第7話「不撓不屈の食欲」
「ねーねー、それよりお腹すかない?」
「…………」
マリーは顔をしかめた。
せっかく厳粛な気持ちになりかけたところだったのに、お気楽極楽なこのお嬢さんのせいで、物思いムードが台無しとなってしまった──といったところか。
(この人は、まったく何を考えて生きてるのだろう?)
それでも、なぜか憎めないと思うマリーであった。
すっかり、シモラーシャという個性に絡め取られているということに気づいていない。というか、まだ全面的に彼女に気を許したというわけではなかったからだ。
(こうなると、シモンの方がまだ扱いやすかったかな?)
マリーは思い出す。
シモン・ドルチェ──もちろん、太陽の女神の、真の名前はそんなものではなかったのだが──は、物静かで、おしとやかで、頭が良く、常に一歩下がって慎ましやかにしているといった印象の人ではあった。
だが、神々のすべての者たちが知っていたことだが、彼女の本質はやはり炎のように燃え盛る太陽そのものだったのだ。
姿だけを見ていればその気質は如実にわかるものだった。
一筋縄ではいかぬ、強烈に強い意思を持ち、何者にも動かされぬ心を常に誇りに思っている感じ。
だが、彼女はなぜか己の強さというものを嫌悪していたところもあり、だからこそ、彼女と正反対の資質のイーヴルを彼女は愛したのだ。
(しかし、彼女はあの男を愛してしまった───)
ギリリと唇をかむマリー。
どうしてか、憎しみを抑えることができぬ。
もしかしたら、自分がシモンをこれほどに憎んだのは、彼女自身を憎んだというわけではなく、あの男を彼女が愛してしまったから、だから憎さがシモンに向いてしまったのではないかと思う。
(わからない)
そう。
でも、本当のところは自分自身でもわからない。
確かに、冷静になって考えてみれば、ほんの少しだけ自分はシモンに好意を寄せていたのかもしれない──と思う。
彼女は───
(かつて、僕が幼い頃にたった一人優しくしてくれた人に似ている……)
マリーは深く深く物思いにふける。
──マリー
──かわいい坊や
──泣いてはだめよ
唄を教えてくれたのも、世界のことを教えてくれたのも、あの人だった。
たった一人の、肉親とでも言うべき人───
──私がいるわ
──ずっとあなたのそばに
『ほんと?』
──ええ
『じゃあ、僕のお嫁さんになって』
──それは……
『だめなの?』
──あなたにはもっと相応しい人がいる
『僕は貴女じゃなきゃいやだよ!』
──遠い未来、きっとあなたは私を置いて行く
『そんなことない!』
『僕は絶対あいつみたいにならない!』
──マリー
『貴女を裏切ったあんな男、種族が違うくせして!』
──マリー!!
(種族が違う……そう、彼女はとても悲しそうな目をした。けれど、それを言う資格は僕にはなかったんだ。なぜなら……)
マリーは己の右目に手を持って行き、まぶたの上から軽く押さえた。
(呪わしいこの僕という存在。すべての者たちが僕を否定し、憎み、蔑み……地獄のような日々が続いた……)
忘れられない───
どうしても忘れることなんかできない。
僕を否定する者たち。
ほんの少しの違いで───なぜ迫害を受けねばならぬ?
(シモラーシャ……)
マリーは、隣でしきりにサイードと料理談義に花を咲かせている少女に目を向けた。
(君は、僕が邪神だと知ったらどう思うだろう? ましてや、僕の本当の姿を見たら……僕が迫害を受ける理由の真の姿を見たら……変わらずこうやって傍にいることを許すだろうか。そして、僕が今まで君に……君の前世の肉体にしてきたことを知ったら……)
「……………」
急に寒気がしてきた。
マリーは両手で自分の肩を抱いた。
(バカな……)
彼は、今までずっと忘れようとしてきた。
自分が他人に残虐になれるのも、情けなど持とうと思わないのも、かつて己を虐げてきた者たちを他の者たちに重ねて見ていたからだ。
すべての者たちは所詮同じ。
だが、そのことに皆気づかず、自分と違うものを排除しようとする。
それが人という愚かな者たちの本質───
(反吐が出る)
自分も、そのどうしようもなく愚かな者たちと同じ生命体であると思えば思うほど、限りなく自分自身をも苛みたくなる。
(どうして僕は生まれた。なぜ創造主は僕などという存在を許している?)
