第2話 狂い始めた世界

「これで帰りのホームルームを終了しまーす、礼」

「「「ありがとうございましたー」」」


 やる気のない声が響く。光陰矢の如しというようにいつの間にか今日の学校が終わった。


 帰るか。今日はバイトもないし。


 帰りの準備のために鞄の中を確認しているっと後ろから僕を呼ぶ男の声が聞こえた。


 我がクラスのチンピラかつ友達、先嶋健だった。


「ひっちゃんさ、今日暇?バイトなかったよな」

「ないけど」

「みいとか、宮本とか、寺島とかも来るんだけど、カラオケでも行かね?」

「えっ、宮本さんも来るの……」


 まじであの人苦手なんだけど。古傷が疼くとかじゃなくて古傷がえぐられるんですけど。


「ひっちゃん」


 先島はニヤニヤ笑っている。何だそのニヤけづらは。

 僕は、特にすることもなかったのでとりあえず了承した。


 感謝しろよななんて言いながら先島は僕の肩を叩いて去っていった。

 あとで集合場所は連絡するらしい。


 三ヶ月前までだったら泣いて喜んで「先島サマー」と喜んだかもしれない。

 三ヶ月前までの僕なら……。


 あっ、なんか勢いで返事しちゃったけど少し憂鬱になってきた。






 モニターの前で寺島彩乃が立ちながら歌っている。


 率直に言って上手だ。ずっと聞いていたいと思う美声だと思う。

 学校での強気で切れたナイフのような雰囲気は消えていた。


 なんというかいかにも女子高生が好きそうな年中恋愛脳の頭が悪そうな歌詞なのに心に響く。宮本さんが「彩やっぱ歌上手~い」とパチパチしていた。


 時刻は19時34分。あれから僕たちは放課後集合し、カラオケハウスに直行した。


 薄暗い室内。凹型のソファーになっており、僕の向こう側に健と彼女である上原さん。そして僕の左側には宮本さんが居た。


 寺島さんの歌が終わる。みんな「おー」と言いながら拍手した。


 そのあとに歌った上原さんもなかなか上手だった。

 女子ってなんでこんなに歌上手いんだろ……。


 女はみんな歌上手い説。あると思います。


 宮本さんもやっぱり上手いんだろうかと思って宮本さんに目を向けてしまう。

 

 学校にいるときとは違って、宮本さんも寺島さんのように胸元を緩めていた。


 以前なら内心ウヒョーとか言ってたかもししれない。でも今はその前になんというか警戒心のようなものが先立つ。


 その視線に気づいた宮本さんがニヤッとちょっと笑って身を寄せてきた。

 身体が触れ合う。


「ねーひっちゃん、一緒に歌お」

「ハ、ハイ」


 気がついたら返事してた。何やってんだ僕。


 とりあえず適当に今流行っている曲を歌った。

 知ってってよかった有名所。


 それから僕たちは適当に歌って適当に騒いで時が過ぎていった。


 本当はゲームの主題歌とか歌いたかったけど、こういう多人数で来てるときにみんなが知らないマイナー曲を歌う勇気はなかった。


 そんなことしたら無事お通夜になる。


 谷口がいたら歌ったんだけどな。


 そういや谷口といえば朝へんなこと言ってたな。

 夕方18時ごろに隕石が墜ちるとかなんとか。


 もう時刻は21時過ぎ。もうとっくに墜ちて海の底だろう。


 「ふぁ」


 あくびをする。

 モニター前では健が熱唱している。


 何故か演歌だ。ほんとに何故だ。


 ってかほんとに眠くなってきた。


 おかしいな。


 さっきまでそんなに眠くなかったんだけど。


 さすがに徹夜漬けの生活はきつかったらしい。

 そんなことを思いながら僕は意識を手放した。






 寺島彩乃は左斜めに座っている宮本美桜と佐藤光を見た。

 宮本美桜。彩乃の幼少からの幼馴染であり、親友の少女だ。


 美桜は昔から要領が良かった、もともとの美貌に加え、勉強も運動も恋愛もそつなくこなしていた。彩乃はそれを羨ましいと思う。


 自分は彩乃ほど可愛くないし、運動はともかく勉強も恋愛も不器用な方だ。

 まあ恋愛と言えるほどの恋愛はしたことはないが。せいぜい近所のお兄さんに子供の頃憧れていたくらいだ。


 美桜はいつも自分の隣にいてくれた、両親が離婚したときも、弟が暴力事件を起こしてクラスで嫌な噂が流れたときも。


 できることなら美桜には幸せになってほしいと思う。

 でも最近、美桜の男遊びが激しくなってると彩乃は 感じていた。


 嫉妬深い男に何かされないといいが……。

 いやそうなっても自分が美桜を守ってみせる。


 そのために自分はボクシングやムエタイを習っているのだから。


 彩乃は自分自身のことをそれなり強いと思っている。もともとの天性の運動センスに加え女子にしては高い170cm超えの長身。


 格闘技やっている男はともかく、少なくとも素人には負けないだろう。

 実際、数ヶ月前に街でしつこい男たちに絡まれて僕力沙汰になったときも、正言って余裕だった。


 だから守る。守ってみせる。


 彩乃はそのために決意を固めた。


 美桜の隣には肌に触れ合う位置でクラスメイトである佐藤光が座っている。

 佐藤光。一言で言えばよくわからない男、いや男というよりはまだ見た目は少年の部類か。


 昔から大人びた外見をした自分とは正反対だ。


(って、あ?)


