第6話 契約
ようやく見つけた。
一体どれくらいの月日が経ったのだろう。私が死んでから、この日まで。もう、1000年は経ったのだろうか。
それに比べれば、たった数年の出来事なんて些細なことだろうが、私にとってこの数年間は、とても無意味で無益で、寧ろ私にとって不利益しかない時間だった。
だが、もうすぐ私は自由になる。そう、もうすぐだ。
だから最後に、もう少しだけ我慢しよう。準備はできている。どちらに転んでも、解放される道だ。
私は、足元で転がる人間を見下ろした。正確には岸に打ち上げられている人間。身体中が傷だらけで、右目に眼帯をつけた少年。
今はまだ、こんなだけど——この少年がきっと。私を解放してくれるだろう。
♢♢♢
体が滑らかな物に包まれている感覚。抱擁的なそのクッションは、ゆりかごのように揺らめきながら俺をあやす。
体に力が入らない。朧げな意識の中、あちこちで悲鳴を上げている体を冷んやりとしたクッションに委ねる。
「——ハッ!?」
俺は反射的に起き上がった。あれだ、お風呂で寝てしまったときに反射的に起きてしまうあれ。
クッションだと思っていたのは水だった。舐めた感じ海水ではなかったので、どこからともなく湧き出た水が川となってゆったりと流れている場所なのだろう。水深は川にしては深く、崩れた天井から僅かに射し込む日光を反射して幻想的に輝いている。
頭部以外はほぼ水に浸かっており、俺の体を流水が洗い流していた。
幸い岸に打ち上げられていたようで溺れる心配は無かったが、人間の本能は用心深いのだろう。
俺は崩落に巻き込まれて、この川に着水したのだろう。そして、流れるままにこの岸に打ち上げられたと。ふむ、要するにこの川が俺を助けてくれたということか。ありがたや、ありがたや。
「遺跡の地下に、こんな場所があったとはな……」
荒く削られた岩壁に照明がついた通路があり、明らかに人工的に作られた洞窟であることが伺える。岩壁が窪んだ場所には、厳かな雰囲気を醸し出す祠がある。
あの遺跡と関係がないわけがない。きっと、昔の人が作った地下通路なのだ。
男心をくすぐられる。以前もこの好奇心に殺されかけたのに、性懲りも無い。
とにかくここから動こうと腰を上げた瞬間、洞窟に鈴のような声が明瞭に響いた。
『ようやく、会えましたね』
いつの間にか、雪のように白く、儚く、綺麗な少女が俺の隣に立っていた。
俺はこの少女を知っている。忘れるはずがない。3日前、下校中に突然現れて消えた少女。現代の日本において、容姿が周りのそれとは全く異なる少女。それは、俺の脳内に印象深く焼き付いている。
「あの時の……」
『そうです。あの時の美少女です。お久しぶりですね』
目の前にいる白い少女は、ふっと微笑むと、それはもう嬉しそうに言った。
お久しぶりという程期間が空いたわけでもなく、そもそもそんな親しい間柄ではないだろうというツッコミが喉まで出かかったが、それを言うのは野暮だろう。俺はグッと飲み込み、彼女の流れに合わせることにした。
「お久しぶり……それで、どうしてこんなところに? そもそも誰?」
『ああ、そういえば私が何者か言っていませんでした。簡単に言いますと私、幽霊です』
「……は?」
え、待ってこの子今なんて言った——幽霊?
