第24話 だから、これでずっと一緒にいられるね

宇宙でデブリのように流れていくソ―フィヤの身体を一人の少年が受け止めた。


6対の翼をもつ明らかに人間ではない少年は、しっかりとソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァの遺体を受け止めていた。


「……」


宇宙服のヘルメット内は完全に血が浮遊しており、真っ赤に染まっていた。

目は半分開かれていたが、その瞳に力はなかった。


「……」


ソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァの生命活動は完全に停止していた。

心拍、呼吸、瞳孔散大対光反射、すべてが停止していた。


それはもはや生命を操るヒカルの能力が通じないことを意味していた。

もう命ではなくただの人の形の肉に過ぎない。

死者は死者。蘇りはしない。


唯一手段があるとすればそれは……。





純白の翼が煙がかき消えるように消失する。


そして新たに紫色の妖しい光が少年の背から放出され、翼のような何かを形作っていく。

大きく、大きく、一秒また一秒ごとに光の翼が大きくなっていく。


まるで少年の悲しみに呼応するように。

少年の皮膚が溶ける。

そして中から光り輝く身体が現れる。


ソレはもはや見た目すら完全に人間ではなかった。


顔を上げた少年だった者の瞳は、真っ赤な大輪が浮かんでいた。














ソレには知能があった。

周りを観察し、最適な行動をとろうとする程度の知能が。


ソレは、きちんと観察していた。

周りを。周りにある物質を。


(dfqDD、ゔぇqgq)


329秒前には早くも生命体を発見した。

体液を採取し、体内にきちんと取り入れた。


欲を言えば神経細胞も採取したかったが、対象はなぜか宇宙空間に流されていってしまった。


(fhdさうい……392vんk、zxぃ)


残念であったが仕方ない。

はやく、もっと周りの物質を捕食しなければ。


「きdwくぃ3`341?」


そのとき、ソレは何か危険なモノが迫っていると感じた。

恐ろしく、巨大なエネルギー。


(!?!?!?!?grw!らえg?rわlぎおwf)


逃げないと。

はやく。


逃げないと。

ここにいると。





その瞬間、ソレの身体は爆散した。






ゲルが壁面に、空間に飛び散る。


「……」


そこには、いた。

膨大な光を発する人ガタの何か。


顔と思われる位置には、2つの星が真紅に輝いていた。


ぴく、ぴくと壁面に張り付いたゲル状の細胞がうごめく。


ソレはまだ生きていた。

身体が離れ離れになっても特殊な力場を形成し、元の体に戻ろうとしていた。


「……」


少年だった何かは腕を振るった。


瞬間、前方約40,000kmが眩く光り輝いた。


そこに存在していたデブリ、マイクロメテオロイドが一瞬にしてこの世界から消失した。


それは燃え尽きたわけではなかった。


UEによって生み出された新たな物質が、ヒカルの体内で様々な原子と融合しUEですらない莫大なエネルギーを生み出していた。


それは奇しくも核融合に似た反応で、莫大な熱量がマイクロメテオロイド、デブリを瞬時に飲み込んだのだ。





宇宙空間に浮遊していたゲル状の何かは、一瞬にしてこの世から消失した。

残っているのはNOAHの壁面に付着したものだけ。


「……終ノ翼フリューゲル


翼らしきものが一瞬にして大樹の枝のようになり、爆発的に広がる。


光り輝く枝が別れ、一つ一つ飛び散った細胞を絡め取っていく。


そして、その瞬間ヒカルは理解した。

この生命体のことを。




 




彼らには性別がなかった。

いや、性別どころか形も顔もなかった。


ただあるのは、近くにあるものを飲み込むという意志のみ。

だが、ただ飲み込むだけではない。


有害、無害、そんなフィルターが存在しており、有害と判断すればそれを飲み込んだ。


そう有害であれば、なのだ。


それだけがこの生物の意志であった。


わからない。自分がどこで生まれたかも、なぜ宇宙で漂っているのかも。


その生物は、身体を鉱物のように変化させることができた。

その割合、99.99999%、それが完全に岩石と同じ物質であった。


そして、ソナーのようなものが身体に触れれば反対方向に同じ波動を放出し、紛れる擬態に似た特徴も兼ね備えていた。


ヒカルはソ―フィヤが船外活動をすると言い出したとき、念の為”声”で一度確認したのだ。”声”の特性はソナーと同様。


だから、ヒカルの能力にも、NOAHのソナーにも反応がなかった。


「(違う……)」


この生物はおかしい。

すべての生命の根元にあるのは、子孫を残すこと、増えることに過ぎない。


だが、この生物は、ただフィルターに沿って物質を食らうだけなのだ。


まるで誰かに設計されて作られた機械のようだとヒカルは思った。





そしてヒカルは彼らをこの世から完全に消滅させた。


















(水……)


ソ―フィヤは、頬に水滴が落ちるのを感じた。

水。冷たくはない、なんだろうと考えたところで遠くから声が聞こえたような気がした。


自分を呼ぶ声。


まだ若い少年の声。声からはそんな感じがした。


(泣いてる……?)


