第7話 ホウレンソウ

 唐突に出会い、唐突に名付けた藍咲叶泰とグレイシアの契約は、無事に成立した。

 これで、昨日失った右目を取り戻すことが出来る。昨日の今日であるので実感が湧かないが、治るに越したことはないのだ。


「さて、もう憑依できるのか?」

『はい。いつでもいけます』

「んじゃさっそく。よろしく」


 途端、グレイシアは白い粒子に包まれて俺の右眼に吸い込まれていった。さながらそれは、太陽の光を浴びて輝く雪だった。

 雪。積もれば銀世界と言われる程、我々日本人の感受性を揺さぶる白い粒。いつも通りの日常に、小さな感動を運ぶ小さな粒。


 いつだったか、幼馴染の家族と一緒に雪祭りなるものに赴いた時の記憶が脳をよぎった。あのツンデレ幼馴染は元気にしてるだろうか。丁度今頃、学校で憂鬱な授業を受けているのだろうか。

 俺は今、殺し合いをしています。


「これが霊子……キレイだな……」


 白く輝く霊子は雪のように視界を舞う。その幻想的な光景は、思わず見惚れてしまうほどであった。

 粒子が吸い込まれていった右目が熱くなる。痛みが引いていき、代わりに変な違和感を覚えた。しかし、右側の欠けた視界が元に戻ることはなかった。


「おい、治ってないぞ?」

『あー、あーテステス。マスター、聞こえますかー?』

「聞こえてる。会話もできるのか?」

『はい。右目から神経を伝って脳に直接話しかけている感じです』

「なるほど、そりゃ便利だ」


 グレイシアは俺の脳から情報を得ることができ、左目からの視覚情報を含めて五感の情報も俺と遜色無く入手できるらしい。これなら、意思伝達も容易だ。


『右目に関してですが、そんなに直ぐには治りませんよ。私の霊子が定着するまで時間がかかります』

「時間かかるのか……それで、その霊子が定着すれば治るんだな?」

『はい。私が保証します』


 従魂契約の内容が右目の治療である限り、嘘ではないのだろう。この契約はどちらかが破れば対消滅する。

 ということは、霊子が定着するまでグレイシアと常に一緒にいるのか。唯一無二の相棒ができたみたいで心強いな……いや、待てよ?


