第36話 A―I―U―E―O

――寒い。


寒さを感じないよう皮膚の冷覚を調整しているのに、なぜか寒い。


薄暗い部屋の中の端で、光は毛布にくるまって虚空見つめていた。

部屋の床にはいくつも酒瓶が転がっており、廃退した生活を匂わせていた。


もうあの日から、どのくらいときが流れただろう。

わからない。もう何も考えたくない。そんな気持ちが光を支配していた。


もう結構な間、食事をとっていない。

なのに、身体は至って健康だ。

UEによるエネルギー吸収により、身体におかしい箇所は一つもない。


――化け物め。


自分の異常さに心の底から呆れる。


――死にたい。


自然と言葉が漏れた。

もうこの世界には誰もいない。

サンも、ソーフィヤさんも。

じゃあどうして僕だけ生き残っているんだ?

何度も繰り返した思考。


「酒……」


酒を飲もうとテーブルの上を手当たりしだいに探すも、残っているのはなかった。

仕方なく立ち上がり部屋の冷蔵庫から度数の高い年代物の酒を取り出す。


「……」


ソーフィヤが作ったこの島には、世界中に残っていた酒も数え切れないくらい存在していた。ヒカルはそれを探し当て、部屋にいくつも運び込んでいた。


腕をコルクに変化させ、酒瓶を開ける。


そしてそのまま口をつけた。


「あぁぁ」


喉が焼ける。

能力の影響で完全に酔うことはできないが、ある程度ならヒカルの力は酩酊することを許してくれた。


飲んでいるときだけ、現実を忘れることができる。


ソーフィヤを殺したことも、サンがソーフィヤに殺されたことも。


世界中で自分だけがひとりぼっちで生き残っているということを。


「……」


そしてヒカルは、また毛布にくるまり動かなくなった。












3ヶ月が過ぎた。


光は、NOAHから離れ名も知らない土地を彷徨っていた。

理由は一つ、貯蔵していた酒がなくなったから探しに来た。

それだけだ。


視界に映るは荒れ果てた町並み。

完全に植物が壁面を覆い、すべてが廃墟の街。


ビルなどの大きな建物は、半壊しているものも多数だが、まだ原型をとどめている建物も合った。


地面に落ちていた、ガラスの破片が光の姿を映し出す。


そこには小汚い小さな男が映っていた。

髭も生えっぱなしで、髪も伸びた。

見るからに不潔そうであった。


「汚え……」


自らの姿に、顔を歪めるも別に清潔にしようとは思わなかった。

してなんの意味があるのだ?そう思った。


酒を探してただ、廃墟の街を歩く。


そして次の瞬間、轟音とともにヒカルの目の前に大きく開いた口があった。


光はあっけなくソレの口の中に消えた。


ソレの姿は異様であった。

8つの瞳に、ミミズのような巨大な体躯。

そして顔は爬虫類に似ていて、発達した顎が特徴的だった。


一言で良い表すならば”巨大なミミズの身体に腕が生え、ワニのような顔をした化け物”である。


ソレはこの周辺で最強の存在だった。

生まれてから今まで戦いにソレは負けたことがなかった。


巨大な体躯もさることながら、ソレはどんな場所でも移動できた。

陸上はもちろん、水の中、はては土の中まで。


なのにソレは一切狩りに手を抜くことはない。

ソレは待っていた。

ずっと、獲物が来るのを。

ただ息を潜めて。


半壊したビル、その内部はソレの住処だった。


ソレが、獲物を取れたことに安堵し、巣に引き返そうとした瞬間。


ソレの内部から何かが爆発した。

ソレの脳が、皮膚が、腕が、血とともに崩壊した街に飛び散った。


「……」


ソレが破裂した血溜まりの中からゆっくりと起き上がる影があった。

光だった。


光は眉一つ動かさなかった。

そして何事もなかったかのように、その場を光は後にした。






半年がたった。

そこは見慣れた薄暗い部屋だった。

その薄暗い部屋の中で、テレビだけが明るく光を発していた。

写っているのは子供向けのアニメ。

光はただそれを死んだ顔で見ていた。

床には酒が転がっていた。






1年が過ぎた。

光は太陽に照らされていた。

その身体は微動だにしない。

もう数カ月はこのままだ。

なぜこうなっているかというと、酒がなくなり動く気力がなくなったからだ。

もう何もかもめんどくさくなったので、太陽光で生きていくことにしたのだ。細胞の中に葉緑体を作り出したので、今の光の身体は緑色だ。