「えええええええっゲホッゲホッ!?」
息が詰まり、激しく咳こむ。少量の血が飛び散って岩盤に赤いシミを作った。どうやら衝撃で口内を切っており、血が喉に溜まっていたようだ。
「ゴホッ! ……え、幽霊ってマジ? 俺ってば今オバケ見てんの?」
冗談であって欲しいというわずかな希望を、この少女は打ち砕く。その、可愛らしい口で。
『はい。本来なら人間には捕まるなどありえないのですが、日本の霊能者はなかなかの実力でして……』
なんでも現世に遊びに来たところ、霊能者にお札拘束を受けて捕まり、この地下遺跡に封印されたようだ。
『それで逃げようにも霊力が底を尽きかけていたので、こんな感じで意識だけを飛ばしていたのです』
本体は先程見つけたあの祠に封印されているらしい。よく見ると、“封”の文字が描かれたお札が一枚貼ってある。
『そのあとは残りの霊力を振り絞って、本当に少しだけ運命をいじって貴方をここに連れてきて、今に至るわけです』
俺は唖然としてそのファンタジーな話を聞いていたのだが、聞き捨てならない台詞が聞こえ、ようやく現実に戻ってきた。
「運命を弄った?」
『間接的にですけど、少し。本当に少しだけ』
本来この手の話は戯言として処理してしまうのだが、実際に半透明で消えかかっている自称幽霊を目の前にして、今更嘘乙とは言えなかった。
もし彼女の話が本当であるのなら。
「俺がこんな目にあってるのは全部お前のせいだってことだな?」
幽霊に目を向けると、フッと視線を逸らしていた。
俺の顔が、ニッコリと、それはもうニッコリとした表情になったことを自覚する。
「一発殴らせろやあああっ!」
『いやあああ、ごめんなさいぃ!』
報復すべし、そうすべし。右目を奪った代償はでかいぞコノヤロウ。
しかしいくら拳を振ろうとも、この少女を殴ることはできなかった。当たっている感じがしない。透けているのだ。
「なっ——ッ!」
『い、一応今は意識だけの存在ですので……』
そういえばそんなことを言っていた。チッ、報復は無理そうである。
『それに、さっき命を救ったのでチャラですチャラ!』
「え、さっき?」
『そうです! さっきの落下で川に着水させたのは私です!』
なんとこの自称幽霊、俺が助かった奇跡を自分のお陰だと言い張りやがった。
「本当にござるかぁ?」
『ほ、本当でござります』
顔を覗き込んでみると、全力で俺から視線を逸らし、涙目になっているような気がする。
ふむ、確かに今の話を聞いている感じじゃあ運命を弄れるらしいし、不可能ではないか。
「……仕方ない、本当かどうかは別として、それとお詫びを合わせてチャラにしてやる」
優しいね、俺。昔から俺は嫌われたことが無いと自負している。何故なら、誰にでも寛大だからである!
べ、別にコイツに泣き落とされた訳じゃないんだからね!
『わかりました。では、“従魂契約”をしましょう』
「重婚契約?」
『はい、漢字が違いますね。別の意味になってしまいます。私は独り身ですし、今の日本では民法違反でお縄ですよ』
「失礼、未知なる単語に困惑したんだ」
嘘ですごめんなさい。美少女からのプロポーズだと勘違いしてしまいました。
『魂単位で交わす契約です。これを使えば、幽霊だろうがなんだろうが、魂さえあれば契約できるのです!』
なんかすごくそのドヤ顔がムカつく。
その重婚契約、じゃなくて従魂契約が詫びとでも言うのだろうか。
『この契約は、どちらかが破れば両方とも消滅しますので注意してください』
なんて物騒な契約を結ばせようとしてんだ。
『貴方の右眼について私の見立てでは、もうもとどおりにはならないでしょう。ですので、私が貴方の右眼に憑依することによって、視力を回復させましょう!』
「マジ? 治るのこれ?」
『はい。ですから、私にお供させてください。本体じゃないと憑依できないので』
要するにこっちが一度助ければ、失った右目を向こうが勝手に治療してくれるということ。
こちらに利がある契約だ。俺はお札を剥がすだけでいい。悪霊ではないかなどの不安はあるが、まあ受けない手はないだろうな。
「わかった。それでいいよ」
俺は祠に貼ってあったお札を剥がした。
すると、祠から青白い粒子が溢れ出し、俺の目の前で人の形を成していく。現れたのは、さっきの自称幽霊の少女(透けてないバージョン)だった。
非現実的なまでの美貌に、溢れ出す神秘的な雰囲気。確かにこの世のモノではない。
『ふう、ありがとうございます』
「ああ、どういたしまして。で、どうやって従魂するんだ? 宣誓して誓いのキス?」
『キスは要らないです。まだ重婚引きずってるんですか?』
俺は欲望に忠実な男なのである。というか、宣誓は合ってたのか。惜しいな。
『私に名前を付けてください。それでいけます』
「え、名前?」
『はい。私にはもう名前が無いので丁度いいのです』
「ええ……そんな急に……」
俺はネーミングセンス皆無だ。変な名前でも恨むなよ。
雪のように白い肌。そして透き通るような白銀の髪。宝石のような碧眼。
「そうだな……グレイシア、とかどう?」
『グレイシア……いい名前です、大切にしますね!』
完全にイメージからの命名であったが、想像以上に喜んでくれたようだ。
『では——“我が魂、我がマスターに捧げます”』
グレイシアが言い終えたとたん、身体の奥底で、何かと繋がったような感じがした。これが従魂契約か。
「そういえば俺の名前言ってなかったな。俺は藍咲叶泰だ。よろしくな」
『これからよろしくお願いしますね、マスター!』
とても嬉しそうに言う彼女の顔に、思わず見惚れてしまう。そう、やっぱりコイツは美少女なのだ。
(クソッ……厄介な)
『今、失礼なこと考えてませんでしたか?』
「イイエ? ナンデモゴザイマセンヨ」
——女の勘って怖い。
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