第8話 人間

『あなた、どうして歳を取らないのですか』

 そんな問いを笑い飛ばして店から追い出した玖美ちゃんは、いつもと変わらず店へやってきた。

「今日はチョコチップクッキーよ。大きめにチョコを切ったから、あなたも好きなんじゃない?」

 ことんとクッキーがのった皿をテーブルに置いてやる。

 いつもなら、子ども扱いされて頬を膨らますだろうに、

今日はそんなことをせず私を眺めていた。こんなに大人しい玖美ちゃんは珍しい。

「玖美ちゃん?」

「私、どうしても気になることがあるんです」

 なんかデジャヴ。言い方が違うだけで、玖美ちゃんが次に発する言葉は予想がついてしまった。

「あなたはなぜ、歳をとらないのですか?」

 とうとう笑い飛ばしてもうやむやにはさせてくれなくなったか。この子はバカ正直だから、気になったらとことん突き詰めなければ気が済まない。それは玖美ちゃんの良いところでもあったし、私にとっては都合の悪いことでもあった。

 だって、私は玖美ちゃんを私と同じにするつもりなんてないのだから。

「私、もっともっと知りたいんです。あなたのことを」

 バカ正直に、純粋に、真っ直ぐに、私を見つめてくる瞳。

 魔女でない玖美ちゃんが私の胸の内を知ることはないだろう。

 彼女は紛れもない、人間なのだから。


 初めて玖美ちゃんがこの店にやってきたのは、まだ保育園の頃だった。

 私はそのとき庭でガーデニングをしていて、ちょうどマリーゴールドを植えていた。あまり外に出ないエミリアも偶然いるときだった。

 最初に気づいたのはエミリアだった。

「珍しいお客さんだね」

 そこで初めて顔を上げると、庭の入り口で興味深そうにこちらを見ている子どもがいた。

「珍しいって?」

 私が尋ねると、フルーツパフェを食べていた彼女はスプーンを宙でくるくると回した。

「強い悩みがない人間が訪れるのがだよ。大体の客は悩みがあって店の魔力に引き寄せられるが、彼女にはそれがない。至極平凡な子どもだ」

 エミリアほどの魔女になれば、瞳を見ずともその人の現状や感情がわかってしまう。それは便利なことでもあるし、悪いことでもあると彼女は常々言っている。

「こんにちは。そんなところでなにをしているの?」

 声をかけられた玖美ちゃんは、物怖じしない動作でてくてくと庭に入ってきた。

 そして私を見上げ、すぅと息を浅く吸った。

「きれいだったから」

 すべての言葉がひらがなで発音されているようであどけない。

 庭先には今植えたマリーゴールドの他にも様々な花が植えられている。

 どうやらそれにつられて庭に興味を持ったようだった。

「好きなの?」

 花を指して尋ねると、玖美ちゃんは視線をそらさずこくりと頷いた。

「あなた、名前は?」

「くみ」

「そう、くみちゃんっていうの」

「おい」

 エミリアが私を声で制する。人間とかかわりをもつのは最小限にしなければならないと、彼女の視線が言っている。

 でも相手は子どもだ。害をなすようには見えない。

 そんなことをいったらエミリアだって、昔ここに通うようになった私に文句なんて言わなかった。

「相手は子どもよ。何をそんなに警戒しているうの?」

「子どもでも人間だ。平凡な、な。そんなヤツと繋がりをもって、もし居ついたらどうなる。将来私たちの平穏を壊してしまうかもしれないだろ」

「そんなことばかり言ってたら、商売にならないわ。いいじゃない。平凡な人間を相手にしたって。変に思ったら距離を置くわ、きっと」

「君は人間だったくせに、人間というものをまるでわかっていない。いつか後悔する日が来る」


 まぎれもない人間の玖美ちゃん。

 その玖美ちゃんに歳をとらないことを追及されて、答えるつもりもなかったが困ってしまう。

 ――いつか後悔する日が来る。

 後悔とまではいかないけど、これは玖美ちゃんを侮っていた私の不手際だ。

「あなたに話せる私のことは少ないわ」

 電気ケトルに水を入れ、スイッチを押す。この重苦しい間に、コポコポと湯の沸く音は不釣り合いに明るかった。

「あなたに話す気がないからよ」

 沈黙。玖美ちゃんの視線をすり抜けてハーブティーのリーフをとる。今日はカモミールにしよう。自家製だ。

「あの人がいるから、ですか?」

 手が止まる。カチリとという電気ケトルの湯が沸いたことを知らせる音も鳴り、店の中は静寂になった。

 エミリアは私のすべて。それだけだ。

「あなたのこと、もっともっと知りたいんです……」

 気づくと玖美ちゃんが泣いていた。

 でもなぜ泣いているのかわからなくて。

 仕方がないから頭を撫でてやったら、余計に泣かせてしまった。

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