──そんなことを言うもんじゃないわ
あの人はそう言った。
そして、シモンも同じことを言っていた。
『マリス。自分が他の者とは違うって気づいたとき、あなたならどうするかしらね? 自分のことでもよくわからないと思わない? ましてや、自分の子供がそういうことで苦しむってことになったら、親としてどうすべきかしら?』
あの頃のシモンは、まだ子供を持ってはいなかった。
なぜ、そういう話になったのか、よく覚えていないが、彼女は未来を予測していたのかもしれない。
なぜなら、彼女の娘の一人は───
「ねー、ちょっと、マリーってばっ!」
「えっ?」
マリーがはっとして顔を上げると、シモラーシャの不機嫌な顔がバンっと目の前にあった。
「な、なななんですかっ?」
「なんですかじゃないわよぉう!」
シモラーシャは呆れたように肩をすくめて見せ、お得意の「頬膨らまし」で顔をぷーっと膨らませた。
「あたし、これからちょーっとご飯の材料探してくるからさ、サイードと一緒に薪集めて火をおこしててよ」
「え? 材料? あっ、ちょ…ちょっと?」
マリーは突然にそう言われて、あっけに取られていたが、シモラーシャはそんな彼には目もくれず、大剣を背負う。
「じゃ、あとよろしくっ!」
彼女はにっこり満面の笑みを浮かべると、どだだだだーっと闇の彼方へと消えて行った。
「……………」
あとには目を丸くし、呆然とした表情のマリーと、腰を上げ、行動に移ろうとしているサイードだけが残された。
「あの調子だと、すぐに戻って来そうだぞ」
「……………」
サイードの言葉に、マリーは座り込んだままの格好で立ちあがった彼を見上げた。
マリーは少し腹立たしい気分になって渋っ面を見せた。
その顔は月の光を浴びて、はっきりとサイードの目に見えたのだろう。
彼のマリーに向けられた目が興味深そうに見開かれた。
「な…なんですかぁ?」
マリーは何となく居心地が悪い感じになって思わずそう言った。
だが、サイードは何も答えず、ただ一言「いや…」と言っただけだった。
(勿体つけたやつ…)
何だか無性にムカムカする──と、すっかり不機嫌になるマリー。
(昔から、こいつはそんなスカしたヤツだった)
上級魔族───彼らは、神々がこの世界に君臨していた頃にはすでに存在していた。
力も互角、知性も劣らぬ──だが彼らのほとんどの者たちは、残虐で気まぐれで美しかった。
だから、神々が真っ当にこの世界を護っていた頃にはほとんど交流がなかった。
しかし、ごくまれにこのサイードのような心優しき魔族もいるにはいたのだ。
(もっとも、僕はサイードしか見たことなかったけれど……他の魔族なんて、みんな同じさ。優しいやつなんか一人としていない。絶対に…絶対にね…)
マリーの顔に、一瞬自虐的な表情が浮かぶ。
同時に彼の目がゆらりと銀色にけぶる。
それはマリーの本質を物語るものであった。
だが、すでにサイードはゆっくりと歩き出していた。
木々が落ちていそうな場所へと足を向け、あたりを探す。
その姿をぼんやりと眺めるマリー。
(サイード……どうして彼のような魔族が存在するんだろう……優しい魔族なんて存在するはずがないのに……どうして……)
マリーは、のろのろと立ちあがる。
そんな彼を、月は静かに見下ろしていた。
「たっだいまぁ───────っ!」
それからしばらくして、サイードの言う通りにすぐシモラーシャは帰ってきた。
マリーたちはこの短時間のうちにたくさんの薪を集めており、すでに赤々と火もともされていた。
その焚き火の灯りに照らされて、シモラーシャは大きなずた袋を肩に担ぎ、大きな深鍋を背負っていた。
あれだけの勢いで走ってきたにもかかわらず、息一つ上がってはいない。
「いったいどこまで行ってきたんです?」
マリーは彼女の背中の大荷物を胡散臭そうに見つめると、ため息をついた。
それだけの量の食べ物──普通ならば一週間分だぞ、と彼は心で思う。
まだ本人に言わないだけマシであるが。
「食料は途中の川とか、ふろふろそこらへんをさ迷い歩いていた動物とか、木の実も取って来たけど、いかんせん材料を煮る鍋がないから、近くにあった村からもらってきたの。もう使わなくなったからって快くくれたんだよ」
