第9話「ハサンの決心」

 物陰に隠れていたはずのハサンは、いきなり離れた場所に立っていたその人物が、一瞬にして傍らに出現して自分を抱え込んだのを何が起きたのかわからず混乱していた。

 さきほどまで金髪のお姉さんたちがこの綺麗な顔をした人と怒鳴りあっていたのに、どうして今自分のことを抱え込んで、しかも「殺すぞ」なんて言っているのか。だが、子供ではあっても魔族のことはちゃんと知っていたので、この美しい人が恐ろしい魔族であるということは理解できた。彼は顔を上げてじっとザールをみつめた。その瞳には怖いという気持ちよりも子供らしい好奇心が見て取れた。

「何を見ている」

「あなたは魔族なの?」

「そうだよ。怖いか?」

「……僕を殺すの?」

 ハサンの声には微かな恐怖心が垣間見られたが、それでもどうやら好奇心のほうがずっと強いらしく、取り乱す気配は感じられない。そんなハサンに興味を持ったのか、ザールは聞いた。

「おまえの名はなんと言う?」

「ハサン」

 それを聞いてザールの目が大きく開かれた。

「もしかして、ゴーラのハサンか?」

「そうだよ」

「そうか…」

 すると、彼はハサンから手を離し、背中をトンと押した。

「?」

 ハサンはきょとんとした表情をザールに向ける。

 そんな二人を不思議そうな目でシモラーシャたちは見ていた。だが、シモラーシャは何か裏があるのではないかという気持ちがあるらしく、油断なくザールに目を向け、いつでも動けるように身構えていた。

「いけよ、小僧。おまえには手出ししない」

「え…?」

 ハサンは首を傾げて立ち止まる。

「本当のことを教えてやろう。僕はおまえの父親を食べてしまったんだ」

「!」

 緊張した空気があたり立ち込めた。

 ハサンはびっくりして人食い魔族を見つめ、シモラーシャは怒りの目を向け、サイードは一瞬、悲しそうな表情を見せて目を閉じた。そんな彼らの中で、マリーだけは無表情な顔を保っていた。そんな空気の中、ザールは言った。

「僕は食べた人間の家族は食べないようにしてるんだ。だから、ハサンのことは食べないし、シモラーシャだったか…君のことも食べない」

 ザールはそう言ってシモラーシャに顔を向けた。

 その彼を大きな目で見上げていたハサンがつと手を伸ばし、彼の服の袖を掴んだ。それに気づいてザールがハサンを振り返る。

「…父さんは…本当に死んじゃったの?」

 見上げる目には悲しみとも怒りとも取れない複雑な表情が表れている。冷酷であるはずのザールはその目を憐れみの視線でじっと見つめ、そして言った。

「そうだ。僕はおまえの父親を殺し、そして食べてしまったのだ」

 ハサンは掴んでいた裾から手を離し、顔を伏せた。両手をぐっと握り締め、地面をじっと見つめているようだった。そんな彼にザールは言う。

「僕が憎いか。憎んでもいいよ。そして、気が済むまで僕を剣か何かで刺すがいいよ。そうしても僕は死なないがね。何なら…」

 彼は自分を睨みつけているシモラーシャに目を向けると皮肉めいた口調で言った。

「あそこにいるお姉さんに頼んで僕を始末してもらえばいい」

 それを聞いたハサンは顔を上げた。泣いてはいないようだった。一見何の感情も見えていないようにも見えた。

「彼女は魔法剣士だ。僕を唯一殺せる存在。僕だって本当は死にたくなかった。だから、僕は人間を食べ続けたんだ。出来ればこの僕のままずっと生きていきたい。だが、僕はどうしたって迫害を受けてしまう存在だ。食する人間だけでなく同じ魔族にさえも忌み嫌われる。人間を嬲り殺す存在である魔族が、どうして僕を非難するのか。そんなの変じゃないか。同じことじゃないか。もうたくさんだよ。本当に疲れたよ。僕は死にたい。こんな自分は無くしてしまいたい」

「俺がいるじゃないか!」

 その時、サイードが叫んだ。彼はザールの傍まで駆け寄ってきた。ハサンは駆け寄るサイードとザールを交互に見つめた。弟の傍にやってきたサイードは明らかに面相が変貌していた。そっくりな顔をした男が二人、互いに見詰め合っていたのだ。

「俺がいるじゃないか…」

 サイードが苦痛に満ちた表情で搾り出すようにそう言った。

「兄さん…」

「ラスカル様は、そんなお前を憐れに思って下さり、この包丁と…」

 サイードは懐に差した魔法包丁に目を落としてから続けた。

「包丁と魔法鍋とを作って下さった。二つの神器で料理されたものは何でも食べられるようにして下さったじゃないか」

 そう、大地の神ラスカルは、生きた人間しか食べられぬザールを憐れに思い、特別な包丁と鍋を創り出してサイードに渡したのだった。だが、それはサイードでなければ扱えない神器だった。というか、神器であるから人間には扱えないのである。強力な魔力がなければ扱えないものであるから、必然とそれを扱うのはザールの兄であるサイードしか適任はいないということだったのだ。

