第35話 最高の幸せ

静寂があたりを満たしていた。

聴こえるのは壁にかけられている時計のチクタクという規則正しい音のみ。

ソーフィヤは眼を見開いて光を見ていた。

対する光は前髪で眼が隠れていて表情が見えない。


ソーフィヤの脳が高速で思考を駆け巡らせた。

なぜ、いきなりヒカルが目覚めた?私の計算は完璧だったはずだ。どこかで因子見逃した?どうして。おかしい。


「ヒカr」


ソーフィヤの言葉が続くことはなく、視界が変わった。

いつのまにかソーフィヤの眼前に晴天が広っていた。


今いた研究室には窓がない。

空なんて見えるはずないのに、今の自分の視界には雲ひとつない青空がある。


(空中……)


視界の端に、壁面に穴の開いた白いビルが見えた。

空中に飛ばされたということを認識したソーフィヤは背から純白の翼を生み出した。わずか0.002秒の思考で、現状を認識したソーフィヤは翼を羽ばたかせ体制を立て直す。


(…吹き飛ばされたのか)


誰に?他でもないヒカルに。


常に活動していたソーフィヤの思考がほんの一瞬停止した。


「……」


その一瞬、いつのまにか空中を浮遊していたソーフィヤの目の前に、光の姿があった。

そして彼女は落とされた。


気がつけば、地面に落とされ転がっていた。

落ち葉の感触。

周りは大きな木々に囲まれた場所。

少し湿った大地。


そして茂った木々の間から漏れる日の光。

それは見る人が見れば、美しい場所と評しただろう。


だが、ソーフィヤにはそれを見る余裕がなかった。


数十年、UEによって変化したどんな生命をも圧倒したソーフィヤ。

そんな彼女は、誰よりも愛する少年によって地面に転がされていた。


「……なんで」


数十年ぶりに聞くヒカルの声だった。

ヒカルは泣いていた。

泣きながら怒っていた。


それを見てソーフィヤの胸がきゅっと締め付けられた。


はやく、はやくヒカルの中から悲しみや怒りを取り除かないと。

慰めてあげよう。誤解を解こう。

そんな感情がソーフィヤを一瞬で満たした。


それはまさに衝動と呼べるものであった。


「光……許してほしい。あくまでこれはヒカルを幸せにするためのものだったんだ」


一度言葉を綴れば後はもう止まらなかった。


「光が今回のことに怒りを覚えるのはわかっている。”見た”からね。でも一旦怒りを沈めてほしい。ヒカルが怒っているのは、私がヒカルのペットを殺したこと?それともヒカルの意志を奪ったこと?」


ヒカルは何も答えない。


「もし、前者なら安心してほしい。ヒカルのペットの死体は完全な状態で保管してあるから、いつでもヒカルの力で蘇るよ。私だってあのペットのことが嫌いとかそういうのではないんだ。ただ私達二人の邪魔になると思っただけなんだ。やはり恋人としてはペットよりも恋人を優先してほしいじゃないか」


「……」


「後者なら、その、私には謝るしかできない。ヒカルの意志を確認しなかったのはわかってるけど、本当に私はヒカルに幸せになってほしかったんだ。私はねヒカル、人間の生きる理由は全て幸せを掴むためだと考えているんだ。お金を稼ぐ、恋人を愛する、趣味を楽しむ、全て幸せのためだ。なら単純に考えて最初からその幸せという状況を脳内で作り出せばてっとり早くて効率が良いかと思ったんだ。この方法は、他の生物ではできない。もちろん短期的になら可能だが、長期的にドーパミン、セロトニン、オキシトシン、などの神経伝達物質を過剰分泌し続けるというのは不可能なんだ。クスリで例えたほうがわかりやすいか。麻薬を長期間使用すると、人間は、ううんすべての動物はおかしくなる。不安、幻覚、妄想、依存、統合失調症なんかを引き起こす。でもヒカルは違う。ヒカルだけはそれが起きないんだ。ヒカルの異能が関係してるのは間違いないんだけど、ヒカルの異能はおそらくヒカルに害あるもの、ないものを判断してヒカルの身体を常に作り変えている。つまりなにが言いたいかというと、私のしたことは、ヒカルの異能も認めているんだ。本当に私はヒカルを幸せにしたかっただけ。ほんとうは私も、ヒカル同じような状態になりたかったけど、もしものときを考えると、私はそうなるわけにはいかなかったんだ。ヒカルを守るためにそれはできなかった。あぁあ、なんでヒカルの意志を確認しなかったかというのが気になるかい?、それは、良い忘れたことがあるんだけど私にはいま未来予知のような力があるんだ。だから、なんども脳内でシミュレーションしたんだ。ヒカルに打ち明けて、ヒカルに私の分裂体を埋め込もうって言うこと。結果はすべて拒否されたよ。100回は試したかな。私だって本当はヒカルに許可をもらってから、こうするべきだったて思うよ、君に嫌われたくないし。でもヒカルはいつも首を振ってくれなかった。だからしたんだ。勝手に。ね?幸せだったろう?幸せじゃないはずがない。数値が証明している。大丈夫、意識がなかったヒカルの身体がちゃんと私が、全身全霊で守っていたよ。それこそ、我が子のようにね。だからこの数十年間、一度もヒカルの身体に傷はついていないから安心してほしい。私にとって君は本当に誰よりも何よりも大切な存在なんだ。君がいないと私はもう生きていけない。好きだ、愛してるなんて軽い言葉では言い表られないくらい君のことを想っている。今なら思うことがあるんだ」


