第32話 ずっとヒカルは幸せだよ

天駆ける星が、瞬く夜空。

瓦礫の中の小さな腕時計は、三年半の時を経てもカチ、カチと刻々に動いていた。

その針が示す時間はAM2:53。


静寂があたりを包んでいた。かすかに聞こえてくるのはコオロギなどの小さな鳴き声と、遥か遠くから聞こえる獣の遠吠え。


ここはたった三年半前なら決して明かりが消えることがなかった場所。

人の行来も途絶えることは少なかった繁華街。


だがもう光は月明かりしかそこを照らさず、人など一人も存在しない。

周囲にあるのは瓦礫と砂と瓦礫に這う植物のみ。


そんな暗闇の中をソーフィヤは歩いていた。

その側にヒカルの姿はない。


月明かりしか照らさないはずなのに、その足取りはしっかりとしていて、全てを見通しているかのようだった。



「……」


金色の髪が、月明かりに照らされ、その表情も顕になっていく。

ソーフィヤはなにかを探していた。


そして数秒後、ソーフィヤはそれを見つけた。

それは四角いコンクリートの瓦礫の側にあった。


小さな円状の金属。

100円玉。


もう微生物によって分解された見知らぬ誰かの財布からここまで転がってきた、なんの変哲もない日本の硬貨。


ソーフィヤは腰をかがめ、その硬貨を拾いあげる。


「平成二十七年製……これか」


それはただの硬貨にすぎない。

だが、この硬貨がある時間、ある特定の位置にあるだけで、これからの未来が大きく変わる。


バタフライ・エフェクトという言葉を知っているだろうか。

蝶の羽ばたきなどの小さな出来事でも未来に大きな影響を与えるかもしれないという理論。蝶の羽ばたきが遠く離れた場所で竜巻を起こすかもしれないと言われるカオス理論。


もしそれを限定的にでも完全に予測できる存在がいれば?

それは神しかありえぬはずだった。


だが、ソーフィヤはその域に到達してしまった。

自己変態によって無理やり脳を改造して、到達してしまった。


だが、演算できるだけでは宝の持ち腐れだ。情報が存在しなければその演算能力は意味をなさない。


どうやってソーフィヤはその情報を得ているのか?。


その答えは今から行われる生物の域を超えたソーフィヤが起こす現象にある。


「……っ」


ソーフィヤは目を閉じる。

眉間にしわが寄り端正な顔を歪める。


「広がれ」


パァンと小さな音。

それと同時に、ソーフィヤの皮膚から、小さな無数の”何か”が放たれる。


その大きさ約0.33nm。そのウイルスより小さな無数の”何か”は、ソーフィヤの身体から球体状にどんどん広がっていく。


其の数、まさに無数。


そしてその小さな無数の”何か”からその球体を構成するすべての物質、力学的な情報がソーフィヤの頭に流れてくる。


その球体はどんどん広がり、そのすべてをソーフィヤに教える。


それは、いわばとてつもなく小さな小さな細胞だった。

一般的な人の細胞の大きさは直径20μm。


0.33ナノメートルとは、マイクロに変換すると0.00033μm。

そうするとその小ささがわかるのではないだろうか。

ソーフィヤは自己変態によってその細胞の大きさ、形、機能すら自由自在に変化させることができた。


その機能は特別な小器官によって、周囲にある物質と、その流れを把握し、それを大本であるソーフィヤに伝えること。


それを使い、ソーフィヤその未来予知じみた能力を使用していた。





パチリとソーフィヤは目を開ける。

そして、ポケットから腕時計を取り出す。


(あと39.43253秒……)


39、38、37……と秒針が動いていく。


そしてある時刻が来た瞬間、ソーフィヤは硬貨の位置を、元あった場所から10mほど離れた瓦礫の上に置いた。


(ここからあと340.2103秒待てばいい)


目を瞑る。


そして


(来る)


バァンと複数の”何か”が砂埃を立て空から落ちてきた。

蠢くなにか。

人間ではない。だが人ガタの何かだ。


砂埃が晴れる。


それは猿であった。

だがただの猿ではない。


灰色の体毛をもつ人間大の大きさの猿。

その長い手には、手づくりの槍のようなものが握られ、その口はこちらを見てニヤニヤと笑みを浮かべている。


「xxx xxxxxxxxx xxxxxxxxxx」

「xxxxx xxx x xxxxxxxxxx x x」

「xxxxxxxxxxxxxxxxx」


その数、8体。


彼、彼女らはここらのあたりで最も優れた存在だった。

UEによる変化によって、もともと動物として高い水準にあった知能は、さらに凶悪になった。その知能、人並みどころではい。もはや一般的な人類の知能レベルを超えていた。


独自の言語をたった数年で、築き上げ、娯楽すらその文明には生まれようとしていた。


いわば、新人類と呼べるべき存在になるはずだった。


そう、なる筈だったである。


ここに彼女がいなければ。

ソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァが、その能力によって彼ら存在を認識しなければ、彼らはこれからこの世界で天下をとっていたかもしれない。


