4. BRIDGE OVER TROUBLED MUGIC

 集会と言えるかはわからないが、晴美の家での三人集会の翌日の学校、晴美はまた教室で机に覆いかぶさるようにうなだれていた。

「ふぇぁ……」

 晴美はまた妙な声を出しつつ、昨日の千智の言葉について頭を悩ませていた。というより恐怖を覚えていたのかもしれない。『私には鈴野さんが必要』という、どんな意味であっても戦慄する言葉だ。とりあえずその不安要素である千智の姿は今のところ学校内で見かけていない。

「なんで、わたしなんだろう……」

 つい勢いで『音楽魔法』を見せてしまったのが運の尽きなのか、晴美自身の行動により新たな世界への繋がりが出来たものの、その繋がりは晴美からすればあまりにも異質だった。

 晴美は今のこの気分を少しでも変えようと、また落書きばかりを描いているノートを取り出した。今まで描いたものをちらほらと見るだけでも晴美は構築された幾千の世界を覗くきっかけになり、その事が何かと気晴らしになった。

「なーにしてんの?」

「わぁっ!」

 突然後ろから声をかけられ、晴美は思わず声をあげた。

 その声のした方に振り向くと、そこには由卯の姿があった。

「……あ、由卯ちゃん」

「や、晴美ちゃん」

 由卯は挨拶と共に、特に意味は無いが指をピシッと決めたジェスチャーを決めた。

「相変わらず絵描くの好きなんだねえ」

 晴美のノートのページを見て、由卯は呟く。

「あ、うん、まあね」

 最近は何も描いていないのを思うと、晴美はその言葉に少し申し訳ない気分にもなった。

「……ところで由卯ちゃんどうしたの?」

 突然姿を見せた由卯に問いかける晴美。

「そりゃ遊びに来たに決まってるじゃん」

 教室の出入り口を指差しながら由卯は言った。

 他の生徒もそうだが、昨日からして千智が晴美の前にやってきたほどだ。何かしらの理由さえあれば他のクラスの人間が居ても不思議ではないだろう。

「気分はどうかなって思ったんだけど、聞くまでもなさそうだね」

「あはは……」

 苦笑いする晴美。これでも今の晴美にとっては精一杯の笑顔だ。

「まー、これで少しはハミちゃんの元気出るかなって思ってさ」

 そう言って、由卯は隠し持っていた電子ペーパーを晴美に見せる。もう見慣れた入部届だ。

 わざわざ見せるだけあって、ちゃんと保護者の了承が成されているモノだ。

「……あ、それ」

「そ、にゅーぶとどけ。そのまま出してもよかったんだけど……」

 届を晴美に見せつつ、由卯は教室を見渡した。だが、お目当てのモノが見つからなかったのか、また晴美の方へと顔を戻した。

「音研の顧問のせんせってハミちゃんとこのせんせでしょ?」

 電子ペーパーに小さく――一応拡大されて表示されている、松木の名前を指す由卯。

「……うん、そうだけど」

 先生の名前なんて自分の時には表示されていたっけ? と思いつつも、一応晴美は返事を返した。多分、部の名前ばかり見てて見落としていたんだろうな、と納得する事にした。

「だからせんせが居たらそのついでにって思ったんだけど……やっぱいないみたいだね」

 まあ普通、先生……教師は職員室で仕事や授業の用意をしていたりするものだろう。

 それは由卯もわかっていたからこそ、届を出すのを『ついでに』と言ったのだ。

「ま、わざわざ直接出す必要もないんだけど……っと」

 口を動かしながら由卯はペーパーを操作し、入部の届けの手続きを始めた。

 手続きといっても、既に保護者の印がある以上はほん少し弄ってデータを提出するだけだ。

「……はい、これで完了。ボクもハミちゃんと同じ部員だよ」

 一瞬のうちに届けが終わり、ペーパーにも受理されたとの表示がされていた。

「ほんとごめんね由卯ちゃん」

「もうハミちゃんったら……」

 後ろめたそうに言う晴美を本当にしょうがないと思う由卯。

 晴美がこういう性格だからこそ放っておけないとも思うのだ。

「……ほんと、ありがとう」

 由卯のそんな表情を見て、晴美は聞こえないくらいの小さな声で言った。

 自分のことを思ってくれる気持ちへの本当に小さな礼の言葉だ。

 その時、丁度そろそろ授業開始を知らせるチャイムが鳴った。

「……っと、もうそんな時間」

 スピーカーから流れるメロディに反応し、由卯は自分の教室へ戻る準備をした。と言っても、由卯が持ち込んだのは入部届ぐらいだ。

「そんじゃハミちゃん、またね」