「ラスカル様は仰った。たった二人の兄弟であるのだから、未来永劫二人手を取り合って生きていくように、と。色々と俺たちのことを心配して下さってのことだったのだ。それなのにどうしてお前は俺の前からいなくなってしまったのだ」

「僕は……僕は……嫌だったんだ…」

 彼は搾り出すように喋り始めた。


「兄さんには兄さんの生きる道があるはず。弟の面倒をずっと見続けるなんて、そんなことさせられないじゃないか。僕の存在で兄を縛り付けているだなんて、そんなこと僕には耐えられなかった。だって…だって…僕は兄さんのことを……嫌われたくなかった、疎ましいと思われたくなかった…僕は兄さんの幸せだけを願ってた……楽しく料理を作る兄さんを見ているのが好きだったんだ、僕は。独り占めになんてできないよ、僕の存在で兄さんを…。やりたいことだってあるだろうに。ほら、前に話してくれただろう? すべての者に自分の料理を食べさせることが夢だって。自分の作る料理ですべての人を幸せにするのが何よりの夢だって。そう言ってたじゃないか。でも、それも僕が足枷になってたら…それが僕は何よりも苦痛だったんだ」

「馬鹿だよ、ザール」

 サイードは泣き崩れる弟を抱き寄せた。

「たった二人の兄弟じゃないか。どうして遠慮するんだ。お前に食べさせ続けても夢は叶えられる。どうしてそんな馬鹿なことを考えてしまったんだ」

「鍋だよ」

「え?」

「誰だったかな…あの鍋がなくなったのは、兄さんが僕に料理を作るのが嫌になったから、だからその気持ちに呼応して鍋自体がどこかに消えてしまったんだって…」

「誰がそんな馬鹿なことを……」

「だから、僕はもう兄さんとは一緒にいられないと思ったんだ。兄さんに嫌われるくらいなら、いっそ悪行の限りを尽くして、そして…そして…魔法剣士に殺されてしまおうって……」

「そんなことを気にしていたのか。俺はお前のために料理を作り続けることは苦痛でも何でもなかったぞ。それにお前を嫌うことなんて絶対にない。本当にお前は馬鹿だよ」

 呟くようにサイードはそう言うと、自分の弟をぎゅっと抱きしめた。

「兄さん…」

 そんな麗しき兄弟愛を目の当たりにしたシモラーシャたち。だが、少なくともシモラーシャは少し違っていた、不覚にも泣きそうになったようだったが、ぐっと唇を噛んで叫ぶ。

「でも、あんたは罪を犯した!」

 そう叫ぶ彼女に顔を向ける同じ顔をした二人の男。まだ抱き合ったままだった。

「あたしの両親のことはいい。あんたの事情はわかったから。でも、そこにいるハサンの父ちゃんのことはどう落とし前つけるつもりなの?」

「………」

 同じ顔をした二人の男は、傍らに立ちすくむハサンに目を向けた。ハサンはじっと二人の男を見つめたままだった。その顔を見ただけではこの子が何を考えているのか窺い知れなかった。


「父さんは本当に死んじゃったんだね…」

 ハサンはそう呟いた。その声には絶望が感じられた。それはそうだろう。大好きだった父親が理不尽にも殺されてしまったのだ。そうなってしまうことは当たり前のことだ。

 それを見て、ザールの兄サイードは弟を抱く手に力を入れた。彼の目には敵意は感じられない。恐らく彼のことだから、ハサンが弟の死を望んだとしたら自分も一緒に死ぬ覚悟をしているのだろう。もう弟から離れないぞという雰囲気がそこには感じられた。

 そんな二人をじっと見詰め、ハサンは何事か決心したような目を見せた。

「ぼくは憎いってどんな気持ちになるのかわからない。大人のひとの言葉を聞いてると、それって嫌いという気持ちとはちょっと違うみたいだし。ぼくにだって嫌いなものとか嫌いな人とかいるから、嫌いって気持ちはわかるけど、憎いって気持ちはやっぱりわかんない」

 そして、ハサンはザールを真っ直ぐ見た。

「あなたを嫌いってぼくには思えないんだ。けれど、何だろう、この気持ち、悲しいっていうのかな、そんな気持ちになるよ。ぼくの父さんが死んでしまったこと、そして、そんなふうにしてしまったあなたのこと、そういうことひっくるめて悲しいって、そう思うんだ」

 ハサンは思い詰めたように息を詰めていたのをホーッと吐き出すと続けた。

「ぼくね、剣士になりたいんだよ。魔族を殺せる魔法剣士に。でも、父さんも母さんもそれに反対していた。ふたりとも猟師になってほしいと言ってたから。そんな危ない仕事はしないでって。とくに母さんが強く反対してた。でも、父さんが魔族に殺されて、やっぱりぼくは剣士になりたいって強く思うよ。ぼくの村には魔族から守ってくれる魔法剣士は一人もいないし。今までは運がよかったから魔族が襲ってくるってことはなかったけど、こんなふうに父さんが魔族に殺されてしまったことで、これからももっと他の魔族がやってくるかもしれないし、現に今ここにその魔族がいるわけだしね」