「あぁ、本当に存在した……。なんて都合のいい”検体”なんだ」


そうソーフィヤが言った瞬間、彼らの意識は一瞬で消失した。


(人間に近い種……彼らは私がヒカルをXXXする時に使える)


リーダーであった猿たちの中でも一際大きい猿は、意識を失う瞬間、自分のあたまに何か小さなものが入ってくるのを自覚した。









その後、数時間、その場所からは猿の哀れな鳴き声が止むことがなかった。














朝である。

ヒカルは、自室のベッドの上でパチリと目を開けた。


太陽光が皮膚に当たりビタミンDが合成され、体内時計がリセットされる。


目を半分閉じながら、ゆっくりと部屋を出る。


「ふぁあ、ソーフィヤさん起きてるかな」


ゆっくりと覚束ない足で一階に降りる。


そしてリビングの扉を開けると、そこにはエプロンをしたソーフィヤさんが台所で、鍋の中を箸で回していた。


ソーフィヤさんが、こちらに振り向く。


「おはようヒカル」


「おはようソーフィヤ、って今日は僕が担当なのに」


「いいの、私が作りたいんだ」


そう、うちのご飯は当番制である。

偶数の日はソーフィヤさん。

奇数の日は僕。


なのだが、実を言うと僕が作るときはそれほど多くない。

なぜなら今日のようにソーフィヤさんが、奇数の日でも作ることが多いからだ。


申し訳ないと思う反面、ソーフィヤさんのご飯を食べられて嬉しかったり。


そして、数分後。

テーブルの上に今日の朝ごはんが並んだ。


お米に、肉じゃがに、鶏の卵に、ヤギのミルク、そしてウマイウサギモドキの照り焼き。


「うまそー」


「ふふ、たくさん食べてくれ」


いただきますと言って食べる。

ウマイウサギモドキが、ご飯と合いすぎてとても美味しい。








僕たちはいつもこんな感じで平和に暮らしていた。

そう僕は思っていた。











「……いい天気」


皿を洗いながら僕は、前方上方から降り注ぐ太陽の光の眩しさに目を細めた。


ソーフィヤさんが作ってくれた洗剤をスポンジに付けながら朝ごはんの皿をひとつひとつ洗っていた。


さすがに皿洗いはしないとね。


ちなみにソーフィヤさんは庭で洗濯物を干している最中だ。


「それにしても長閑だ」


サンも木陰で横になり、ふぁあとあくびをしている。

ここ最近は野生動物がこの家に襲来することもなくなり、比較的生活は安定してた。


「これが幸せというやつか」


皿をすべて洗い終わり、立てて乾燥させる。

僕は、手をタオルで拭き、外に向かった。


巨大なゴールデンレトリバー、サンの横にゆっくりと腰を下ろす。


「わん」


ワンとサンが返事を返す。

今日はどこに散歩に行こう。

なんのゲームをしよう。

なんの映画を見よう。


なんてことを考えながら雲ひとつない晴天の空を見上げる。


「?」


風がいつもより強く吹いていた。


「……」


何か。

僕の第六感のような何かが、ぴくんと反応する。

いつもと同じ光景の筈だが、どこかおかしいような。


そして次の瞬間。


空気を切り裂く音とともに、何かがサンに向けて飛んできていた。


思考が一瞬で、切り替わりすべてがスローモーションになっていく。


槍。


まるで、木の枝に、尖った石を先端に結んだだけの槍がサンめがけて飛んできていた。


あと0.3秒もしないうちに、サンに槍は突き刺さるであろう。

だけど


身体中に高速で、神経パルスが駆け巡る。


僕はサンに槍が突き刺さる直前、その槍を掴む。

しゅーと手のひらから湯気がでる。


視線を前に持っていくと、数百メートル先に、人間大の大きさの灰色の猿が群れをなしてこちらを見ていた。


いや、猿だけではない。


なにか、もっと音が聞こえる。


「”声”」


僕の身体からソナーのようなものが放たれ、周囲数十キロの生物たちの声を認識する。


「なにこれ」


僕のソナーは、数千匹の怪獣の大群が様々な方向からこの家に向かってきているのを教えてくれていた。


「……」


おかしい。


同じ種類の生命だけならわかる。だが今回は違う。

様々な種類の野生動物がこちらに一直線に向かってきている。


まるで何かに引きつけられるように。

”声”に集中する。


何に引きつけられている?。


「くっ」


ノイズが走る。

なんだこれ。こんなこと初めてだ。

それに怪獣たちの声もおかしい。

みんなここに来る理由がバラバラだ。

おかしい。


「厄介だなまったく」


このまま行けば、あと数十分で千を超える怪獣たちがこちらに到着しはじめる。


「さすがにやばいかも」


どうやら今日はのんびりにとはいかないらしい。

僕は、背中から翼をだし、猿を睨んだ。





そして




僕はこの後めちゃくちゃバトルした。











一時間後。



「はぁ、はぁ」


さすがに動いたな。