 由卯はそう言って、それぞれの席に戻る生徒たちの中を舞うように抜け、一組の教室から出て行った。まるで古い時代のディスコの中を抜けていくダンサーのようだった。

「うん、また」

 とっくに由卯が行った後ではあるが、晴美は一応の言葉を呟いた。

 チャイムが鳴る中での晴美の気分は、未だに不安があるものの、ちょっと前まで違って少しだけ上向きだった。


 それから、僅かな時間の間に千智や由卯が教室に来たりするような事はなく、ごく普通に午前中の授業も過ぎ、給食を食べ終えて昼休みに入った。

 今までの時間に千智が来なかったとはいえ、また教室に居ると千智がやってきそうな気がしたので、晴美は由卯と共に渡り廊下へと来ていた。

 場所はどこでもよかった。とりあえず教室を離れておきたかったからだ。

「……ねえ由卯ちゃん、ちょっと聞きたい事あるんだけど」

 二人で何気ない話を交わしていたところで、ふと晴美は由卯に問いかけた。

 前日から少し気になっていた事を今のうちに聞いておこうと思ったからだ。

「ん、なーに?」

「琴坂さんについてなんだけど」

 晴美のその言葉を聞いた途端、由卯の顔が苦々しくなる。

「あー……そりゃ気になるよね」

 あの時の晴美の家での二人の……というより、由卯の態度から微妙な距離感があるのは晴美も感じていた。

「話し辛いってのはわかるんだけど……教えてくれないかな」

 晴美はそれを承知の上で由卯に訊いている。

 もしかしたら答えてくれないかもしれないが、その時はその時だ。

「うーん、教えるって言ってもなんて説明すればいいか……」

 顎に手を当て考え込む由卯。そして、少し間を空けてから顔を上げ、口を開いた。

「一言で言うと……変人だね」

 それは聞かずとも晴美にもわかっていた。というか、身にしみていた。

 とりあえず由卯も同じ様な思いだった事に晴美は少し安心した。

「小学校の頃はああでもなかった……わけでもないけど、やっぱ変だったな……」

「あ、小学校からなんだ」

「うん」

 千智を『チサ』と呼ぶくらいなのだから由卯との仲はそれくらいあって道理ではあるだろう。

「高学年の最初くらいまではまあトモダチって感じだったんだけど、ある日突然音楽に懲りだしてあんな感じになって……色々構ってるうちに、って感じかな……」

 由卯が言うには、ラノベの短編が一本書けるくらいには実際にはとんでもない事が小学校卒業するまで続いたという。晴美にはその例え自体はよくわからなかったが、由卯の態度からしてあまり想像しない方がよさそうな事だった。

「それが中学入って、学校変わったからか悪化したというかなんというか……」

 頭を抱える由卯。

「だってあの子、そこらで誰かに目付けたら、すぐ『貴方、YMOって知ってる?』って聞いてんだよ?」

「えっ……」

 千智の真似をした由卯の言葉に驚いた。

 その真似が似ていたからというわけじゃない、『YMO』という単語にだ。

「そして知ってる人を見つけたら根掘り葉掘り聞いて、相手はグロッキーってわけ」

 見せられる方はたまったものじゃないよ、と付け足して由卯は肩をすくめた。

 やはり千智は晴美とどこか通じるものがあるようだ。もっとも、晴美の場合はそこまでやる積極性は無いのだが、一歩間違えれば千智と同じようになってもおかしくななかった。

 晴美にはその千智からの質問は無かったわけだが、疲労が溜まるほどに付き纏われたのは確かだ。

 千智が我を忘れる『YMO』が関わるらしい『音楽魔法』。それが晴美と千智の接点であり、色々な意味で二人を狂わせた原因であるわけだ。

「……で、昨日のハミちゃんちでの事だもの」

「ああ、うん……」

 由卯の一言で晴美は昨日の事を思い出し、互いに妙な表情になった。

 千智は自分を似ている。由卯から千智の事を聞き、よりその思いが強くはなったが、アレと自分が似ていると思うと素直に受け入れるには厳しい事だった。

 それから場の空気も妙な雰囲気になり、どちらかが言うわけでもなく教室へと戻り、二人の昼休みの時間は終わった。

 やはり千智の事は聞かない方がよかったかなとも晴美は思ったが、既に後の祭りだった。


 やがて放課後になり、部活動のために晴美は由卯と一緒にコンピューター室へと向かった。

 由卯が言うには、授業が終わった途端に千智は姿を消していたと言う。ついでに言えば昼休みの時もそうだったらしい。だからとっくにコンピューター室に居ると思うから、行くなら念の為一緒に行こう、と言ってきた。

