第3話
窓から見える景色にだんだん田園が写り込んでくる。私には、それが都会が田園に押しやられているように写った。灰色の景色も横に押しやられて緑が次第に広がっていく。その様が私は大好きだった。別段、都会というのが嫌いなわけではなかったが、どこかしら無機質で非生物的なコンクリートや土壁というのは私にとって、強い不安を覚えるものだった。高速道路のインターチェンジに差し掛かると、一瞬その景色は隠れるが、すぐにまた景色が広がる。高速道路は空の上を走っているようでちょっと楽しかったが、この田んぼの続く景色を車で走るのは、まるで風になるようで心地よい。
私が緑色の風景を見て、いつも落ち着いてくのはおそらく幼頃のこの経験が原因だろうと思う。私が車に揺られながら、この田園風景を眺めていた時、私は少し、背中から伝わる車の振動というのが、あまりにも違和感なように思われた。それがゆりかごのように思われる人もいるだろうが、残念だが、私にはそうは思えない。私は、人間の作り出した、硬質な感触よりも、偉大なる自然が生み出した柔らかい草原のマットや波のように寄せる草木の海の方が私は好んだし、そちらの方が安心感を覚える。私があってはならないことは、これらの自然を忘れてしまうということだし、この事実から目を背けてしまうということだ。水平線から昇り来る太陽を見つめることが、あるいは押し寄せる波音を聞くということが、どれほど私たちにとって重大な意味を持ち、どれだけ純粋にこれらを感じ取ることができるか。私たちは機械化することに逆らい続けなければならない。常に、自我を保ち、なお、その自我の所在とは自然にあるのだ、と私は思うのである。ただただ移ろいゆくこの景色というのが、果たして自我のない産物だろうか。あるいはこれらがただただ風に流されているだけには見えず、これらの景色は常に私たちに語りかけているのだ。
しばらく田園風景が続き、そこも過ぎ去ると今度は果樹園が広がるのだ。果樹園の並木が私たちを見つめている間、私は、母に話しかけた。
「お母さん、おじいちゃんの家、まだ?」
まだよ、と母はことも無げに返す。なんども祖父の家にはきているはずだが、やはり時間はかかる。退屈に目を閉じた。
私は夢想していた。とある公園である。見たこともない公園だが、どうにもあの遊具は見たことのあるものばかりだ。あぁ、あの遊具は友人の健くんが落ちて、怪我をした遊具だ。それを見て初めのうちは私も怖くて遊ぶことができなくなったが、そんなことも忘れかけていた頃、この遊具は撤去されていた。どうもこの遊具はあまり評判が良くなかったらしい。ふと、その遊具に向かって行っている男の子が見えた。それはまさしく健くんだった。
「健くん、ダメだよ! また怪我するよ!」
そう呼びかけたが、健くんはそのまま遊び続けているだった。私の声も届いていないようである。どうにも健くんは誰かと遊んでいるようである。それは、みっちゃんだった。その二人はあまりに楽しそうに遊んでいるので、私はその楽しげな風景に気持ちを踊らせて、その遊びに参加するのである。
今にして思えば、みっちゃんと健くんに直接的な関係性はない。つまり、お互いに遊ぶことはないはずである。その後目覚めた私にとって最大の不可解な点とは、お互い知り合うことのない友人同士が、同じ場所で遊んでいたことである。今の私が当時を回想して、さらに思う不可解な点とは、私がどれほどの受容力を持ってその出来事に接していたかということである。幼い頃というのは、刹那的である。その一瞬にどれほどの価値があるか、あるいはその一瞬がこれからの私を形成していく上で、何を意味するのか。いかに目の前が熾烈を極めた凄惨な現場であっても、あるいはそれが金科玉条のごとく飾られた甘美な出来事にあるにしても、幼い私はその全てを、そのままの事実として受け入れ、それを楽しんでいたのである。このひとときの夢想のように目の前で起きたことが不可解であり、違和感を伴うものであったとしても、それは単なる事実として私には見えたのである。私たちが、幼い頃、どれほどの受容力で事実をみ、感じ、聞いてきたか。今にしてはもう思い出すことは叶わない。しかし、私たちが忘れてしまってはいけないのは、かつての包容力あるいは受容力は、現実に存在し、私たちを構成しているということだ。私がこれからたどる、あまりにも平凡でただ時間を風流として楽しみながら私の死まで過ごす、この緋色の糸のような生涯は、幼い頃の私のこれらの経験が大きく関わっているのである。私たちが忘れてはいけないのは、私たちが対する子ら、私たちが向き合う未来人たちは、私たちの立ち振る舞いで、如何様にも変化しうるのだ。私たちはその畏れと敬意を持って向き合うのである。
音の鳴る庭 とんび(Tombee) @tombee_creator
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