あのあと1時間、戦闘機もかくやという速度で僕は戦った。


それもただ戦うだけではい。

彼らを生かしたまま、戦意だけを喪失させた。

彼らがここに襲ってきたのは、本当におかしなくらい偶然であったから。


唯一、戦意があったのは最初の灰色の猿たちだけ。


こんなことあるのだろうか。


「ヒカル、大丈夫だった?」


ソーフィヤさんがそばに寄ってくる。

今回は僕だけで戦った。

前みたいにソーフィヤさんが戦うことが嫌だったのだ。

もちろん、自己変態能力を得たソーフィヤさんが死ぬことはないが、傷ついてほしくないのは変わりない。


僕は”声”の能力を使い周囲を確認する。

もう、怪獣たちはいない。


どうやら危機は去ったらしい。


僕は翼を収納し、ソーフィヤさんの元に向かった。


「おつかれヒカル」


このとき、僕は完全に安心しきっていた。

周りに敵意のある存在はいないことは確認済み、そして戦闘の疲れ、そしてソーフィヤさんの笑顔。


だから、


「へ」


顔が何かに包まれる。


「ソーフィヤ……さん?」


あまりに突然で、一瞬思考がフリーズした。

思わず、できるだけソーフィヤさんのこと呼び捨てにしようと思っていたのにソーフィヤさんって普通に呼んでしまうし。


僕はソーフィヤさんの胸に顔を突っ込んでいた。


「ふふ、ヒカル、捕まえた」


ソーフィヤさんの声は、甘く蕩けるかのようだった。

あまりのことに僕は何がなんだかわからなかった。


「あ……れ」


違う。

僕は驚いているだけじゃない。


思考が鈍っていく。

どうして。


僕は自分の脳の中に何かが入ってくるのを自覚した。

痛みはまったくない。むしろ……。


ソーフィヤさん……なん……で。

思考がゆっくりと停止し始める。


だけど、能力があれ……ば。


あ。






僕の意識は闇の中に消えた。

だけど、そこにあったのは苦痛ではなく、むしろ逆。

暴力的なまでの快楽が僕の脳を支配していた。














ソーフィヤは自分の胸元で意識を失っているヒカルを見て微笑んだ。


「あの猿たちの脳をいじって実験した甲斐があった」


同じ人ガタの猿ならば、脳の基本的な構造は似ている。

だからこそ、ソーフィヤは実験した。


脳に侵入しながらも苦痛を当たえない方法を。


そしてそれを見つけた。


ヒカルに力を使われれば、いくら脳に侵入しようと、一瞬で元に戻される。

だが、もしヒカルの身体が能力を使いたくならないようにすれば?。


苦痛ではない。

苦痛を少しでも与えれば、ヒカルの能力は一瞬で、ヒカルを元の正常な状態に戻すであろう。


「これでずっとヒカルは幸せだよ……そして私も」


だからこそ、ソーフィヤはなんどもなんども実験を繰り返し、その方法を得た。そして、”偶然”に怪獣たちをここにおびき寄せ、ヒカルを疲労させた。

今回、起きた全ての現象は今ここにつながっている。


成功は最初からわかっていた。


わかっていたからこそ実行したのだ。

このタイミングでならば、確実に100%成功すると。


「グゥうう」


「?あぁ、まだいたのか」


そこにいたのは巨大なゴールデンレトリバーだった。

その瞳は、その人を離せというように、ソーフィヤを睨んでいる。


「私は君のことを好きでも嫌いでもないよ、だから命だけは見逃す。さっさと消えてくれ」


言葉は理解しているんだろうと、ソーフィヤは言った。

その言葉を聞いて、サンの視界が赤く染まった。


あいつは殺さなきゃ。


ご主人をさらう悪いやつだ。


サンの体毛が怒りに呼応して黄金に輝いていく。


「へえ、そんなこともできるのか」


ソーフィヤはそれほど驚いてはいなかった。

もう未来は確定している。


私が危険視してないということは、そういうことだと。


そしてサンが飛びかかってくると同時に、ソーフィヤは一瞬でサンの背後に周り、その足に触れた。


「キャンッッ」


くるんとサンの瞳が裏返った。

触れる、たったそれだけで、サンの内蔵という内蔵が一瞬で破裂した。


「襲ってこないなら見逃そうと思ったけど、私とヒカルの邪魔をするなら話は別だ」


サンは何がなんだかわからなかった。

もう視界すら何も見えない。何も感じない。


何も聞こえない。


(ご主人……)


サンの意識は奇しくもヒカルと同じく消えた。


ただ一つ違ったのは、あったのは発狂するほどの苦痛だけだった。













この日から甘美な地獄は始まる。

人間の尊厳とも呼べるべき全てを奪われた生活。

意志も、身体も、頭の中でさえソーフィヤに支配された生活。


それは苦しいという感情すらもヒカルの中から奪っていった。
















そして数十年のときが流れた。

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