その姿はどこぞの国民的少年漫画にでてくるあのひとのようであった。






2年が過ぎた。


「飽きた」


植物になるのも飽きた。

酒ももうどこ探しても見つからなくなった。

この頃になると、流す涙もでなくなり傷はゆっくり癒えてきていた。

何をしても楽しくない。

ゲームをしても、映画をみても。

もう年かと光は思った。





3年が過ぎた。

最近の光のマイブームは、リアルクリーチャハンターごっこだった。

リアルクリーチャハンターごっことは、身体能力を普通の人間並に落とし特殊能力を使わず、UEによって変化した生物を狩る遊びだ。

画面の中で、クリーチャーと戦うより現実で戦ったほうが何倍も楽しかった。


ちなみに大剣より細長い槍のほうが狩りの成功率は高かった。

大剣は普通の人間の身体能力ではおもすぎてまともに移動できなかった。


槍で、生物の目玉から脳を直接狙う。

どんな生物も眼は柔らかく、それは直接脳と繋がっている。


普通の人間が、罠を使わず化け物を狩るにはこの方法が一番だった。

そんな狂った遊びを光は続けていた。




4年が過ぎた。

光は空を飛んでいた。

空を飛ぶことの気持ちよさを覚えた。

そして、今光の眼の前にはかつてカモメと呼ばれていた生物が数百匹いた。

かつてはカモメと呼ばれていたソレもUEによって変化していた。

具体的には、口の中からタコのような触手が何本も飛び出ていた。

めちゃくちゃキモかった。

空の旅を楽しんでいたらいきなり襲ってきたので皆殺しにした。





5年が過ぎた。

光は海の中にいた。

現在位置は、大西洋フロリダ半島付近。

通称、バミューダトライアングル”魔の三角地帯”と呼ばれていた場所だ。


その海のそこを光は歩いていた。

深さ8000m。

暗大西洋で一番深い場所。

当たり前であるが何も見えない。

それに、ほかの海と違いなんとなく変な感じがする。


なぜこんなところにいるかというと、その理由は単純。

暇だったから適当な場所を探索しているだけであった。


そんな感じで深海魚とランデブーしていると、変なものを見つけた。


それは遺跡だった。

ギリシャにありそうな神殿の残骸。


すげえって思って見てると魚人のようなやつが襲ってきたのでそいつらも皆殺しにした。

一番驚いたのはその後でそいつらはUEによって変化したわけではなく、もともとこのような存在だったということだ。


知能はなさそうだったが、結構強かった。






6年が過ぎた。

光は野原にいた。

季節は春。始まりの季節だった。


切り株にすわっている、光の視界の端にはシカの群れがいた。

彼らは仲良く池から水を飲んでいた。


その中には、子供がいて、その横には親らしきシカが寄り添っていた。

子供は無邪気に親の周りを走り回っている。

親のシカもそれを暖かく見守っていた。


それをみて何故か光は気分が悪くなった。

その気分を排除しようと右腕をシカの群れに向ける。


”右腕をふる。それだけであのシカ達は一匹残らず絶命する”


そして光は右腕を振り下ろそうとして、その寸前で腕を止めた。


「何やってるんだ僕は」


思わず自分に問いかけた。





7年が過ぎた。


また引きこもるようになった。

スイッチをOFFにしたかのように、また生きる気力がわかなくなった。


何もかもつまらない。







8年が過ぎた。


この年は地球がすごかった。

台風。噴火。地震。津波。


全世界で災害のオンパレードだった。

全生命の2割が絶命した。


だけどNOAHは無事だった。

ソーフィヤはどれだけ事態を予測していたんだろう。







9年が過ぎた。


僕はかつて中国と呼ばれていた場所の秘境で瞑想していた。

仙人ごっこである。


ちなみに別に何か別の力に目覚めるということはなかった。


だけど、ここからは世界がよく見えた。

以前ソーフィヤさんがしていたみたいに自分の極小の分裂体を世界中に飛ばし、世界をただ見ていた。


草木を登る小さな虫。その虫を食べるさらに少し大きな虫。その大きな虫を食べるトカゲ。そのトカゲを食う犬。犬を食う熊。熊を食うUEによって変化した奇妙な化け物。そしてその化け物はあるとき死に、死体になって腐った。そしてそ近くに小さな芽がでてきた。


