第28話 С волками жить --- по-волчьи выть.
「キゥイ?」訳「は?」
その金色の毛を持つメスは死んでいなかった。
それどころか、傷一つない。
ありえないとソレは思った。
なんだこれは、なんだこれは、なんだこの人間は。
「ふむ、見れば見るほど奇妙な生物だな君は、ベースはやはりネズミか?、だがその腕に、異様に発達した脚、まるで人間の腕をそのまま模倣したような腕だ、本当にこの世界には驚かされる」
金色の毛をもつ人間のメスは、顔色一つ変えずこちらをみていた。
ソレの心臓の鼓動がドクンドクンと速度を上げる。
人間でいう嫌な汗が、ソレにも流れた。
脳内に分泌してたアドレナリン量が増加する。
血管が収縮し、血圧が上昇していく。
身体が震える。
「AAAAAAAAAAAAA」
拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう。
拳を振るう。拳を振るう。拳を振るう。
拳をふろうとして、目があった。
どこまでも見通すような切れ目の瞳が、ずっとこちらを観察していた。金色の毛をもつメスは無傷であった。
「できれば、触れないで操作しようと思ったがまあいい、やはりこの身体は、そういうのにも強そうだ」
なんだ、何を言っているんだっ!!
怖い。嫌だ。ソレの本能が言っていた。
この人間には勝てないと、勝てないどころか勝負にすらならないと。
来るな。来るなぁああ。
一歩一歩、金色の毛をもつメスが近づいてくる。
思わず、後ろに下がる。
嫌だ、死にたくない。
やっとここまで来たんだ。
今更あんなゴミに隠れながら怯えていた毎日に戻りたくない。
嫌だ嫌だ嫌だ。
逃げるしかない。
「チュチュウチュウ!!」訳「お前らぁ、やつらの足止めをしろぉ!!」
周りにいた、普通のネズミたちが金色の毛をもつメスと、よくここらへんで見ていた黒の毛をもつオスに飛びかかっていた。
その数、およそ千匹。
その間に逃げなければ、はやく、はやく少しでも遠くに。
なに、自分さえ生き残ればあとはどうにでもなる。
そしてソレが逃げようとし、踵を返した瞬間。
「……
視界が白く染まり、その声が聞こえてきた。
思わずソレは振り返ってしまった。
仲間はみんな何かに貫かれていた。
輝く、光の枝のようなもの。
それが黒色の毛を持つオスの背中から翼のように飛び出ていた。
仲間が苦しみの声をあげる暇すらなく一瞬で溶けた。
溶けた、骨すら残らなかった。
およそ千匹のネズミが一瞬にして、謎の光る枝のようなものに突き刺されて絶命した。
「ヒカルありがとう、こっちのほうが見えやすいからそのままにしといてくれ」
「あ、へえ姉御」
あ、ああ、あああああああ。
こいつら人間じゃない。
なんだこれは、なんだこれは、なんだこれは。
逃げなきゃ、はやく逃げなきゃ。
手当たりしだいに、周りにあるテーブルや、ソファ、レジを投げつける。
その速度、時速213キロ。
だが、女に当たる前に、光輝く根のようなものがそれらを弾き飛ばす。
そして、ソレの足には、もう光り輝く根のようなものが巻き付いていた。
逃げようとしてころんだ。
引きちぎろうとして腕にも巻き付いた。
もうソレは動けなかった。
一歩一歩人間たちが近づいてくる。
金色の毛をもつ人間のメスのほうがソレの前に立った。
ソレは怯えながらも最後に抵抗しようとし腕を振り上げた。
だが
すべては遅かった。
ドスっと何かが入ってくる音がソレの耳に聞こえた。
なんの音だ?