 ハサンはそう言って、ザールとサイードを見詰めた。その目には憎しみや嫌悪は感じられない。ただ、憐れみをはらんだ視線が、彼らや、それを見守るシモラーシャたちには見て取れた。しかし、ハサン自身は自分が憐れみをこの魔族の兄弟にかけているとは感じてもいないだろう。

「ねえ、お姉さん」

「え?」

 突然、ハサンはシモラーシャに声をかけた。

「魔法の塔に入るのに、ぼくが入れてくださいって言っても入れないんでしょ?」

「うん、そうだよ」

「お姉さんにお願いがあるんだけど、ぼくを魔法の塔に入れてくれない?」

「そ、それは…まあできないこともないけれど…でも、それよりこいつのことはどうするの? あたしが殺してあげようか?」

 ハサンは首を振った。

「ううん、いい。この人には他の頼みごとがあるから」

「頼みごと?」

 シモラーシャが首をかしげると、ザールとサイードも不審な目を少年に向ける。

 ハサンはこくりと頷くと魔族の兄弟に一歩近づくとこう言った。

「ぼく、魔法の塔で剣士になる修行をしてくるよ。だから、あなたにはぼくの村を守ってほしいんだ」

「え…守る?」

 ザールはハサンの意外な言葉に言葉を詰まらせた。その兄であるサイードは言葉もなく幼いこの少年をじっと見つめているばかりだ。そんな彼らにはお構いなしで、ハサンは続ける。

「何年かかってもぼくは剣士として強くなって戻ってくるから。そしたらその時にあなたと戦うよ。戦ってあなたを倒す。でも、もし倒せなかったとしても、できればあなたにはぼくの代わりに、ずっと命ある限りこの村を守ってもらいたいんだ」

「………」

 ザールは少年の言葉を聞きながら、ハサンに向ける目を、まるで不思議なものでも見ているかのごとく変化させていった。相変わらず傍らのサイードは何を考えているのかわからない目をしている。

「ほんと言うと、負けちゃったら村をずっと守ってなんて言えないんだろうけど…」

 ハサンは顔を赤くさせてうつむいた。だが、すぐにキッと顔を上げる。

「でも…でも…あなたが本当に自分のしてきたことを…その、えっと、はん…そう、反省してるって言うのなら、あなたはぼくの村を守るべきだと思うんだ。悪いことをしたら死んでから怖い場所に行くって聞いたことがあるよ。あなたはすぐには死なないかもしれないけれど、でも、すぐ死なないってことは、長く生きてれば生きているだけで悪いこといっぱいしちゃうんだと思う。ぼくたちだったらいっぱい悪いことしちゃう前に死んじゃうから、いっぱいしたくてもできないもんね。いっぱいいっぱい悪いことしちゃったら、きっともっとずっといっぱい怖い場所に連れて行かれちゃうんじゃないかな。けれど、ごめんなさいって、ぼくが悪かったですって言って、これからはいいことをしていきますっていう人には、死んでからいいことが待ってるってぼく聞いたんだ。だから、あなたもこれからは悪いことじゃなくて人を守るいいことをすれば、あなたがイヤだなあって思ってることもみんないいふうに変わっていくんじゃないかなあってぼくは思うんだ。死ぬことがあなたにとっていいことなら、ぼくがあなたを殺してあげるから。殺せる魔法剣士になって戻ってくるから。だから、お願いだよ。それまでぼくの村を、ゴーラの村を守って」


 かくして、ザールはハサンに頼み込まれて、少年の生まれ育った村を守っていくことになった。もちろん、村の人間には覚られぬように、陰ながら守るという役だ。そして、サイードは、もう二度とザールに人間を食べさせないように弟の食事係をすることになった。ザールはやはりそのことを気にしてはいたが、兄であるサイードは有無を言わさずその様にしたのだ。

「お前は少しはこの兄を信じて欲しいと思うぞ」

 そう言って弟を安心させようと笑顔を見せるサイードに、ザールはまだ少々不安そうな表情を見せていたが、兄の言葉に何か言い返すということもなかった。

 一方、ハサンは、シモラーシャとマリーを伴って村に戻り、父親が魔族に殺されたと村人や母親に告げる事になった。そして、彼はこう言った。

「ぼくは父さんを殺した魔族を倒すために剣士になる。これはもう決めたことだからね。どんなに反対されてもぼくの気持ちは変わらないよ」

 だが、それでも母だけは最後まで反対した。しかし、ハサンは、すでにこの村の近くにも魔族たちがやってきているのだから、それを倒す誰かがいなければ、この村すべてが全滅してしまう、そのためには剣士を雇うか、村の誰かが剣士になるしかもう道はないのだと説得した。そして、とうとう母親も我が息子の言葉に頷かざるを得なくなったのだった。

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