城での暮らし<7>
頂上からやや日が傾きかける頃。ハウスメイドの午後の仕事に、番子はやや遅れて復帰した。開放的な玄関ホール。周囲にぐるりと円を描くように、玄関扉の両脇から階段が伸びている。天井までの見上げるほどの窓ガラス拭き、広大な大理石の床磨き、長い長い手すりの真鍮磨き……無数の平メイド一人一人が、自分の持ち場で自分に与えられた仕事を手際よくリズミカルにこなしている。その様は、こまごまとした模様が等間隔に動く万華鏡、または複雑な仕組みの機械が動いているようにも見えるし、音楽さえあればミュージカルのようにも見えるかもしれない。
「8070番、ちょっと早い! 全体のリズム崩さないで」
「すいません!」
床のモップ掛けをしている中、全体からやや離れたところを掛けていた平メイドに、この場の監督者である上役メイドのミイから声がかかる。階段を上がった中心中央から大仰に腕組み・仁王立ちをした小さな背丈で、吹き抜けロビーの全体を睥睨しているその姿はなかなか様になっているといえよう。
「8075番、入りますー……」
ひと声かけて、番子は自分の番号の位置に参加した。片時も気を抜くことの許されない、兵隊の行進にも似た集団行動。
だが。
「8075番! なにしてんの!」
ミイに自分の番号を呼ばれて、番子ははっと我に返った。
番子と列をなして床をモップ掛けしていたはずの前後の平メイドは――一人もいない。番子はぽつんと、草原に生える一本の大木のごとく、広いロビーの中央に取り残されていた。
ぐるりと見返すと、もうみんなは階段絨毯掃除へと場所を移している。
「これだけみんながいっしょに掃除してる中、どーして手が止まるかなあ??」
頭上から、ミイに逆に笑顔でにらまれた。
「す、すみませんっ! ぼーっとしていましたっ……」
番子は慌てて階段へと駆けより、8074番と8076番の間に入った。すると、それまで階段の中心頂上から動くことのなかったミイが、眉間にしわを寄せてこちらへと降りてきた。
「そうだ番子! あんた、ローズガーデンでユカリコ姫様のお供したんだって!?」
「あっ、は、はい……」
「粗相はなかったでしょうね……!?」
平メイドとしてめったにない、身に余る光栄なんだから、と羨ましがっているためミイは見落としているが、ユカリコ姫の御前に出てしまったことがそもそも粗相である。だがローズガーデンという言葉に、昼のことをまた思い出して番子はまたふにゃっと力が抜けてしまい、手が動かなくなり顔の筋肉がゆるゆると緩んでくる。
「あーもうなんなのこいつー! なににやついているのよ!? 気持ち悪いっ」
言葉とは裏腹に、まさか番子が病気なのではないかと心配するような顔をこちらに向けるミイ。
そのときであった。ばたん、と大きな音がして、玄関扉が開いた。あれ? 来客はいないはずだけど……とミイが視線を上げると、
「大ニュース! 大ニュース!」
「たいへんよー!」
紅い袖のエプロンドレスのメイド二人――大人びた女性とミイや番子と同じ年くらいの長身長髪の少女が、ひどくあわてた様子で、ロビーへと入ってきたのだ。
「なに。もう、耳にキンキン響くー!」
ミイは文句を言いつつ、大慌てでそっちへと駆け寄っていく。何の騒ぎだと興味津々。黒入道の騒ぎはあるが、プリンセスナイトが城内への侵入を許さぬため、基本的には平穏で単調な毎日を送っているのだ。
「あのねあのね――」
直接話しかけられたミイだけでなく、平メイドたちまでいったい何の騒ぎだろうとそれぞれが手を止め、しまいには全体がストップ。その場の注目を集め、長身の若いメイドは思い切り息を吸い込んで――叫んだ。
「王子様がいらっしゃるんだって!」
「王子様が!?」
声を上げるミイ。周囲の平メイドも、息をのんでいた。番子もぱっと振り返る。
「それ、ほんとなの!?」
「本当よ。さっきメイド長から発表があったの!」
その瞬間、あたりは割れんばかりの大喝采に包まれた。黒入道襲来時以上の大騒動。ロビーの隣部屋からも監督者の上役メイドが数人駆けつけてくるほどに。
城で働くメイドは皆、多かれ少なかれ王子様に夢を見る。もし自分が王子様に見初められて、結婚、などという運びになったら――普段目にするユカリコ姫のような、国民に注目されて愛し愛される一国の姫に自分もなれるのだ。光の国の王族の子は女であるため、結婚などは考えられないが、隣国の王家にはれっきとした王子がいる。彼がこの城に来るとなれば、自分たち上役メイドが世話をするわけで、もしかしたら触れ合うチャンスがあるかもしれない。
「で・も。も~う、あんたたちヒラメは一番、関係ないんだからねっ。ほら、仕事、仕事。と、ま、る、な!」
自分のことを棚に上げて、上役メイドたちは
「そうよ。王子様の世話をするのはあたしたちなんだから! は~あ、こんなときにばっかり、番子まですばやく反応して……」