誰だろう。

だけど、大切な人のような気がする。

忘れてはいけない人。


意識がぼんやりとしている。

記憶が定まらない。


「(うー、あー)」


カチカチ、カチと時計の針が周るように意識が浮上していく。

そしてソ―フィヤはゆっくりとまぶたを開いた。


(……眩しい)


見慣れた白い壁、天井、円状の扉。

NOAHの中だ。


ソ―フィヤは横になっていた。

どうやら寝ていたようだ。


眩しさが息を潜め、ソ―フィヤの横にいる人物が顕になる。


「ヒカル……」


そこには、ここ一ヶ月ずっと一緒にいた少年の姿があった。

ひどい顔だ。鼻水をたらし、瞳からは涙が滝のように流れている。


「ごめん……ごめん……ソ―フィヤさん」


(どうして泣いているの?)


ポツンと涙がソ―フィヤの頬に落ちた。


ソ―フィヤはすべて思い出した。

ヒカルと一緒に映画を見ているときに、E23ー532番が鳴り響いて……。

それで……。


外に出たんだ。

そして……そこには化け物がいて。


「あ……れ、わたし生きて……る?」


どうやら神は自分を見捨てはしなかったらしい。

だがヒカルはその言葉を聞いて顔を悲痛そうに歪めた。


「ど……うして……泣いているんだ?」


私は生きていて、ヒカルも生きている。

それでいいじゃないかとソ―フィヤは思った。


「ソ―フィヤさん……」


ヒカルが一度ゆっくり息を吸ってスーと吐いた。


「僕はそれでもソ―フィヤさんに生きていてほしい」


たとえそれが僕のエゴでもとヒカルはつぶやいた。

ヒカルは右手をソ―フィヤの頬に当てた。


その瞬間、ソ―フィヤはすべてを理解した。


自分がされたこと、ヒカルの能力のこと、ヒカルがしたこと。


すべてがソ―フィヤの頭に流れ込んできた。


「あ、あ、あ」


それは、今までの常識では考えられないことで。

ソ―フィヤが考えていた自体とも違った。


だけど


「そっか、私は一度死んでるんだな」

「……」


ソ―フィヤはそれをすぐに受け入れた。

今のソ―フィヤはソ―フィヤであっても完全に以前のソ―フィヤというわけではなかった。


ヒカルの能力の中には、生物の記憶や身体情報を分析するものがあり、それは死体からでも、情報を得ることを可能としていた。


ソ―フィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァという人間を構成するすべての情報。


DNA、細胞の数、上皮組織、支持組織、筋組織、神経組織のバランス、グリア細胞、頭蓋骨、脊柱、胸郭、上肢骨、下肢骨、咀嚼筋、表情筋、大腿筋などの筋肉、心臓の重さ、体積、総血液量、一階の心拍出量、血流速度、血管の強度、太さ、赤血球の数、白血球の数、血小板の数、血糖、細胞内外のイオン濃度、肺の大きさ、横隔膜の大きさ、血液ガスの割合、気道の長さ、太さ……。


言葉では伝えきれない膨大なデータ。99.998%だけが、ソ―フィヤの遺体と、ヒカルとの接触時に解析されたデータ。


およそ99%。それが今のソ―フィヤと、数分前殺されるまでのソ―フィヤとの一致率。


では残り、0.002%は?。

何かで補わねばならない。


そこに流れ込んできたのは、ヒカルの力の一端。


今のソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァは完全に人間とは言えなかった。言い方が悪いかも知れないが、ソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァという人間の残滓に過ぎないかも知れない。


「クス、なんだこんなことで泣いていたのかヒカル」


「え……?」


ヒカルは顔を上げた。

その瞳には困惑。


「もう人間じゃないことか?、それとも私が一度死んだことか?、ヒカルよく聞いて、私は……それが悲しむことだとはまったく思わない、それどころか私は嬉しい」


「どう……して」


「ヒカルが自分を削ってまで私を助けてくれた、感謝こそすれ悲しむわけないだろう?」


「・・・・・・」


「私がもう人間じゃないのはわかる、力が溢れるんだ。今ならビル一本くらい簡単に壊せそうだ。どんな高さから飛び降りても生きてるという確信がある。深海にだって、宇宙空間でだって、火山の中であって生身で生きていけるという確信がある」


ヒカルはソレを聞いて悲痛そうに歪めた。


「だけどそれでも私の9割9分は私なんだ、ソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァという女だ、ヒカルが再構成してくれなかったら、私はここにいなかった」


ソ―フィヤは瞳の光を強くして言った。

そこには一切の迷いも絶望もなかった。


「だからありがとうヒカル……助けてくれて」


「ッ」


ヒカルはそれを聞いて少し、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。


「それにね、ヒカル……私は助けてくれたこととは別に、とても嬉しいんだ。君に近い存在になれて……」


だから、これでずっと一緒にいられるねとソ―フィヤは呟いた。

その表情は妖しく、真っ赤な雁来紅の葉を思わせた。

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