ドサッと袋を置き、
「じゃあ、ちょっと水汲んでくるね。そこの沼のはさすがに煮るのにヤな感じだし」
そのまま鍋を担いで、もと来た道を引き返す。
「忙しい人ですねぇ」
マリーはシモラーシャの置いた袋に手を伸ばし、ぶつぶつと呟いた。
だが───
袋がカソコソと動いたので、伸ばした手を思わずといった感じで引っ込めた。
「な……何が入ってるんでしょう?」
彼は焚き火越しにサイードに問い掛けたが、彼はそれには答えず、おかしそうな表情を見せた。
(へぇ…)
そんな顔を見せることもあるんだと、マリーは興味津々で見つめる。
「今晩は自分に用意させてくれと言っていた。あまりかまわないほうがいいと思うぞ」
気のせいだろうか。
心なしかサイードは笑いをこらえているような気がするのだが。
「…………」
時々ごそごそ動く袋をじっと見つめる。
ちゃんとしたものが入っていてほしいと心で祈り、そう思う自分がなんとなくおかしく感じられる。
とりあえず袋には近づかないでおこうと密かに思うマリーであった。
それからほどなくして、鍋になみなみと水を汲んで戻ってきたシモラーシャ。
彼女は、サイードが焚き火に組んでくれた木に鍋をかけた。
しばらくして沸騰してくると、袋からなにやらいろいろ取り出し、ポンポンと鍋に投げ入れた。
「あのー、調味料とかは入れないんですかぁ?」
おそるおそる聞いてみるマリー。
先ほどから、シモラーシャは材料を入れていくだけで、何も味付けとかをしている様子がない。
「調味料? ああ、そんなんいらないよー。香草とかも入ってるし、肉なんかのダシがちゃんと出るからね。香辛料とかなくても大丈夫!」
「…………」
思わず、本当だろうかと心配になるマリー。
まるで助けを求めるように向こう側に座るサイードに視線を向けるが、興味深げに無謀な料理人を見つめているばかりで、何もコメントをするつもりはないらしい。
その顔は、明らかに楽しんでいる。
(なんか、お腹壊しそう………)
いくら自分が神の力を持っていたとしても、腐った物を食べればお腹の調子は悪くなるし、そこらへん人間と同じで、変な話、下痢もすれば熱も出す。
多少の回復魔法のようなものも扱うが、なるべく普段人間に関わっている間だけでも人間らしくしていようと思っていた。そうしないと、魔族の落し種と間違われてしまうからだ。
マリーとしては、別にそれでもかまわなかったが、やはりやっかいなことには間違いないし、人間の吟遊詩人として諸国を回るのもけっこう楽しく思っていたので、できるだけ人間らしくあろうと心がけていたのだ。
だから、腹も壊すし、軽い病気や怪我もしてみせたりする。
しかし、自ら進んで壊すと知っていて食べるバカはいないだろう。
「ほーら、煮えてきた!」
そうこうしているうちに、シモラーシャが歓喜の声を上げた。
めいめいに小皿と箸を渡しながら「この皿もくれたんだよ」とニコニコしている。
「それにしても気前のいい村人ですねぇ。このお皿とお箸って何だかとてもいい品みたいですけど?」
マリーはしげしげと皿を眺めた。
白磁の高級そうなものだった。
箸も、ここらあたりではわりと使われてはいるのだが、本来はチュウカ帝国が発祥の地であるので、普通の家庭や飯屋では木を切り出して大量生産された割り箸タイプが主流である。
だが、彼女がマリーたちに手渡した箸は、どうやら白磁の皿とセットになった陶器製の高級品だった。
「そうなのよねぇ。日頃からあたしの行いがいいのか、あたしの名前を出すと、みんないつも何かくれるのよ」
「へー、そんなにあなたって有名なんですねぇ」
素直にそう言うマリー。
そんな感じには見えないけどなぁと思いつつ。
確かに以前のシモンならば、そういうこともありかなとは思うが、このシモラーシャにそんなカリスマ性はないし、不思議に感じる。
(ま、魔法剣を金色に輝かせるのはシモンの転生体だけだから、そういうことで崇拝されているんだろうな)
マリーは知らない。
彼女が一目置かれているのは、崇拝も多少あるかもしれないが、そのほとんどが恐怖からくるものであった。
マリーは、少しの間、彼女から目を離していたので気付いていないようなのだが。
「さっ、食べよ、食べよ!」