シュルシュルと何ががどこかを移動している。
大きな音だ。
金色の毛をもつ人間のメスの腕がソレの頭に触れていた。
あ、あああああああ。
ソレは知性があるゆえに理解した。
この音は、この音はああああああ。
頭の中で何かが動いている音だ。
なぜか痛みすらなかった。
頭で何かが蠢いているのを感じた瞬間、ソレは暴れようとした。
暴れようとしたのだ。
だが。
「動くな」
その一言で、ソレの身体は動かなくなった。
指すらも。目すらも。
その言葉の意味は理解できなかったのに、脳は完全に制御されていた。
「うわぁ、グロ。あの、ソ―フィヤさん、姉御?いったい何をしてるんでしょうか」
「あぁ、心配しないでヒカル。なに、ただの実験さ。能力を使わないでできることはできるだけ能力を使わないという方針は変わってないが、自分が何をどこまでできるのかは知らないといけないだろう?」
「やだ、この人マッドサイエンティストの顔してる」
ソレは、怯えた。
言葉の意味はわからなかったが、人間のメスの方がこちらをみて少し笑ったような気がした。
そしてもう一度、暴れようとした一瞬、脳内で何かがまたうごめいた。
「AAAAAAAAAAAAAAA」
くるんとソレの目が裏返った。
ソレの意識は闇の中に消えた。
これがその生物が正常でいられた最後の瞬間であった。
*
ヤダ、なにこれ怖い。
ヒカルは目を疑った。
崩壊したデパートの一階飲食品コーナー。
その奥では、なんかネズミの王様みたいな動物と、ネズミの大群がいた。
そしていま、そのネズミの王様は、なんかすごい顔をしていた。
いやもうすごいの。
ねずみ界のR18な光景とでも言えばいいのだろうか。
すごいア○顔。
なぜこんな顔になってるか、ソ―フィヤさんが腕を変質させてネズミの王様の脳に突き刺していたからだ。
しかも、その変質したのがすごく細かったからまだネズミの王様は生きている。
あまりのグロテスクさに僕は目を覆った。
とは言っても元の正常なネズミの王様も大概グロテスクだったのだが。お腹が、でっぷりしており、その中に様々な動物が埋め込まれていたのだ。コウモリとか、虫とか、子犬とか、”声”で探知したとき変な印象を受けたのはこれのせいだった。
というかソ―フィヤさんは本当何しているのだろう。
ソ―フィヤさんは腕をぐちゅぐちゅ動かしてネズミの王様の頭を弄っている。
もうやめてあげてよお。ネズミの王様の心の声が聞こえる僕はそんなことを思った。
”コ、コロシテ”
ソ―フィヤさんはまだ弄っていた。
「なるほど、ここか、普通のネズミと脳が違うから少し時間がかかってしまった」
ソ―フィヤさんは顔色一つ変えなかった。
いつもどおりな顔。うわ、こええ。
そしてぽすっとソ―フィヤさんは腕を抜いた。
その腕は指が針金のようになっていた。
「見てヒカル」
僕はもう一度ネズミの王様の顔を見て目を疑った。
”ウヒヒヒ、ウヒヒヒヒヒイヒ”
ネズミの王様は笑っていた。
気持ちよさそうに、目をくるりと反転させながら笑っていた。
「ヒカルは、Toxoplasma gondii"トキソプラズマ”という寄生原生生物を知ってる?」
ソ―フィヤさんがめちゃくちゃいい発音で言った。
「いちおう、猫に寄生しているやつでしょ」
「そう、1908年に発見された原虫。トキソプラズマ症なんかは猫飼う人には有名だ。じゃあそのトキソプラズマの中間宿主を知っているかい?」
「なんだろ……あ、ネズミだったっけ?」
「そうネズミだ。トキソプラズマはね、ネコに感染する前に一度ネズミに感染するんだ、まあ人間というか哺乳類の全般に感染するんだけどね。まあ話はそれだけじゃない、トキソプラズマに感染したネズミはね、生活行動が変化するんだ」
「はえー」
「衝動的になって、身繕いしなくなったり、色々冒険するようになるんだ。なのに運動能力は低下して、すごいネコに食べられやすくなる。しかもそう自分から行動するんだ、ネコに対する恐怖心がなくなる」
「こっわ」
「トキソプラズマはどうやってネズミを操っているかというと、トキソプラズマはネズミの免疫細胞、白血球の一種に生息しているんだ。そしてその白血球である樹状細胞にのって脳に到達したトキソプラズマはネズミの大脳辺縁系周辺の嚢胞を変化させる、すると、脳の生殖に関するニューロンが狂ってしまって変な行動をとるようになる」
「へー」