世界は回っていた。


僕はただ世界を見ていた。

でもそろそろ限界が近づいていた。









――新たな生命を造ろう。


僕がそう思ったのは、あれから十年ときが流れたときだった。


ただ僕の寂しさを紛らわすだけの存在を。

ただ僕を崇め、敬愛し、僕に可愛がられるだけがすべての存在を。


愛玩用の命。


以前の自分ならば、絶対に作らなかったであろう存在。


そうだ、それならば死んでも悲しくない。

最初から愛玩用として、造るのだ。


寿命なんてないし、いらなくなったら作り変えるか捨てればいい。


むしろ僕はなぜ今まで孤独に堪えていたのだろう。


神に等しい力を持っているのだ。なぜ我慢する必要がある?。


「生命創造……」


僕の瞳の中に、黄金に燃える輪が浮かんだ。

久しぶりの感覚だった。


力を流し込む。


この人は壊れされないように、死なないように。

螺旋状のDNAが紡ぎ出されていく。


良いことを思いついた。

一つではなく、複数の生命を造ろう。

そうすれば、もしものことがあっても悲しくならないはずだ。

一つになりかけていた力の塊が別れていく。


「もっと、もっとだ」


更に力を流し込む。

僕の身体の半分を満たしていた”何か”がそれに流れ込んでいった。


そして、空中に5つの小さな半透明の球体が生まれた。


5つの半透明の球体はどんどん大きくなっていく。


半透明の膜に包まれた中にいたのは女だった。


彼女たちは人間ではなかった。

その背中には純白の翼が折りたたまれていた。


美しい天使達。


そんな言葉が思い浮かんだ。


「……」


彼女たちを包んでいた半透明の膜がなくなった。


美しい、純粋にそう思った。


どの”個体”も、異常なほど顔が整っていて、海外モデルでも素足で逃げ出しそうな完璧なプロポーションだった。絶世の美女とは彼女たちのためにあるような言葉だとすら思った。


金色に薄く輝く髪をもつ美女。

黒曜石のような黒髪と豊満な胸が特徴的な美女。

紅蓮の炎のような髪をもつ気の強そうな美女。

白銀の髪に、褐色の肌をした美女。

青藍の髪に、長く美しい脚が印象的な美女。


そのうちの一人、ブロンドの髪を持つ女がゆっくりとまぶたをひらいた。


「あぁああ。」


金髪の美女は、こちらを見て、涙を流しながら何かをつぶやいていた。

だが、まだ身体が世界に慣れておらず、ろれつが回っていなかった。


”我が主……”


彼女の心の声が聞こえた。


彼女たちは生まれる前から僕を主として認識していた。

そうDNAに遺伝子に刻み込んでいた。




僕は彼女たちに名前をつけた。


黄金のような輝く髪をもつ彼女には”Alexia―アレクシア”。

黒曜石のような艶のある黒髪の彼女には”Iris―イリス”。

白銀の髪に、褐色の肌をした彼女には”Ursula―ウルスラ”。

紅蓮の炎のような髪をもつ気の強そうな彼女には”Eleonora―エレオノーラ”

青藍の髪をもつ、神秘的な美しさの彼女には”Osiris―オシリス”と。


















アレクシア。イリス。ウルスラ。エレオノーラ。オシリス。

光によって生み出された人間ではない存在。


彼女たちの姿、形はほぼ人間と変わらない。

唯一違うのは、背中に美しい翼があるという点だけ。


光が、天使をイメージして造り上げた生命体。


ただ光の寂しさを紛らわすだけの存在として造られた彼女たち。

方舟の島、NOAHでの光と彼女たちの生活が始まった。











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