嬉々として鍋に箸を突っ込むシモラーシャ。
ガツガツと勢いよく食べまくっている。
「ふむ……」
サイードはというと、まず、おたまで汁をすくって皿に移し一口飲んだ。
「なかなかいい味が出ている。この香草は……珍しいな、ハーブか。肉などの臭みがうまく抑えられている。魚も入れたのか?」
「あったりー。向こうの川で泳いでたやつを捕まえたの」
「ふむ…本来ならあまり肉と魚を一緒に鍋に入れることはないのだが、違和感はないな……」
サイードはしきりに感心しているようである。
「…………」
マリーは、そんな二人を眇めた目で眺めていた。
そっと鍋を覗き込んでみるが、濁った汁のために中身は見えない。
(本当に食べれるんだろーか)
おそるおそる箸を伸ばし、中に入れようとしたマリー。
すると───
「ええっ?」
マリーは目をむいた。
一瞬彼の目に何か得体の知れないものが見えたからだ。
(な…何だ、今のは……)
何か触手のようなものが濁り汁の中に見えたような気がする。
マリーは気色悪さを抑えて聞いた。
「い…いったい何を入れたんですか、あなたは」
「んー?」
口いっぱいに何やらほおばっているシモラーシャは、頓着する気配なしののほほんとした顔でマリーに顔を向けた。
「なにって、食いもんだよ。そこらへんフロフロしてるもの片っ端から捕まえてきたんだ。あ、なに? あんたもしかして好き嫌いあるんじゃないでしょーね。ダメだよ、何でも食べなさいって子供の頃に親に言われなかった? 食べなきゃダメだよ。あたしの用意したものが食えないなら、とっととどっかいっちゃってよね!」
「食べますよ、食べればいいんでしょう」
マリーはしぶしぶ答え、おそるおそる箸を鍋に差し入れた。
彼がつかんで持ち上げたのは、ごく普通の芋のようだった。
「…………」
マリーは明らかにホッとすると小皿に取り、食べやすいように切り分けて口に持っていった。
「ふぅむ…なかなかこれは……」
「ねー、おいしーでしょー。あたし、いーお嫁さんになれると思うんだー」
「もうちょっとおしとやかにならなくちゃいけませんけどねぇ」
「なんか言ったぁ?」
「あっ…いえ…別に…」
マリーは慌てて首を振った。
それを見ていたサイードは、火の向こうで笑いをこらえている。
マリーはそれに気付き、むっとした。
そして、恨めしそうに異色の上級魔族に視線を向ける。
と、その時!
シュンという音とともに、鍋から何かが飛び出してきた。
と同時にその「何か」は、今まさに鍋に箸を突っ込もうとしていたシモラーシャの顔にへばりついたのだ。
「シモラーシャっ?」
マリーはびっくりして叫んだ。
サイードも声こそ上げなかったが、思わず腰を浮かせている。
彼女の顔をブヨブヨとしたものが覆っていた。
それはヌメヌメとしていて、色も緑色のあまり気持ちのいいものではない。
まだ生きているのか、うにょうにょと動いているのが何とも気持ちが悪い。
べったりと顔に張り付いているために、このままにしておけばシモラーシャが窒息してしまう。
マリーとサイードは行動を起こそうとした。
だが!
ジュルジュルジュルン───という音とともに、そのいやらしい軟体動物がシモラーシャの顔から消えていった。
あっけに取られて見つめるマリーとサイード。
さすがにサイードは目を見開いただけだが、マリーはバカみたいに口を開けている。
それもそのはず、あろうことか、シモラーシャは自分の顔に張り付いた謎の生命体をズルズルと吸い込んでしまったのだ。
よっぽど彼女のほうが得体の知れない化け物のようである。
「あんがいおいしいじゃん、こいつ」
モグモグと口を動かしながら、不敵な笑みを浮かべる最強の女剣士。
「ぶっ…!」
それを見たマリーは勢いよく吹き出した。
「ぶわっははははははははははははぁぁぁ──────!」
おかしい!
あまりにもおかしすぎる!
こんな人見たことない───と、マリーは思った。
(ステキすぎて、もーだめだ)
マリーは、自分の目の前で得意満面に口を動かし続けるこの美女剣士に、己が好意を抱きつつあるのをハッキリと感じていた。
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