「簡単にいえば、トキソプラズマは神経伝達物質の……んー少し違うが、ドーパミンとGABAを作れる能力を持ってるんだ。それでネズミの神経系を興奮させて操る、そしていま私が何をしているかといえばトキソプラズマのように、このネズミの大脳に物凄い小さい自分の分裂体を置いてその神経細胞、ニューロンの間のシナプス間隙の部分にいろんなドーパミンとかの神経伝達物質をたくさん流し込んでるんだ、まあほんとに簡単に言ったらなんだが」
「…なるほど」
「ヒカルのように直接的に超能力で生き物を操ることはできないけど、この身体になったとき間接的になら、こういうこともできるんだろうなと思ってね。試したくなったんだ、見といて、おい歩け」
そうソ―フィヤさんがいうと、ネズミの王様はゆっくりと歩きだした。
ネズミの王様は完全に支配されていた。
……。
「まあ実験はこれで終わりだ。ヒカル?さっさと買い物を済ませよう。ああ、あと君はもう用済みだから死んでくれ」
ネズミの王様はドシーンと音を立てて倒れた。
数秒後、完全にネズミの王様の心の声は聞こえなくなった。
ネズミの王様は完全に絶命していた。
「あっ、はい。何でも言うこと聞きっましゅ」
僕の言葉は震えていた。
恐ロシア。ソ―フィヤさんだけに。
まじで怒らせないようにしよう……。
数時間後。
僕らはお金のいらないショッピングを終えて帰宅していた。
意外と、洋服や本は綺麗な状態で残っていた。
とくにあの崩壊した日、隕石が落ちたのが夕方だったので、みんなが死んだのは夜10時、そのときにはもうシャッターが閉まっている店舗が多かったから割と思ったより汚くはなかった。
三年たっているというのに割と。
デパート以外の小さな店舗は、大きな怪獣に体当りされ簡単に壊れていて中のものはひどい有様であったが、デパートはその大きさゆえ損害を免れたようだ。
久しぶりにいろんなものを入手した。
ちなみに僕が入手したのは、新品の携帯型のゲーム機とソフト数十個に、ソ―フィヤさんに選んで貰った服。
ソ―フィヤさんが、持ち帰ったのはデパート内にある市営の図書館にあった本数十冊といくつかの服。本のタイトルは、『基礎からの建築』『基礎からの電気工事』『自分で家を作る!簡単!』『明るい家の作り方』『秘密基地の作り方』『パパさんのための初めてのDIY』とか。
そして『ゼロから理解できる。初めてのロシア語』『ロシア語単語集』『ロシア語文法まとめ基礎』。
僕はソ―フィヤさんに聞いた。
「どうして日本人向けのロシア語講座本を持っていくの?、僕が訳すよ?」
「ロシアにはこんなことわざがあるんだ、Сволками жить --- по-волчьи выть.狼と暮らすなら狼のように吠えろってね」
「おお、郷に入っては郷に従えてきな」
「クス、それは同じ意味の日本のことわざ?、……まあ、日本で暮らすからには日本語を知らないと。それに……ヒカルが生まれ育った日本という国も知りたかったんだ、でもさすがにロシア人向けの日本語の講座の本は置いてなかったから……日本人向けのロシア語講座で代用」
「えー、なるほど」
僕は照れた。
と、まあそんな感じで家庭に優しいお金のいらない買い物を終えた。
※ソ―フィヤとヒカルが会話している言語はロシア語です。
もう時刻は夕暮れ。
太陽は人間がいようがいなくなろうが、いつものように動く。
夕日が、崩壊し人間のいなくなった街を照らしていた。
「また行こうか」
ソ―フィヤさんが夕焼けに照らされながら僕と手を繋いできた。
ゆっくりと二人で歩幅を合わせて歩く。
(うわあ、僕めっちゃリア充してるじゃん)
僕は割と幸せだった。
午前中あったグロテスクな出来事はもう忘れるようにした。
(あれが夢、あれは夢だった)
僕はそう心の中で言い聞かせた。
家に帰り、家で置いてけぼりにされ少し怒っている雰囲気だったサンには、きちんと帰宅中に確保した数匹の野生動物を献上した。
サンは”仕方がない、許してあげる”と心の声で言ってもう寝ていた。
こうして長い一日が終わった。
今日の日記
『今日はソ―フィヤさんとデートした。
とても楽しかった。
楽しかった。
……今日のネズミ夢にでそう』
ヒカルは、数週間後に今日の行動を後悔することになる。
あのとき、ネズミの王様で実験しているソ―フィヤさんの心の声を聞いておけばよかった……と。そうすればこんなことにはならなかったかも知れない……と。
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