 特に断る理由も無いので、由卯の申し出通り一緒に部活へと向かった。

 どちらにせよ、三人とも同じ部員である以上、どんな行き方をしようと集まるのだが。

 二人はお喋りをしつつ校舎内を歩いて、四階にあるコンピューター室へとたどり着いた。

 扉を開け、二人が教室の中に入り、奥を見ると、そこには勝手知ったると言わんばかりに堂々とした姿で椅子に座っている千智の姿があった。

「遅かったわね二人とも」

「……大昔のRPGのキャラみたいな移動してるチサには言われたくないよ」

 千智の言葉にぼそりと言い返す由卯。言った本人にもよくわからない皮肉だ。

「改めてこんにちは、鈴野さん」

「あ、どうも……」

 挨拶をされ、思わず返事をする晴美。千智のその言葉は礼儀正しいのだが、やはりそこからかもし出す空気がどうにも苦手だった。しかし、千智の事を聞き、同じ趣味と嗜好を持っているらしい事を知った今となっては昨日よりはわだかまりは薄れていた。

「それに貴方もね、ゆ……鼓さん」

「ハミちゃんの前だからって格好つけて言い直さなくていい」

 またしても言い合う二人。

 晴美の千智への思いが少し変わったからか、昨日はツンケンしているように思えた二人の仲だったが、今はそこまでは感じていなかった。

「そう? でもまさか由卯、貴方まで入部するなんてね」

「ボクがどこの部に入ろうと勝手だよ」

「ま、まあまあ、二人とも……」

 止めないとずっと続きそうな二人の争いを止めようと間に入る晴美。

 別に争いと言うほどではなかったのだが、ひとまず晴美の気持ちが通じたのか、二人の言葉が止まった。

「……ほんと、こんなつもりじゃなかったんだけど」

 由卯の方をちらりと見て小さくでぼやく千智。

 その由卯の方はと言うと、妙な言動ばかり続ける千智をジト目で見ているのみだ。

 やはり千智は微妙な空気を作り出すのがうまいというか、変と言われるのも道理なようだ。

「やー、遅れてすまん」

 ふと、そんな声と共に教室の後ろの扉が開き、そこから別の風が新しい空気を呼び込んだ。

 音研の顧問である松木だ。

「三人とも……揃ってるな」

 晴美達の姿を見て、確認するように松木は言った。

「はい、先生」

 その松木の言葉に答える晴美。

「えっと、鈴野はこの二人の事は……」

 晴美の家であった事等を知らない松木にとっては、千智と由卯の二人は昨日の今日で入部してきた部員でしかない。だから三人の関係も知っているはずは無い。

「あ、その」

「大丈夫です。もう自己紹介は済んでいますし、鈴野さんから全部聞いています」

 口ごもる晴美を遮るように、千智はハキハキと松木に向かって述べた。

 確かに言っている事に間違いは無いが、要点だけ抜き出した大筋であり、実際の出来事はもっと複雑だった事は晴美自身が一番よく知っていた。

「……ボクの方も二人の事はよく知ってますし、部についても教えてもらいました」

 千智に対抗するように由卯も言葉を続けた。由卯の言う事にも間違いは無いが、その意味合いについても三人がよく知っている事だ。

「んー、じゃあせんせの事だけ紹介すればいいみたいだな」

 コホンと咳払いをし、松木は改めて三人に向かい、口を開いた。

「先生がこの音楽魔法研究コンピューター部、略して音研の顧問の松木だ」

 自己紹介をする松木の姿は一見いかにもな先生であり、大人という感じだった。

 だがその雰囲気もすぐに崩れた。

「で、まあ、この部は皆が知ってるであろう通りの部で……」

 即座に松木はのらりくらりとした雰囲気になった。

 どちらも松木の持つ顔であり、そのどちらが仮面であるかは晴美にもまだわかっていない。

「後々になってコンピュータ……PCについての操作とかもやるつもりだが……」

 松木は頭をかきながら周りを見渡した。小さな博物館と見紛うばかりの雑多なPCの山は見ている分には良くても、部活動という教育の一環となれば問題の方が多すぎる状態だ。なんでこんな部屋が学校にあるのかは結局誰もわかってはいない。

