第10話 彼女と私
晩ごはんはバゲットと野菜ポタージュ、ほうれん草とベーコンのキッシュとヨーグルトだ。
私は元々日本人の人間だからお米のほうが好きなのだけど、エミリアはパンのほうが好きらしい。結果、米食は数年に一度くらいにしようということにしている。私の好みを優先させるより、彼女に好きなものを食べてもらいたいからだ。おかげで、洋食を作る腕もだいぶ上がった。
「エミリア! ご飯よ。起きてる?」
朝に薬を飲んで寝込んでしまった彼女が夜どうしているか、それは日によって違う。そのまま寝込んでいるときもあれば、持ち直して作業をしているときもあるし、起きていてもボーッとしているだけのときもある。
ノックして部屋へ入り電気をつけると、なんとも難しい顔をした彼女がベッドから上体を起こしていた。起きてはいたが、期限は底まで良くないのはすぐにわかった。
「ご飯持ってきたわ。食べられそうなら食べてね。薬が必要ならまた持ってくるし……」
言葉が途切れた。彼女が静かに泣いていたからだ。
ここまでになることは珍しい。
私はご飯をサイドテーブルに置いてからベッドに腰かけ、彼女の髪に触れた。
「どうしたの? なにがつらいの?」
問いかけに、彼女は反応しない。
こういうとき魔法が役に立つのかもしれないが、感情を感じとる魔法は上級魔女でないと扱えない。それでも感じとれるものはあるのだが、私はあえて魔法を使わなかった。
彼女の気持ちを、彼女の言葉で聞きたかったからだ。
それは元人間だった私の独りよがりな考えなのかもしれない。つらそうにしているなら早急に打開策を見つけるべきだ。彼女が大切なら、なおさら。
けれどやっぱり、彼女の口から、彼女の意思で伝えてほしかった。
数分の間があった。
その間も私は泣き続ける彼女の傍で髪を梳いてやった。長い黒髪が指に絡まることなくさらさらと落ちていく。それがまるで砂時計のようだなと思った。
「あの子に…………」
ようやく彼女が口を開いたのは、キッシュが冷めきってしまった後だった。
「あの子に……君がとられてしまうと思って……」
「ん?」
あの子というのは玖美ちゃんだ。玖美ちゃんに私が取られるとはどういうことだろう。
「ちょっとよくわからないんだけど……」
「あの子は君のことが好きだから……」
「錯覚よ」
「『あなたのこと、もっともっと知りたいんです』」
それは玖美ちゃんが私に言った言葉だ。エミリアほどの魔女になれば、遠くの会話を聞くことなど造作もないことなのだ。
「あの子は狂おしいほど君を欲している。だからそれにいつか君が応えてしまうのではないかと心配で……」
私は思わず声を上げて笑ってしまった。それも大笑い。
彼女はなんて勘違いをしているのだろう。
「玖美ちゃんが私を欲しているというのがすでに間違いね。玖美ちゃんは人間よ。人間というのは好奇心が強いものなの。だから私に興味を示した。それだけよ」
「だが……」
「それに……」
彼女の頬に指を滑らせながら、微笑んでやる。
「私のすべてはあなた。あなたなのよ、エミリア」
ためらった気配の後、指に頬を押し付ける感触がした。
「絶対だぞ……」
「ええ。私はあなたを見捨てたりしないわ」
その言葉を聞いていたのかいないのか、彼女はことんと眠りについてしまった。
こんなことであんな難しい顔をしていたのかと思うと、少し可哀想になってくる。
今の表情が安らかなのが救いだ。
目元の涙を指で拭ってやりながら、そっと抱きしめた。
起きたらいつも通りの彼女になっているだろうか。
そうであることを願っていた。
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