04 のんちゃんは1日に2度生き返る
「あー、服着ちゃうんだ?」
「は?」
メイクを始めた彼女に言うと、怪訝そうな視線を向けられた。
すっぴんって裸みたいだよね、という言葉を僕は呑みこむ。
「なんでもない」
「変なの」
テーブルを挟んで、鏡に向かっている彼女を眺める。
さっきまで無防備な顔をして寝ていたくせに、今はよそいき顔だ。つまらない。
「ねえねえ、女の子ってなんで化粧するの?」
「身嗜みってやつじゃないの?」
「僕はのんちゃんのすっぴんの顔のほうが好き」
「そう」
僕の言葉はあっさりと流されてしまう。
彼女が化粧をするのは外に出掛けるときだけ。僕と家にいるときはいつだってすっぴん。ということは彼女の素顔を知っているのは僕だけか。それならそれもいい。
メイクをした顔はあまり好きじゃないけど、メイクをしている最中を見るのは好きだからこの時間も実は嫌いじゃない。
「ねー、アイライン入れないほうがかわいくない?」
「入れないと目が小っちゃいんだよ」
「のんちゃんは小さい目がかわいいんじゃん?」
「……どんぐりみたいなまんまるお目めしておきながら何を言いやがる」
ああ、でもアイラインを入れているときの顔が好きなんだよなあ。
ちょっとブサイクだよ最中の顔、と言ったらまた怒られそうなので黙っとく。
「のんちゃん、コーヒー飲む?」
「飲むー。あ、でも昨日の食器そのまんまだ……」
「いいよ、僕が洗っとくから」
「ありがとー」
本当は僕が片付けるのを期待していたんだろう。
寝起きの彼女の声が次第にご機嫌になっていくのが分かって、僕もご機嫌になる。
すっぴんの彼女は、不機嫌そうだけど、メイクをすると機嫌が良さそうに見える。
にっこり笑うとそりゃあ花が咲いたみたいに可憐だから、できるだけ外では笑わないでほしいんだけど、笑うのがお仕事みたいなものだそうだ。
「のんちゃん、今日帰りは?」
「んー、ちょっと遅い」
キッチンから振り返ると、メイクを終えたのんちゃんが着替えを始めていた。慌てて視線を逸らす。いつも露わな格好で寝ているくせに、着替えているところを見られるのはひどく嫌がるのだ
「ごはん、一緒に食べられそう?」
「間に合うように帰ってくる」
きっとあまり気が進まない仕事があるんだろう。今日はのんちゃんが好きなおかずにしてあげよう、と思った。
*****
ちょっと遅い、と言っていたけれど、のんちゃんの帰りはうんと遅かった。
ちょうどいい時間に用意した夕飯はすっかり冷めてしまっている。
「ごめんねえ、連絡もできずに」
「いいよ。そんな気はしてたし」
やっぱり、今日の仕事はしんどいもののようだった。作ったほくほくのコロッケはきっと今ののんちゃんには重いだろうし、この時間だと太っちゃうから、と言って食べなさそうだ。
冷蔵庫から鮭フレークを出し、海苔をコンロで炙る。あとは、お湯を沸かして……。
「ああ、いいねえ、お茶漬け」
「でしょ」
コットンでメイクを落としながら、のんちゃんが僕の手元を覗き込む。
不思議だなあ。朝はメイクをするにつれて顔に生気が宿っていくのに、夜はメイクを取ると生き返っていくような気がする。のんちゃんは1日に2度生まれ変わっているのだろうか。ていうことは朝起きたときは死んでるのかな。
「……なんかアホなこと考えてるでしょ、今」
「ううん、のんちゃんはすっぴんの顔のほうがやっぱりいいな、と思っただけ」
「それはあんたが学校ですっぴんの女の子ばっかり見てるからでしょ」
「そんなことないよ、今は小学生でもメイクしてる子いるんだよ。ピカピカのリップとかつけて」
「ゲッ、もったいない……大人になったら嫌でもメイクしなきゃいけなくなるっていうのに」
ああ、そうだ、とすっかりメイクを落とし終わったのんちゃんを見て、ポン、と手を打つ。
「のんちゃんはメイクをすると年をとるよね」
「あ?」
「朝はメイクをすると大人の顔になって、夜はメイクを取ると若返る!」
「私がおばさんって言いたいの? メイクがよれているってこと? それとも帰ってきたときの顔が疲れ切ってるってこと?」
「メイクがよれる?」
「……なんでもない。なんかよく言ってることが分かんないけど、あんたが私のすっぴんが好きだということはよく分かった」
そうだよ、そうだって言ってるじゃん、と言いながらごはんと鮭フレークを盛り付けた茶碗に、白だしをお湯で薄めたものを注ぐ。うーん、やっぱり昆布出汁は毎日とったほうがいいな、今日は寝る前に出汁を取ろう。
「わーい、いただきます!」
茶碗を手に取ると、のんちゃんは豪快にお茶漬けをすすった。
「はあ……生き返る!」
あ、なんだ、やっぱりのんちゃんはさっきまで死んでたんだなあ。
そうそう、のんちゃんが食べている姿を見るのも好きだ。
「今度の土日は休めそうだから、どっか行く?」
「のんちゃん、疲れてるでしょ? いいよ、家でのんびりしようよ」
「あんたそうやって引きこもってばっかりいたらダメよ? 子どもらしく遊びに行かないと」
珍しく保護者っぽいことを言って、おかわり、と茶碗を差し出した。夜遅くに食べると太ると言いながらも、なんだかんだもりもりと食べるのがおかしい。体重計は隠しておこう、また変な叫び声を上げられても困る。
「いやあ、それにしてもお姉ちゃんに息子を預かってくれって言われたときはどうしようかと思ったけど、こうしてあったかいごはんが食べられるし、家事はよくできるし、助かるわあ」
「でしょ、僕と一緒に暮らしてよかったでしょ」
「でも、家事ばっかりさせてるのもなんか悪いから、欲しいものとかあったら言ってよ? 行きたいところも」
「僕が好きで家事やってるんだからいいんだよぅ」
「ダーメ。土日に行きたいところ、考えておきなさいよ」
独り暮らしの叔母のところにやってきたのは2ヶ月前。父の海外転勤に家族で引っ越す予定だったんだけれど、日本の学校に通いたいとダダをこねた。あまりにもダダをこねる僕に、叔母であるのんちゃんに母が相談を持ちかけたのだ。
海外転勤は3年。その間、僕を預かってくれないかと。もちろん生活費等々は払うという条件付き。のんちゃんは悠々自適のひとり暮らしをしていたものだから嫌がられたけど、僕が泣いて頼んだら渋々引き受けてくれた。
3年経ったら、僕は13歳。のんちゃんは29歳。うーん、まだ恋愛対象内に入るのは厳しそうだ。でも、3年あれば胃袋は十分掴める。それに、僕が家で待っていると思うと早く帰ってこないといけないし、休日も僕の相手をしなくてはならない(とのんちゃんは勝手に思っている)。要するに、彼氏が作れない。転勤で懸念していたのはそこだった。海外に行っている3年の間に彼氏ができるパターン。3年後に大人になった僕と再会して恋に落ちるというパターンも考えたんだけど、13歳じゃあなあ……。
「……なにアホなこと考えてんの?」
「アホなことじゃないよ、崇高な未来計画だよ」
「はあ……」
今は便利な甥っ子で構わない。かわいいオトコノコのフリをするのも得意だし。
のんちゃんが疲れて帰ってくる場所に僕がいる。それで十分だ。
今のところは、ね。
Fin.
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