「一応まだどこも仮入部期間だしなあ……」

 ブツブツと言いつつ松木はチラチラと視線を泳がす。

「そうだなぁ……」

 何かを思いついたのか、松木の目の動きが止まる。そして三人に向かって言った。

「……よし、まず入部テストでもしようか」

「えっ?」

「テストぉ?」

 松木の突然の発言に驚く晴美と由卯。

 千智の方は眉が少しは動いたかもしれないが、その表情だけは変わらない。

「入部して突然抜き打ちですかぁ? せんせひどいですよ」

 文句を言う由卯。いきなりそんな事言われれば当然かもしれない。

「それにボク、カバン置いてきちゃったからペン持ってませんし……」

「冗談だ。冗談」

 軽く言ったつもりだったんだがと言い足したが、ぼんやりとした松木の喋りではどこまでが本気かは流石にわかり辛かった。

「ま、テストと言っても筆記テストとかそういうのじゃないさ」

 そんな事を言いながら何かの紙の束を松木はひらつかせた。

「せっかく人数集まったんだから、合わせてみる方がいいんじゃないかなって」

 そして松木は手に持っていた紙の束を分け、三人に配った。

「合わせる……?」

「って、これは……」

 松木から晴美達に渡されたその紙は、電子ペーパーではなく、プリントアウトしたと思わしき紙であり、内容は五本線の川でひしめくおたまじゃくしが描かれたもの……。

「バンドスコア……?」

 そう、それはいわゆるスコア――楽譜だった。上部の方には晴美や千智には馴染みのある……いや、反応せざるを得ない名前が書かれていた。

「……『TONG POO』」

 晴美と千智の声が重なった。

 『YMO』の曲、『TONG POO』。千智が見た限りでは、簡略的にアレンジ――編曲されているが、それは確かにTONG POOの譜面だった。

「先生、これって……」

 突然渡された楽譜に晴美は困惑した。それこそ色々な意味でだ。

「一週間だ」

「へ?」

「それをあげるから一週間後にこの教室で成果を見せて欲しい」

 晴美に対する松木の返答は、さらに晴美を驚かせるものだった。

「えっ……これ、一週間……?」

 晴美は松木の断片的な言葉への理解が追いつかなかった。

「……ちょっと唐突じゃないですか、せんせ。今のゲームでももう少し説明しますよ」

 突っ込む由卯。たとえゲームだとしても、ジャンルにもよるだろうが酷い唐突な話だ。

「まあ色々と無茶なのは承知の上だよ」

 一呼吸を空けて松木は言った。

「その楽譜は渡す、それでどうするかは君たち次第だ」

 由卯の持っている楽譜を指差して松木は言った。

「唐突な上に無茶振りだなあ……」

「世の中ってのはそんなもんさ」

 松木の投げっぱなしな態度に由卯は率直に突っ込むが、さらりと流された。

「言い訳させてもらうなら、音楽魔法で大切なのはイメージだからね。たとえ無茶な振りでその結果が稚拙でも先生は君達の今が見たいんだよ」

「それで……一週間ですか」

 譜面を見ながら松木に問いかける晴美。音楽の授業を受けている以上、まったく読めないというわけではないが、晴美にはとても難しそうに見えた。

「今すぐやれってほど無茶でもないだろう?」

「充分に無茶です」

「いやははは……」

 また突っ込みを入れる由卯。松木は笑ってごまかそうとするだけだ。

「……これ、随分とアレンジしてありますね」

 千智はスコアを見せるよう前に突き出しつつ松木に尋ねた。

「ああ、そのままやると難しいだろうと思ってね」

「ふぅん……。そういうことですか」

「そう、そういうこと」

 何か松木の意図があると汲み取り、千智はそう納得する。

 ただ難しいから簡単にした以外に、松木が何かを考えているかはわからないが。

「……これを、わたしが」

「やれるかい、鈴野?」

 指先で音符をなぞりながら眉をひそめる晴美に向かい、松木は暗に煽るかのように訊いた。

「わかりません……」

 一度そうは言ったものの、晴美は顔を上げ、続けて言った。

「……でも、やります。やってみます」

 うまく松木に乗せられた感じはするが、自分がYMOを……音楽魔法を知るきっかけになった曲で『一週間で成果を見せろ』と言われたのも何かしらの運命なのだろう。晴美はそう思った。

「うん、その意気だ」

 やる気を見せた晴美を見て、松木は口元を緩ませた。

「……はい」

 晴美達が楽譜を渡された以上やる事は一つしかない。演奏だ。

 それも一人ではなく、三人になって渡された三人組グループの曲。

 松木が意図してもせずとも、その先には何かがあるはずだ。

 晴美自身うまく言葉で表せないが、一度見つけた階段は登っていくしかないだろう。

 あの日、階段を登り、一階一階目的地を探したように。

 三人とも互い互いに思う所はあるが、今は階段を共に登る。登っていくだけだ。

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