ミイも乗っかり、ぼけぼけしていたはずの番子の素早い反応を咎めるように口をとがらせた。
「はい! これから準備、忙しくなるよ!」
お姉さん的メイドに、「はい!」とその場にいた全員が元気良く返事をする。が、
「……ねえねえ、そろそろお茶にしない?」
「ああ、そろそろ……」
「いいね!」
だが、どうやら華の上役メイドたちはもっとこの話を掘り下げて楽しみたいようだ。
「あらあら、まあ、いいかもしれないわ」
お姉さんメイドがまんざらでもないように頷いたのを合図に、
「んじゃ、うちらは休憩、休憩! あんたたちはそのままやっててね! ときどき見に戻るから~」
上役メイドたちはくるりと背を向ける。おそらくはお茶が終わるまで戻ってくるつもりはないのだろうが、こうやって釘を刺すあたりミイが幼ながらにして鬼監督と恐れられるゆえんである。しかしいつ戻ってくるかわからなくとも、監督者がその場にいないというのは多少気が休まるため、平メイドたちは内心大喜びであった。
「あ、番子!」
「はい」
「おまえは、またサボるといけないし、お茶くみ係でいっしょに来てー」
「わ、わかりました」
返事をする番子に、平メイドからは羨ましげな視線をよこされた。普段なら嫌な仕事を押し付けられてかわいそうな目を向けられるのだが、今回は逆。上役メイドたちの持っている王子様の情報を聞きたいのだろう。
(これは帰ってきたら質問攻めかな……)
番子は上役メイドたちの茶の準備をするために、先を歩いてメイド控室まで急いだ。
「来国されるのっていつ?」
「今月末だって」
ミイの質問に、長身のメイドが答える。
「うそー! あー、それまでに髪伸びるかなあ?」
「あんたこないだ切りすぎたんだもの、すぐには無理よ~」
「そもそも、王子様を射止めるなんてできっこないわ」
「えー、そんなのわからないじゃないですか」
ミイは強気に言い返している。
「ミイはまだ子どもよ~。せいぜい粗相して処刑されないように気を付けるのね」
「処刑で済めばいいけど! 国交断絶とか」
「ひい~っ。ミイ、それだけはやめてちょーだいね!」
「死ぬなら一人で頼むわよ~」
諭そうとするお姉さんメイドに食い下がるミイ。茶々を入れる他のメイド。
「もう! ま、別にいいよっ? ライバルは少ない方がいいもん!」
「ミイは志が高すぎよお~」
背後でそんなやりとりを聞きながら、番子は地下の厨房の横の、使用人ホールまで移動した。メイドの朝礼をここで行ったり、使用人たちの食堂として使用したりするため、見渡すのにぐるりと首を回さなければならないほど広い。各部署が交代で休憩をとるために人が絶えることはなく、今日もがやがやとした話し声が響いていた。ドアを開けた番子は下がって彼女たちを中へ入れる。その際にさりげなく必要なお茶の数を数える。
「2、3、4名様……では、わたし、お茶をお淹れしますね」
番子が声をかけるも、
「でもさ、知ってる? ほら、あの噂!」
「え、もしかしてあれ?」
みんな話に夢中で聞いていない。番子は邪魔をしないようそっと、席を離れようとする。
「王子様、光の国の誰かと恋仲なんだって!」
「「恋仲!?」」
つい、足が止まった。
「えー? 単なる噂でしょう?」
「でも、見たって! 隣国のメイドの知り合いがいるんだけど、うちの国の人と会ってるみたいよ」
「ユカリコ姫様じゃないとしたら、貴族様よね。どのへんかしら?」
「桜家の娘さんあたり? あの方、よくお父様についてきてここへいらっしゃるじゃない」
「それが、わからないらしいのよ。もしかしたら、貴族様じゃないかもしれないんだって!」
「ええっ? それって、どういうこと?」
「うちらと同じか、ひょっとして平民かもしれないの?」
「さすがに、それはないと思うけど……」
「そんなこと、向こうの国が許すと思う?」
「それなりに名がないと、こちらとしても申し訳ないわよね……」
上役メイドたちは一国の大事だというように、あれこれと話し合っている。
「あれ、番子? お茶淹れてくれるんじゃなかった?」
ミイが、番子がまだ不自然な形で戸口につっ立っている番子に気づいて声をかける。
「すみません……」
「いいけど……あんた、様子が変だよ? 大丈夫? 調子悪いの?」
「いえ……大丈夫です」
番子は逃げるようにして給湯室へ駆け込んだ。
「……? 変な子」
ミイの独り言も、はしゃいでいるみんなはもう気にもかけない。
「ねえ、じゃあさ……今度の来国の時、みんなで誰と会ってるか探ってみない?」
「ええっ、そんなことしたら、マズいんじゃない!?」
「大丈夫よ! 真相を確かめるだけなんだし!」
「ちょっと、楽しそう!」
「でしょ!?」
「じゃあ、作戦会議……」
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