03 金曜日の約束
「ええっと、ドライトマトのオイル漬けとー」
「あ、メカジキのオーブン焼きも。なあ、カルボナーラ半分こしないか?」
「する!」
「じゃあこの厚切りベーコンのカルボナーラをひとつ。取り皿もください」
混み合う金曜夜のイタリアン食堂。注文を終えたあと、私と裕樹は狭いテーブルで身を寄せ合うようにして白ワインが揺れるグラスを触れ合わせた。
「あー……、金曜のこの1杯のためにがんばっていると言っても過言ではないわー……うまいわー……はー……」
「裕樹、おっさんくさい」
「いいだろ、呑んでる相手、お前だし」
「なんか今週忙しそうだったね」
「そうなんだよ、残業続きで……」
裕樹とは大学からの付き合いになる。同じ学科だったし、家が近いこともあり、よくつるんでいた。卒業後、しばらくは疎遠になっていたけど、たまたま再会した。家が近所なのだから、それまでにも会って良さそうなものなのに、タイミングって大切だ。それから毎週金曜はこうやって食事をするようになった。予定が入ったり仕事で帰りが遅くなって会えないこともあるものの、もうそんな関係が3年ほど続いている。
たまに朝、駅で会うこともある。裕樹が同じ電車だと、ちょっと通勤が楽になる。満員電車の中で裕樹が体を支えてくれるし、話をする人がいると、窮屈な電車も気が紛れる。
まあ、本当は毎朝会えたら嬉しいと思っているんだけれど、なかなかうまくいかない。そもそも、裕樹はそんなふうに思ってくれていないかもしれない。電車の中でとっさにすがった腕がたくましいことにドキドキしているなんて知られたくない。
いつまで『仲の良い大学の同期』の関係が続くんだろう。
そんなふうに思うこともある。でも、恋人ではないけど、単なる友達でもないこの距離感が私には心地よかった。
今は、彼が離れていくのが、会えなくなってしまうのが一番嫌だ。
「香奈、聞いてる?」
「あっ、ごめん。なに?」
「再来週の青木の結婚式、行くのか?」
これまた大学の同期。職場のひとつ上の先輩と先日入籍をした。
「うん、出席で出したよ」
「……大丈夫?」
「え、なにが?」
「だって香奈、青木と付き合ってただろ」
「……ああ、そうだったね」
「そうだったね、って他人事かよ」
苦笑いを浮かべる裕樹に私も苦笑いで返す。
そういえばそういうこともあったなあ。
青木とは大学4年生のときに3ヶ月だけつきあった。青木から、ごく軽いノリで「試しに付き合ってみない?」と言われてOKをした。
その話を聞いた裕樹はひどく驚いていたし、「青木のことが好きだったなら教えてくれよ、水臭いな」と唇を尖らせた。
まあ、私はそのころから裕樹のことが好きで、青木と付き合ったのは裕樹に彼女ができたから、というなんとも陳腐な理由だ。
青木はどれぐらい本気で私のことを好きだったのかは分からない。ただ、「失恋には新しい恋だぞ!」とひと昔前のセリフで口説いてきたのがなんだかおもしろくてOKをした。
3ヶ月で別れたのは、やっぱりなにかが違うと私が思ってしまったからだ。青木には悪いことをしたと思う。あのころの私はちょっと自分の恋愛に酔っていて、少女漫画のヒロインを気取っていたのは事実だ。それに青木を巻き込んでしまった。うん、やっぱり青木には悪いことをした。
だから、青木が今幸せで、それを私にも祝わせてくれるというのならありがたい話だ。ああ、でも、私がまだ裕樹とどうこうなっていないと聞いたら、笑われてしまうかもしれない。まあいっか。
「青木が気にしてないならいいんじゃない? 招待状を送ってくれるぐらいだしそういう細かいこと言わなそう」
「あいつ無神経なところがあるからな……なんか嫌なことあったら言えよ?」
裕樹は妙に青木を敵対視するところがあるけど、それは私のせいなの? なんて想像してみておかしくなる。
私の口のあたりがムズムズしているのを見て裕樹が怪訝そうに首を傾げた。
「なに……?」
「なんでもない。裕樹は青木と仲悪いの? 無神経だなんて陰口言っちゃって~。言いつけちゃお」
「違うよ、仲は良いよ。でも、香奈を傷つけたのはやだ」
「別に傷ついてなんかないよ」
「だってあのころのお前、ずっと悲しそうにしてたじゃん。元気なかったじゃん」
知ってんだからな、俺、と胸を張っていらっしゃいますけど、悲しそうにしていたのはあなたに彼女ができたからですけどね? とは言わずにグラスを傾けた。ドライトマトのオイル漬けを摘まんで、もう一口ワインを飲む。そろそろなくなりそうだ。次は何を頼もう。
「そんなふうに言うなら、裕樹が慰めてくれたらよかったんじゃない?」
「そうだけど……」
「まあまあ、5年も前の話したって仕方がないじゃない?」
ぐぬぬ、と唇を噛む裕樹に少し意地悪だったかな、とそれ以降に用意していた言葉を引き上げる。
「香奈は恋人作らないのか?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
「そうだけどさー……」
「まあ、今は大して興味がないから。こうやって裕樹と毎週ごはんに行くの楽しいし」
「えっ、彼氏ができたら行ってくんないの!?」
「それは付き合う相手次第じゃない? 嫌だって言われたら、ねえ?」
たぶん、そんな相手と付き合わないと思うけど。というか、私はあなたの恋人になりたいんだけども。
「そういうことなら、香奈さあ……」
「なに?」
「…………」
「……なんでもない」
「そう」
たぶん、というか、間違いなく裕樹は私のことが好きだと思う。
どちらも一歩を踏み出せずにずるずると時間が経っていく。そろそろ私が踏み込むべき? でもあともう少し待っていれば、裕樹のほうから言ってきてくれそうな気もするんだけどなあ。
なんて本当は、あなたは別の女の子のことが好きなのかもしれないけれど、好きな人が自分のことを好きかもしれない、って妄想するとちょっと幸せになれる。
「そーだ、観たい映画が公開になったんだけど、行かね?」
「レディースデーならいいよ」
「じゃあ来週の水曜!」
「おっけ」
来週は、金曜以外にもあなたに会える。
そんな些細なことが本当は嬉しいって言ったらどんな顔をするかな。
Fin.
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