鍍金の下は<5>

 馬車が止まる。緑の宝石のような海と白い砂浜が広がっていた。番子は跳躍して砂浜に降り立つと、走り出し、忙しなくふりかえっては手を振る。


「わあっ! いいところだね!」

「ああ。ほんと、綺麗だね。トロピカルジュースがほしいな」


 そう言って御者に手を取ってもらいながらゆっくり馬車を降りるハル王子も、手を振りかえす。


「でも、ハルくんは何度もここに来たことあるんでしょー?」

「まあね。でも、はなちゃんとくるのは初めてだから」


 黒みがかった遮光片眼鏡がキラーンと光る。番子の体温が上昇したのは、青き国の温暖な気温のせいだけではもちろんない。


 ここは、青き国王家の隠れ家的別荘。国土最南東にぴょこんと飛び出た半島の先。未だ寒さの続く光の国とは違い、南の海で泳げるほど十分に温かく、そして開放的だった。


 城の執務を総べるメイド長であるチトセから直々に、番子はしばらくの休暇をもらえることになった。復旧作業中に申し訳ないとは思ったが、ずっと休みがなかった番子にとって、思わぬ贈り物であった。もちろん、その陰にはハル王子が一枚噛んでいる。そして城中でささやかれている――いや、半狂乱に叫ばれている「青き国の王子と光の国の平民が恋仲!?」という噂話の後処理のためでもあった。

 白い砂浜をさざ波が濡らし、泡をよこした波は遠く青くなって空と混じる。カモメが遥か彼方に音もなくぷかぷか飛んでいる。番子は王子と、茶色の木目が鮮やかなログハウスでのんびりしたひと時を過ごした。


「今日は何を作っているんだい? はなちゃん」

「パウンドケーキだよ」


 生地をこねる番子を邪魔するように、公務から帰った王子が後ろから抱きつく。窓から降り注いだ暖かな日を浴びたその背中は温かく、王子はうっとりと顔をうずめた。番子は薄手のワンピースの上にエプロンをつけ、相も変わらずメイドのようなことをしている。「ハルくん、あついよ」言ってもやめないハルに、やれやれ、と番子はそのまま生地をこねつづけた。


「んー……つかれた~。公務……」

「お疲れ様」


 番子の背にしなだれかかったまま寝てしまうんじゃないかという勢い。片眼鏡もはめたままに。


「けど、服は替えたほうがいいよう……ちょっと待ってね」


 ちょうどこねおわったので濡れ布巾をかぶせ、手を洗いに行きがてら王子の私服を用意しようとする。窮屈だろうと気遣ったというより、装飾の多い王子服。温暖な気候で正装も比較的薄手となる青き国ではあるが、そこはやはり王家だ。細い輪冠さえも頭から外していない状態で、高価な宝石や羽飾り、ふわふわ揺れる頭の布飾りや口隠し布、羽衣を引っかけたりでもしたら事である。そもそもさっきから背中に軍服の紋章だかブローチだかの金具が当たって痛い。


 そこへ、


「はんなこ様、ハル王子のお召し物でございますか」


 お世話に来てくれている青き国の高位専属メイドに声をかけられる。


「そうそう。そうなの。えーっと、ここの棚の……」

「わたくしめにお任せくださいまし」

「そ、そっか……」


 つい、メイドとして働いているときの癖が出てしまう。前はなんだかんだ複雑な心境で働いていたものの、番子はメイドの仕事自体はそんなに嫌いではなかった。


 そのとき、ハウスの外から「おーい」という声が聞こえた。


「あ、誰か来たみたい。私のお客さんかな」


 それを聞いて、王子はさっと番子から離れて奥に引っ込んでいった。王子にしか許されない装飾の施されたあのきらびやかな姿を見せつけてしまうのはいろいろまずいということはわかっているらしい。軽くなった肩をならしながら、番子は急いで客人を迎えにいく。


