第23話 そうであればこんなにも


(視界良好、テザー良し、セーフティー良し、酸素タンク良し、MMU良し……安全段階クリア)


いくつもの安全確認を終えソ―フィヤは、宇宙に通ずる最後の扉を開いた。

船外活動する前のため、何千回も訓練した安全確認を手順通り行なった。


テザー(命綱)も問題なし。

酸素タンク、予備タンク共に問題なし。


眼前にいくつも小さな輝きが映る。


(一人で船外活動ももう慣れたものだな)


船外活動は基本的にバディと。それが鉄則だった。

まあ、そのバディはとっくの昔に自殺しているのだが。


スーハーと自分の息遣いが聞こえる。

少し気合を入れ直す。


ヒカルのためにも早く終わらせて帰ろう。


そしてソ―フィヤはほぼ完全な無重力空間を駆けた。






(そろそろか)


ゆっくりと壁沿いをつたいながら目標の場所に向かっていく。

目指すは外壁部太陽光パネル。そしてEー532、二枚目の太陽光パネルだ。


スーハー、スーハー自分の息遣いが聞こえる。

ここ最近ずっと、ヒカルと一緒だったからやけに静かに感じる。


今になってソ―フィヤは通信装置くらいはヒカルに持たせておけばよかったと後悔した。


寂しい。


なんとなく落ち着かない。


(落ち着けソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァ。船外活動中の無駄な思考は事故につながる)


候補生時代の教官に数え切れないほど言われた言葉だ。


思考を打ち切り周囲に目を配る。


しばらくするとソ―フィヤは目的の太陽光パネルの前に付いた。


「何だ……これは」


そこにはソ―フィヤがまったく考えてなかった光景があった。


そしてどこの国のマニュアルにも載っていないであろう問題。


ソ―フィヤはおおかた、0,数ミリ単位の砂のようなデブリかマイクロメテオロイドに接触し、少し表面が破損でもしたのだろうと考えていた。


だがいま眼前に映るこの光景はなんだ?。


ラブビーボール大の隕石、それが太陽光パネル表面に”くっついていた”。


(バカな、これほどの体積をもつ物質なら、センサーが感知しないはずがない)


しかもなぜ、このパネルは無事なのだ。

おかしい。何もかも。


高度400キロメートルほどにあるNOAHの周回軌道上のデブリは約9.7M/sの速度を誇る。


運動エネルギーは速度の二乗に比例するため、一センチ大のデブリであっても軽く宇宙船は破壊される。


そしてこの隕石のような何かは推定でも60センチはある。

こんなものが衝突すれば、まちがいなくNOAHは一瞬で宇宙の鉄屑、スペースデブリに仲間入りしていたはずだ。


(なぜだ、なぜセンサーが反応しなかった)


よく観察する。なにごとも知ることからだ。


接着面を見る。

そしてソ―フィヤはそれを見て、すべての毛が逆だった。


「(な)」


軟体。まるでタコのようなスライムのような何かが接着面に存在していた。


上半分が鉱石で、下半分がナメクジのような軟体。

しかもそれは間違いなく動いていた。

こんなもの見たことがない。


それはほぼ間違いなく生命体であった。


「(さすがに驚くな、これは)」


ソ―フィヤは冷静だった。宇宙飛行士の夢、歴史に残る発見だ。

だが、何かがおかしいとソ―フィヤの頭は警戒の鐘を鳴らしていた。


そしてその通りに変化は現れた。


「(上半分の表面が溶けていく…)」


そして全てが軟体になった。

ナメクジ、タコ、この世の柔らかい生物をすべて混ぜたような奇妙な生物だ。

色は、赤、黄色、青と表面の一部ずつゆっくりと変わっていく。


そして……。


”目”が合った。


眼球が一つ身体を一回転するように、さきほど石だったはずの背面に現れていた。


「(こんなときこそ冷静に行動しろソ―フィヤ)」


警戒のために一歩、また一歩と下がる。

どうする。


こんな場面想定していない。どこのマニュアルにも載っていない。

ソ―フィヤは候補生時代何百回何千回と隅から隅まで読まされた分厚いマニュアルを思い出していた。

やはり、そんなものはない。


「(厄介事はゴメンだ)」


ソ―フィヤは自分の思考に驚いた。

一月前の自分なら多少の危険をおかしてでもこの地球外生命を捕獲しようと試みただろう。宇宙を夢見る者のすべてがおいこがれるものだ。


ソ―フィヤは目の前の奇妙な生物に集中しながらも並列で自分の変化に心のなかで笑った。


いまはヒカルがいる。やっかいごとはゴメンだった。

このまま二人でゆっくりと静かに暮らすのだ。

異物は持ち込みたくはない。


「……」


その瞬間、ソ―フィヤは運が良かった。


断熱材などを切るためのナイフを工具入れから出そうとし身を屈めた瞬間、ヘルメットの数ミリ上を何かが通り過ぎた。


前を見るそこには何かを振り抜いたように、数メートルはありそうな針金のようなものが奇妙な生命体の中央にある小さな穴から吐き出されていた。

そしてそれをもう一度見ようとしたとき、





……パスっと変な音がした。


音がした。宇宙空間で。

空気はないはずなのに。


つまりそれは、ソ―フィヤの身体から聞こえた音だった。


「ブッ」


血をヘルメット内に吐き出す。

赤に染まる視界で、下を見ると胴体に横一線きれいに肌色が見えていた。


そしてゆっくりと腹部の中央から赤い線が現れてていく。

無重力のため血が球体状になり宙に浮かぶ。いくつも。


ヘルメット内部の小さなモニターにはいくつものエラーが表示されていた。

[Eー21][Eー11][Eー29][Eー01][Eー09][Eー13]……。


どれか一つでもでたら、早急に対処しなければ生命維持に直結する完全なエラー。

それがいくつもソ―フィヤの眼前にエラーとして表示されていた。


身体が宙に浮かぶ、力が一瞬で入らなくなった。

もう自分の力で、掴むことができない。


だけど、まだ。


(テザー”命綱”が……)


あるはずで……。

ゆっくり視界だけを動かす。



「(あ)」


命綱であるテザーはきれいに切断されていた。

おそらく、一度ソ―フィヤがしゃがんだときだ。






力を失ったソ―フィヤの身体はゴンと一度、NOAHの壁面にぶつかり後方のなにもない宇宙空間に流されていった。


「(もう視界が暗い)」


自分はもう死ぬらしい。

視界が暗い、皮膚の感覚がない、なんの臭いもしない。


だが呼吸だけはできていた。


「(そうか、予備タンクか)」


目を虚ろにしながらソ―フィヤは薄っすらと思い出した。

宇宙服に穴や亀裂が入った場合でも、生命維持装置が働き、予備タンクのおかげで30分程度は呼吸が可能だったことを。


流されていく身体。


もはや生存は絶望的だ。

そのことをすぐにソ―フィヤは理解していた。


「(最後にヒカルと……)」


話を……。

そっか、もうそれすらできないんだ。


「(あぁ)」


走馬灯は流れてこなかった。

もう、家族の顔を思い出そうとしてもまったく浮かんでこなかった。


浮かんでくるのは一ヶ月一緒に生活したおかしな同居人の少年だけ。


「(嫌だな)」


こんな気持ちで死ぬのは……。

どうせなら、ヒカルと出会う前に死にたかったとソ―フィヤは流れ行く思考の中で思った。


そうであれば絶望しないですんだのに。

そうであればこんなにも



生きたいって思わないで死ねたのに……。

















そしてソーフィヤ・イリイニチナ・ラズドゥホヴァの人生はあっさりと終わりを告げた。










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