「ま、まさかとは思うけど……これってぇ、そのぉ……性感、とかも……入手できるの?」

『……まあ、できますけども。一応その、マスターが望むのであれば……自家発電時は切っておきますね』

「おお、ありがてぇ。お前はできる相棒だ。是非そうしてくれ」


 そう、そうなのだ。デリケートな部分にどれだけ気遣えるかどうかで、人としての評価は変わる。

 今の俺の中でのグレイシアの評価はアナゴ登りだ——え? なんか違う? ……まあ、いいじゃない。大して変わらんよ。


「さて、そろそろ拠点に帰らないとな」

『そういえば、まだこのデスゲームは終わってなかったんでしたねー』

「呑気だなー。こっちはこれからの人生が懸かってるってのに」


 色々な意味で、懸かっているのだ。命も未来も、全て。

 だからこそ、ここから出なければならない。帰るためにこの島から出なければならない。たとえ、他人を殺してでも。


「食料置いてきちゃったからなあ」


 しかし、現状は殺生以前の問題であった。食料さえあれば、ここで終わるまでずっと隠れられたのに。


「さて、と。出口ってどっちだ?」


 俺はこの地下道を正規の入り口からテクテク歩いて来たわけではないので、出口がわからない。

 こんな時こそ、相棒の出番だろう——


『え、えーっと……あれ?』

「うん、ごめんな。聞く相手を間違えたわ」


 グレイシアはここの祠に封印されていたようだし、知らないのも無理はないだろう。

 道は左右の二つだけ。どちらかが入り口で、どちらかが出口だ。結局はどちらとも外には繋がっているはずである。

 まあ、行ってみれば案外簡単に出られるでしょ。と、俺は勘で右の道を選び、ずぶ濡れた制服を乾かしながら歩き始めた。


 ♢♢♢


 簡単に出られる——そう思っていた時期が、俺にもありました。

 入り組んだ地下道を己の勘だけを頼りに進んだ結果、完全に迷い、結局迷路の攻略法でお馴染みの左側の壁を伝って行く作戦を決行した。

 町内会主催のハーフマラソン大会に参加した俺の母親の応援に行ったとき並みの疲労が両足、特に脹脛ふくらはぎを襲う。

 走者より先回りして応援しなければならず、あのときは必死こいて歩いたものだ。

 何せ、学生時代陸上部の長距離だったらしい母が一番輝く時だったからな。結果は4位。入賞はできなかったけど、母自身はとても満足そうだった。


 閑話休題。


 流石に休憩を挟みたかったので、脇に逸れて腰を下ろし、粗い岩壁に背を預けた。洞窟だからか岩が湿っており、せっかく乾いたばかりの制服がまた濡れてしまった。


「いい加減着替えたいな……服とか落ちてたらいいんだけど」


 制服は1日目からずっと着っぱなしなので、汗臭く、泥臭く、血生臭い。

 学ランは夜しか着ないのでマシだが、白いシャツは至る所が土色に変色し、ところどころ血で赤く染まっている。ズボンは山の中を歩き続けたために、裾のあたりが破れている。靴ももうボロボロだ。滑り止めが磨り減って意味をなさないレベルになっている。

 武器や食料に加えて、着替えの服も探さなくてはならなそうだ。

 グレイシアの服は霊子で作れるらしく、何枚も要らないから羨ましい。


 そういえばさっきから静かだなアイツ。


「なあ、グレイシア」

『——なるほど、これが……どうりで……』

「グレイシアさーん?」

『はっ? は、はいどうしました?』

「いや、反応がなかったから……どしたの?」

『あ、ああ。何でもありませんよ』


 嘘だ。声が動揺しているぞ。

 普通の人間ほど分かりやすくはないが、俺にはわかる。どうしてかって? そりゃあ、人の粗を探すのが好きだからさ。慣れというものだ。


『最低ですね……』

「うっ……でも、普段は追求したりはしないし、それを利用するのも俺がピンチになった時だけだし」


 情報は最大の弱点であり武器である。予め情報を手にしていれば、自分を優位に立たせることができるのだ。

 戦争だって、最初から最後まで情報戦である。敵の配置、目的、兵力や兵糧まで。それらを知っているからこそ、作戦を練れる。

 だから、あの手この手で敵の通信を傍受しようと必死こいて機械と睨めっこするのである。


「俺はお前と繋がってるだろ? だからこそ、情報の共有は大事だと思うんだよ。細かな違和感でも報告する。報告、連絡、相談。ホウレンソウは社会の基本だってカッチャマが言ってた」

『確かにそうですが……わかりました、報告します』


 わかってくれたようだ。万が一、俺の体に異常があったりしたら大問題だからな。是非とも、些細なことでも報告してもらいたいところだ。

 そしてグレイシアは一拍間を置いて、こう告げた。


『マスターの体に異常が発見されました』

「大問題じゃねえか」


 やはりホウレンソウは大事なことだなと、再認識した瞬間であった。


「して、異常とは? まさか俺、死んじゃう病気だったり……?」

『いえ、直接死に関わるようなものではありません。寧ろ、今この状況においては幸運とさえ言えます』


 なんだ、死に至る病じゃないのか。よかった、本当によかった。

 最近、テレビで致死率が高い病気のことを放送していたので少々敏感になっていたようだ。確か、エボラ出血熱とか言ったっけ。


「幸運? 今洞窟で迷っているこの状況で?」

『厳密に言えば、このデスゲームにおいてです。マスターに特殊能力が覚醒したようです』

「はい?」


 特殊能力。その単語が余りにもファンタジーで、理解し難いもので、恥ずかしいことにワクワクしてしまって。俺の脳はショートした。


 ——わーい、学園異能バトルだー!


 そんなI.Qをドブに捨てたようなマヌケな歓声が、寒いとさえ言える空気の洞窟内に響き渡った。

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