 誰だろう? と思いながら扉を開けるとそこには、見知った顔があった。健康そうな肌に、くりっとした表情豊かな大きな瞳。


「ソラト!?」

「よっ」


 手を上げられる。いつもの鎧の重い騎士服を纏ってはおらず、身軽そうな私服だ。仕事でここへ来たわけではなさそうだ。頭には包帯が巻かれている。


「は、入って」

「じゃまするぜ」


 あちー、と脱いで手にかけて持っていた外套を番子は受け取って、後ろに控えていたメイドに手渡した。


「やっぱ暑いな~」

「いらっしゃい。青き国だから……ね」

「あーあ、あまりにも暇すぎて国越えしちまったか俺。ようやく歩けるようになったっていうのに、紙切れ一枚残しておまえどっか行きやがるから」

「ごめんね……」


 いつでも来られるようにと、国を出るときにここまでの通行証をソラトに渡しておいてもらっていたのだ。


「水くれ~」


 番子が答えるより早く、メイドが「すぐにお持ちいたします」と出ていってくれた。番子は風通しの良い客間に通す。


「ケガ、もういいの?」

「いや、まだダメだな。そう簡単には行くかよ~。俺は名誉の負傷兵だしな!」


 ガッツポーズをされる。精神的にはとても元気そうだ。


「しっかしおまえさー」


 ソラトは切り株を加工したような椅子に腰かけながら、


「なんでこんなとこにいるんだ? これもメイドの仕事かよ」


 小首を傾げた。


「それはー……ええと」


 そういえばソラトは、番子がここに来た理由をまだ知らない。


「だったらおまえ、いいのかー? あんな、いかにも偉い人に付いてそうなメイドに仕事やらせてて。行かなくて大丈夫なの?」


 ソラトの心配ももっともだろう。あれだけ綺麗な身なりをしているメイドは誰の目から見てもかなり高位のメイドとわかる。


「えっとね……いろいろと、あってね」


 国を出る際はばたばたしていて、まともに手紙を書く余裕さえなかった。こちらに来てから一通でも送っておけばよかったと後悔する。


「しかしなんかいい匂いがするな。パン焼いてるのか? あー久しぶりにおまえの手料理食べたくなってきたな。あれ? つーか、ここおまえの家なの?」


 さすがのソラトも、なにかが変だと感じているらしい。が、


「まあ、なんでもいっか! あー腹へってきたぜ! なんか作ってくれー」

「あ、あのね……」


 やはりまったく事情は呑み込めないソラトに、番子は今までのいきさつを全部説明しようと口を開いたところだった。コンコンとノックの音――扉は開いているが、戸口に、


「こんにちは」


 ――ハル王子が立っていた。私服に着替えていて、一見すると王子だとはわからない。


「ようこそ。僕はハルと申します。番子ちゃんとの関係は……ええと、まだ、お友達、かな」


 気さくで、控え目な自己紹介。王子であることを名乗らないのは、いつもの彼の番子の客人への気遣いだ。自分が王子だと気付かせずに談笑してそのまま返すことも多い。だが、今回はそれがあだとなった。


「俺はソラト」


 その名前に、えっ、とハルが固まる。


「君が……ソラト……」


 さっきまでの落ち着きはどこへ。剣でその身を貫かれたように、衝撃に打ちひしがれている。番子はまずい、と腰を浮かせた。だが、遅かった。


「はい! こいつの幼なじみで、ま、亭主みたいなモンかな! ははっ。すいませんうちの者が世話になってます」


 張り合うように大げさに……何を言ってるのソラトは……。


 暖かい気候の青き国に突如訪れた極寒の沈黙。微動だにしないハル王子。後が心底怖いが――今だけはちょっと見物みものである。ハル王子は次第に醜悪な笑みを浮かべ、わなわなと両手をわななかせて、


「失……礼……」


 胸元に手を入れ、細い鎖のような王冠をしゅるりと取り出すと、せっかく軽装に着替えたにもかかわらず無理やり自らの頭に冠した。


「私は青き国第一王子天埜ハル。光の国外衛兵士ソラト、相互扶助条約に基づき命令する! あちらに不審な泳ぎをする魚がいた。緊急事態だ、今すぐ見回りに行きなさい」

「はっ……ハル王子!? どうしてこちらへ!?」


 当然、驚いて飛び退くように起立するソラト。ハルは問答無用で海を指差しているし……


「ああもう……順を追って話そうと思ってたところだったのに……」


 番子は痛む頭を押さえた。

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