 佐藤は座っている。薄暗くてよくわからなかったが瞳を閉じている。

壁に持たれたまま微動だにしない。


(寝てる)


 友だちと遊びにきて寝るってどういうことと一瞬、思ったがよく考えれば最近佐藤はいつも目に隈をつくっていた。


 疲れていたのだろう。腕を組んで完璧に眠っている。


(いつも何してんだろ……)


 思えば佐藤は不思議なやつだった。

 学校の成績は優秀で、美桜を上回って学年でも五本指に入ると美桜から聞いていた。


 が真面目な優等生にしてはヤンキーの健と仲がよく、学校に隠れてバイトもしているそうだ。


 性格はほんとによくわからない、それほど喋ったことがないといのもあるが、なんというかいつも不思議な目をしている。人の心を見透かしたような見透かしてないような。


 とそんなことを考えながら彩乃は一つ思い出した。佐藤の唯一わかる性格。


 それは美桜のことが好きということ。


 佐藤が美桜を見る目はまるで『好き好き美桜さん好き』みたいな、強いて言うなら子犬のような目をしていた。


 美桜もまんざらでもなさそうだが、男としてというよりは弟のようだと前に言っていた。


 でもきっと佐藤が美桜に告白したら美桜はそれに答えるだろう。

 恐らく遊び相手の一人として。


 学校がどろどろするのは嫌だなと彩乃は思った。


 佐藤に視線を送っていると、美桜がこちらに振り向き寝ている佐藤に気がついた。


(あっ悪い面してる)


 美桜はニヤリと口角を上げた。

 悪戯を思いついたようだ。


 美桜が佐藤に手を伸ばす。

 そしてゆっくり佐藤を倒し始めた。

 

 佐藤はぐっすりと眠っているようで起きない。


 そして佐藤の頭が美桜の太ももに乗る。


 膝枕だ。


 佐藤は童貞っぽいので起きたら多分あたふた慌てるだろう。

 それを見てニヤニヤする美桜のことがすぐ想像できた。


(美桜ってこういうとこあるよな)


 からかい癖とでも言うのだろうか。こうやって男に勘違いさせるような行為よくする。しかもそれもわかってだ。悪女である。


(ってなんか私も眠くなってきた)


 よく睡眠はとっているほうだが、どうにも眠い。

 佐藤の寝顔を見ていたから眠気が移ったのだろうか


 ソファの向こう側を見たら健とその彼女であるみい子も仲良く肩を合わせて寝ていた。


 膝枕しながら佐藤の頭を撫でる美桜もどことなく眠そうだ。

 

 視界が重い。


 食事に何か入っていたのだろうか。


 瞼が重い。


(眠い……)


 力が抜ける。


 おかしい。


 意識が消えていく。

 

 最後に閉じゆく瞼の隙間から見えたのは美桜がゆっくりとソファに倒れていく光景だった。











 プカプカと浮いている。


 水。僕以外のすべてが水で満たされている。


 はるか上に薄っすらと光が見える。


 深い深い海の底のようだ。


 頭がぼんやりする。


 何も考えられない。


 ただ僕はそこにあった。


 小さな球体が上へ登っていく。


 泡。


 小さな泡。


 泡が一個ずつ増える。


 増えていく。


 下を見る。


 そこには“何か“があった。


 巨大な“何か“。そこから泡が出ている。


 泡が増える。


 無数に。


 さらに増える。


 滝。


 逆さまの滝。


 海の中で泡でできた逆さまの滝が空へと落ちていく。


 いやもうそれは滝じゃない。


 竜。


 白い竜の胴体。


 まるで巨大な竜が海の底から出ていくようだと僕は思った。










 薄っすらと瞼の隙間から明かりが見える。


 暗い。それに知らない天井だ。


 嘘ついた。知ってる天井だ。てか普通にカラオケの天井だった。


 眠っていたようだ。

 

 とそこで気づいた。柔らかい。柔らかい何かに頭が乗っている。

 それは太ももだった。


「うわあ!」


 飛び起きる。それは宮本さんの脚だった。

 何故か膝枕されていたらしい。

 宮本さんは太ももを寝かせたまま反対側で寝ていた。


「ってあれ」


 静かだ。

 カラオケにいるはずなのに。

 それに“何か“違和感がある。


 部屋を見渡す。


 そこには寝る前と変わらないメンツが居た。

 宮本美桜、寺島彩乃、先嶋健、上原みい子。

 何故かみんな寝ていた。


 誰も微動だにしない。健に至ってはテーブルの下に頭を突っ込んでいる。


「なんでみんな寝てんの……?」


 誰も起きる様子がない。

 僕は宮本さんに膝枕されていたということすら忘れた。


 壁にかけられている時計を見る。時刻は2時35分を刺していた。


「馬鹿な」


 あれから五時間以上立っている。

 みんな寝ているにしても何故店員が呼びに来ないんだ?


 誰かが延長した?そしてそのあと寝た?のか……。

 いやまず、僕たちは学生だ、最初に全員学生証を提示した。


 学生は22時以降、強制的に追い出されるはずだ。


 静かだ、カラオケにいるはずなのに。

 深夜とはいえ歌声も何も聞こえないものなのか?


 嫌な予感がする。


「宮本さん!!宮本さん!!」


 宮本美桜の顔を叩いて呼びかける。

 少し強めに叩いても宮本さんは起きる様子がない。


 まるで死んだように動かない。


「?」


 首の側面に手を当てる。


「あっ」


 ない。


 ない。


 ない。


 そこはピクリとも動かない。


 首から手を離して今度は手首のくぼみに親指を当てる。










 宮本美桜は死んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る