「あぁ、あの日、人類が滅んでよかった」


そう、ソーフィヤは言った。


「もし、UEによる人類死滅がなかったら、私とヒカルは出会わなかったかもしれない。そんなこと考えるだけで背筋が凍るよ、吐き気すらする。たぶんきっとヒカルと出会わなかった私は何もかも無意味になんの色もない生活を送っていただろうな。本当に今が幸せだ。ヒカルの側にずっといれて、ヒカルの世話ができて、ヒカルにたくさんのものを与えられて、なにより、私がヒカルの全てを支配している。あぁ、最高の気分だったんだ。それにおかしいじゃないか。ヒカルは私の恋人だろう?だったらダメじゃないか、他に笑顔を向けちゃ。そうあのペットのことだ、恋人だったらずっと恋人のことだけを考えてないといけないだろう?。ずっと私はヒカルのことだけを考えてたよ。ずっと。ずっと。あの日、ヒカルが宇宙にきたときから。その時から私の頭の中はずっと君のことしかなかったんだ。ご飯を食べているときも、本を読んでいるときも、寝ているときも夢の中でずっと君のことを考えてたんだ。君のことがどんなときでも頭から離れなかった。だって恋人ってそういうものだろう?。私はヒカルに出会うまで、人を愛することがこんなに幸せだとは思ってなかったよ。巷にたくさんある恋愛ソングを聞いてもアホらしいとしか思わなかった。でも、今なら理解できる。ううん、理解させられたんだ。ヒカルを見ているだけで、心臓が強く脈うつ、ヒカルの声を聞くだけで頭が蕩けそうになる、ヒカルの匂いを嗅ぐだけで正気を失いそうになる、ヒカルに触れるだけで多幸感に満たされる、ヒカルと唇を合わせると、もう全てが狂いそうなほど幸せになるんだ。もう私はヒカルに出会った日から完全におかしくなってしまったよ。でも、最高に幸せだ」


ソーフィヤは顔を紅潮させ、早々に言葉を綴る。

まるで、好きな相手に告白するように。


「ね、だからヒカル?、最初からやりなおそう。もう一度。あ、そうだ。ヒカルに言いたいことがあったんだ。ね、ヒカル?結婚しよう。そして二人の子供をつくろ?。さすがに意識がないときに勝手に結婚はできないからね。結婚は愛し合う二人が、永遠の愛を誓わなきゃ。私はもちろん、ヒカルのことを愛しているよ。ずっと永遠に、私達には寿命がないから文字通り永遠の愛だ。そう考えると、とても素敵じゃないか?。永遠に変わらない不変の愛。なんて素晴らしい言葉なんだろう。愛し合う二人が、性☓為をして子供を作る。至って普通のことだ。だから、ね?私とヒカルの子供を作ろう?。きっと可愛いよ。あぁ、でも子供が生まれても私の1番はヒカルだから安心して?。私の頭の先からつま先まですべてヒカルのものだから。もちろん、身体だけじゃくて心もね。結婚して、この島で私とヒカルと子どもたちで暮らそう、あぁ、そう考えるとヒカルが目覚めたのもいいタイミングだったのかもしれない。本当はもうすこし、私ができること、例えば、記憶操作だったりUEの完全な解析だったり、私の未来予知がさらに強化されて不確定要素がなくなってからヒカルを起こそうと思っていたけど」


「だからねヒカル……もっと、もっと愛し合おう。二人の身体が熔けるまで、永遠に」


雨のように綴られた言葉。

それは全てソーフィヤの本心だった。

”声”を使っているから、その思考が完全に光には理解できた。


だからこそ、ヒカルは彼女に恐怖を覚えた。


(なんだよこれ)


いつからだ。

いつからソーフィヤさんはこうなった?

そんな言葉がヒカルの中を駆け巡った。


(僕のせいだ、僕があの日、ソーフィヤさんを助けられなかったから)


今のソーフィヤは、元の完全なソーフィヤではない。

0.002%、UEとヒカルの力によって構成されている。


きっと、あれのせいだ。

あれのせいでソーフィヤはおかしくなってしまった。

そうヒカルは思った。


「……ごめん、ソーフィヤさん、ごめん……」


ヒカルは泣いていた。


「どうして、泣いているの?、今日はいい日になる。二人にとって大切な日になるキャッ、ヒカル?」


抱きしめられた。

そうソーフィヤが認識するのに時間はかからなかった。


「嬉しい……嬉しいよヒカル、私をゆるしてくれるんだね……」


ソーフィヤの瞳からも涙が流れる。

歓喜の涙。


「ごめん……僕は」


さらにソーフィヤを抱きしめる腕に力が籠もっていく。


「あ、え、ヒカル……」


戸惑いの声。

そしてソーフィヤは異常を認識した。


ヒカルと触れ合っている部分が、どんどん石のようになっていく。

自己変態しようとしても、身体が石になっていくのを止められない。


ソーフィヤの思考がゆっくりと落ちていく。


もう四肢は全て石になった。


「あぁぁ」


ソーフィヤはすべてを受け入れた。

ヒカルは自分を許さなかった。


ただそれだけの話。

普通の人間なら発狂するであろう光景を見ても、ソーフィヤは落ち着いていた。


「ねぇ、ヒカル、最後にキスして」


光はソーフィヤに口づけした。

そして彼女は完全に石になり動かなくなった。


























NOAHと呼ばれる方舟の島。

その東部の深い森の中。


そこには美しい女性の石像があった。


その表情はすべてを受け入れるような穏やかな表情であった。







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