど、もとよりわたしは、学校時間外で他の子たちと遊んだことがなかったので、生活サイクルはほとんど変わりませんでした。


 そんな生活が始まって、一週間ほどが経ってからです。

 突然、家にお母さんが訪ねてきたのです。

 そうですね。帰ってきた、というより、訪ねてきたという感覚です。

 ドライブにでも行こうよ。お母さんがそう言いました。いきなりのことで訳が分からないながらも、うれしいことに変わりはないので、わたしは快諾しました。

 次の日は学校をお休みして、お母さんと二人きりでドライブに出かけました。お母さんと一緒に居られることに、わたしは興奮しっぱなしです。

 どこへ行くの、そう尋ねてみると、

 内緒よ、とお母さんはかわいらしく笑いました。


 高速道路に乗り、とあるパーキングエリアに入りました。

 ここでお留守番しててね、そう言いながらお母さんが車を降りました。

 戻ってきたお母さんの手にはペットボトルのジュースがありました。べつに喉の渇きをうったえた覚えはないのですが、飲み物を買ってきてくれたようなのです。


 ――怪しいですか? そうですね。こうして物事を抽出して語れば、怪しく聞こえるのは当然ですよね。

 ジュースを飲んだ途端、急激な眠気が襲ってきました。




 目を開けると、信じられないことにわたしは独房の中にいました。

 岩壁が上下左右を埋め尽くしており、ある一面に鉄製の扉があるだけです。

 扉には顔の大きさほどの四角い穴が開いています。鉄格子やガラスなどは嵌まっていませんが、何しろ小さな窓なので、そこから出ることはかないません。

 窓から覗くと、真っ暗な空間が広がっていました。どうやらそこは地下だったようです。扉を叩くと、ごぉんごぉんとした音が空間に響いていきました。

 扉の真横には電気のスイッチがあります。見上げると、こぶし大の白熱電球が垂れ下がっていました。明かりがなくなるのは怖いので、いっとき、スイッチに触るのは止めておきました。

 独房の隅にはがらくたが積んでありました。そのほとんどが家電製品の残骸か、壊れたおもちゃかぬいぐるみです。しかし、ゴミ倉庫というにはあまりにも中途半端な造りの部屋で、やはりそこは独房と表現するしかありません。


 きっとわたしは、何者かに誘拐されてしまったのだと思いました。窓の穴に顔を押しつけ、お腹の底から声を出しました。泣きながら、何度もお母さんやお父さんを呼びました。

 なんの反応もなく、わたしの声は地下の暗闇に吸い込まれていくばかり。すぐに声が枯れ、しだいに、喉が干からびていきました。


 ふと見上げると、天井に小さな穴が空いていました。そこから、少量ながらも水が漏れ、岩の壁をまっすぐと伝っていたのです。地面には小さな水たまりが出来ていて、少しずつ割れた岩の隙間へと流れていっているようでした。

 地面にあるものなど、わたしは口にしたことがありません。行儀が悪いし、お腹を壊してしまうからです。

 だけど、そのときはそうも言っていられませんでした。両手を水たまりに差し、ひと掬いだけ飲んでみました。錆びた鉄のような味です。ぎりぎり飲めないことはなかったんですけど。


 怯えてばかりではいられないので、まずはがらくたの山を漁ってみました。

 携帯電話がないかと期待したのですが、むろん、そんなものが都合よく捨てられているはずがありません。そもそも地下なので、使えるかどうかもあやしいです。

 古くさいラジオを見つけました。手のひらくらいの大きさで、一応、電池も入っていたようでした。しかし、これも使えないに決まってる。

 分かってはいるものの、わたしは藁にもすがる思いでラジオをいじくりました。スピーカーからは、絶えずざーざーとした不快音が流れています。


 諦めかけたそのとき、なんとラジオが電波を受け取りはじめたのです。FM放送の一局のみで、音もかなり不鮮明でしたが、それでも受信しました。ほんと、不思議ですよね。

 スピーカーに耳をくっつけて流れ出す雑音に聞き入りました。

 最初は音楽番組でしたが、やがてニュースが始まりました。

 もしかしたらわたしが誘拐されたニュースが流れるかもしれません。幼いながらも、少しでも情報を得なければと考えました。まぁ結局、そのときはわたしに関するニュースは一切流れませんでしたけど。

 電池がもったいないので、一度ラジオの電源を切り、壁を背にして座り込みました。

 窓の外を見つめて、誰かが顔を出すのをしばらく待ってみることにしました。

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