城での暮らし<6>
二年前。
番子がいつものように黒入道を浄化して城に戻った時。
最上階に降り立つプリンセスナイトが変身を解く瞬間を、その階の住民――つまり王家の
「プリンセスナイトである前に、そもそも私は今、メイドだから、その……メイドにだってね、王家に負けないくらい、いろいろいーーっぱいフクザツな人間関係とかあるから……だから、会うときは、こっそり……お願いだから、こっそり、ね?」
「そもそもって……ま、できるだけそうするわ☆ 今回はうまくやったでしょ?」
ユカリコ姫はくんくんと園の桃薔薇の匂いを嗅ぎ、気に入った形のものを何本か摘んで、巻き髪に挿して飾っている。白薔薇を摘んだかと思うと、今度は番子のフリルエプロンの胸元にブローチのように引っかけた。「『
……本当にわかっているのかなあ。
「ねえ、まだプリンセスナイトの変身の仕方、教えてくれないの? 見せて見せて☆」
「うーーん。お姫様は知らなくていいよお、そんなの……」
ユカリコ姫は子どものようにねだってきたかと思えばまたくるりと身を翻し、
「それにしても、素敵だわ! お城で働くひらひらメイドが、実は国を守っているプリンセスナイトだなんて……❤」
と、愉快げにうっとりと目を細める。
「そうかなあ。ただの平メイドが、こうしてお姫様といっしょにローズガーデンでのんびり歩いていることのほうが、すごいんじゃない?」
「じゃあいいわ! あなたはただのメイドじゃない! プリンセスナイトと国の王女が、ローズガーデンを歩いている! それなら、ちょうどいいのではなくて?」
世間的には出世することもなく上役メイドに一生こき使われるだけの平メイドだけども、今はプリンセスナイトとして、姫とローズガーデンを散歩している。
「たしかに、ね」
それならば少しはつり合いも取れるかもしれない。いや――もとよりそう思って胸を張っていたはずなのだが、姫にそう言われて安心してしまう自分がいる。
花に飽きたのか、空を仰ぎ見ているユカリコ姫にならうように番子もそうした。薔薇の壁に切り取られた高い空。空を旋回していた白い鳩が、ユカリコ姫の魅力的な瞳に吸いよせられたかのように地面に一度降り立った。番子は一瞬、トトが呼びに来たのかと思ったが、どうやら違った。ワガママの許される一国の姫とはいえ、さすがに番子をプリンセスナイトに変身させる偶然を可能にする力は持っていないらしい。
「それより、変身するところを見せてってせがむために、ここへ連れてきたの?」
まあ、姫に本気で望まれれば番子も変身してみせるつもりだったが。
「あっあ! 違うわ! これを渡すためよ」
幸い、どうやらそうではなかったようで、ユカリコ姫ははしたなくもドレスの胸元から何かを取り出した。「道端のメイドにそれとな~く聞いたりして、ずっと探してたんだから。いつもの場所にもいないみたいだったし……探すのに時間かかっちゃったわ」などとぶつぶつ言いながら、それを両手で慈しむように持って、番子に赤子を手渡すかのように丁重に渡す。今日は近くで見ることができたと思っていたが、あれは探されていたらしい。番子は一人納得しながら、少々心構えをして受け取った。
手紙だ。きちんと封筒に入って、溶かした蝋で封をしてある。表面を向けると目に飛び込んできた差出名の流麗な文字に、番子は金縛りにあったかのようにガチッと固まってしまった。
「ハルくんから!!」
思わず、大きな声が出た。
「そ☆」
厚みのある高級そうな手触り。たしかに、いつも彼の使っている羊皮紙。そして、封蝋に刻まれた紋章――冠と盾を左右からオリーブとクローバーの葉が包む、もう見慣れた隣国・青き国のデザイン。中を確かめるよりも、ハルからの手紙だという幸福感を胸に抱くように、目を閉じてじっくり手紙の感触を味わう。
「これを一刻も早く渡したくて! トトに持たせてもすぐに手渡せるとも限らないし」
「……ありがとう……」
「いえいえっ☆ また、こっそりデートしたい、って❤」
ユカリコ姫は満足げにそういうと、あっと口に手をやり、
「それはあたし宛ての手紙にも書いてあったから知ってるだけで、一応、その手紙は未開封よ? 封蝋を見ればわかるでしょうけど」
うんうんと頷いて、番子ははやる気持ちをこらえながら、エプロンの大きなポケットにしまった。
「あら、読まないの?」
肩透かしを食らったような、きょとん顔の姫。番子は申し訳なく思いながらも、
「うん。あとで……じっくり読もうかと思って」
素直にそう伝えると、「ふぅん……それもいいかも??」と、にやにやした顔でウインクを投げられた。
「もうっ。だ、だってぇ」
わざわざ手渡ししてくれたのだ。中身はユカリコ姫も気になっていることだろう。しかもこれでは、姫を邪魔者扱いしていることになる。ただ、一年ぶりのあの人からの手紙。一人、静かなところでじっくりと読みたかった。
「やっぱ屋内とちがって外はアツいわ~❤ 木枯らしが吹いてるのに、なんでかしらーん? フフフフ」
「ユ、ユカリコ~っ」
「アツすぎて、汗出てきちゃった! かえろーかえろー!」
くるりと背を向け、天に拳を突きあげて歩き出すユカリコ姫。
番子は非難めいた声を上げるも、いじわるやわがままに見せかけた姫の愉快げなテンションは、本当はいつだって相手のための優しい心遣いだ。
「へっ、返事は……トトに持たせるね」
「うん、わかった」
変わらぬ笑顔で振り返り、こちらを見守るユカリコ姫に、
「あ、あの……でも、ほら……その」
「ん?」
番子はおずおずと訊ねた。
「デートできることになったら、またドレス、貸してもらえる……?」
ユカリコ姫は、「きゃ☆」と口元を押さえる。番子は照れつつも、感謝をこめてお願いした。
「もっちろん☆ 昨日素敵なのが入ったのよ♪ 番子ちゃんに似合うやつっ」
「ありがとう!」
「当然よ☆ 髪もやってあげるから! まかせてっ」
得意そうなユカリコ姫の様子に、やっぱりここで一緒に読むべきだったかな、と番子が後悔しかけていると、
「もう戻らなきゃ~! 昼食の時間、過ぎてる☆ まずいまずいっ!」
ユカリコ姫は慌てたように、小走りに駆け出す。
「それじゃ、まったねーん」
姫が遅れて行っても、前菜は冷たいままだし、スープもぬるくはならない。食事スピードに合わせて作りたてを出すためにシェフもメイドも最後まで待機している。しかし逆に言うならば、姫が遅れると、城全体の業務がズレこんでしまうということだ。彼女もそれをよくわかっているから急ぐ、ということは番子も知っている。本当に急いでいるのかもしれないが、むしろこの時間ではもう食べ終わっていて、気を遣って嘘をついてくれた可能性も多分にある。だがどちらにせよ真相は一介の平メイドである番子にはわからない。わかるのは、今やこの静かなローズガーデンには、番子一人きりであるということだけ。
急いで駆けていくその後ろ姿に、番子は「ありがとうね」とつぶやき、そっと封蝋を壊して手紙を開いた。
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