第3話「伝説の料理人」
ひとつの伝説があった。
吟遊詩人の間では遥か昔から語り継がれてきた伝説でもあり、その唄を聞く者もいただろうが、およそ一般人にはあまりもてはやされるものではなかったので、それほどその伝説を知る者はいなかったのだが。
「私ども料理に携わる者たちにとっては、一度は聞かされる伝説なんです」
包帯の男が去ったのち、飯屋の主人はマリーたちに話して聞かせた。
シモラーシャはまだモグモグとカツドンを食べ続けている。これで五杯目だ。
「ええ、僕はその吟遊詩人ですから、あなたが言わんとしている伝説はよく知ってますよ」
「ぬぁに? ぬぇ~、ぬぁんなの? ほの、れんへつって?」
「あー、もー、ちょっと。ちゃんと食べてしまってから喋ってくださいよぉ。行儀悪いですよ、ものを口に入れたまま喋るなんて」
マリーは、顔をしかめてたしなめた。
だが、すぐに真顔になって語り始める。
「その伝説で語られる男は、真っ赤に輝く包丁を自在に操ったと言われているんですよ」
「真っ赤に輝く包丁?」
やっと食べるものを食べ終わったシモラーシャが、またしても頬にご飯粒をつけたまま小首を傾げている。
「そう、真っ赤な包丁です」
そう言いつつ、マリーは無意識のうちに彼女の頬についたご飯粒をつまんで取り、パクリと食べた。
「ああ───!! あにすんのよぉぉぉ───!!」
「ええっ?」
突然叫んだ彼女に、ビックリ仰天するマリー。
「もおったいなぁ───い!! ご飯粒も食いもんなのにぃぃ───!!」
(今、僕はいったい何をした?)
彼女にそう言われて気づく。
どうして、彼女の頬についたご飯粒を取ってやったんだ?
だめだ。
あまりにも彼女がシモンとは違うものだから、とにかく調子が狂いっぱなしだ。
これではまるで───まるで───
「仲がよろしいことですねぇ。美男美女で似合いの恋人同士ってことですかい?……」
そういう主人の顔には、大食らいの恋人を持つマリーに同情を寄せているような表情が浮かんでいた。
「なにをっ…!」
「ばかなこと言わないでよっ!」
マリーとシモラーシャは同時に叫んだ。
あまりのすさまじい剣幕に、主人はびびっている。
「!」
マリーはハッとして、居住まいを正した。
「とっ…とにかくですね」
マリーはコホンとひとつ咳払いをすると、続きを話し始めた。
「その包丁はなんと魔法剣と同じ鉱石から作られたものでして、持った男は包丁を赤く輝かせるんだそうですよ。で、料理の材料だけでなく、魔族までをも切り裂いたと言います」
「なんと、魔法剣と同じなんですか。それは私も知りませんでした」
マリーの言葉にひどく驚いて主人は目を丸くしている。
「えー、じゃあその男って魔法剣士なの?」
「ところがですね」
マリーは、重大なことを告げるように声をひそめた。
シモラーシャもマリーにならって頭を低くし、顔を彼に心なしか近づけた。
その時、ふわりとマリーの鼻腔をくすぐる香りが。
(何だろう……甘いような何だかいい香りだ……)
どうやらシモラーシャが香りの元らしい。
どこかで嗅いだような───
「あ…」
マリーは小さく声を上げた。
そうか。
彼女のマントだ。
彼女の薄い紫色のマント。
「何?」
黙ってしまったマリーを訝しく思ったのか、シモラーシャが聞く。
「いい香りですね、そのマント」
「ああ、これね」
シモラーシャの顔がほころんだ。
身にまとったマントを持ち上げてみせる。
「魔法剣士だけが身につけることを許されたマントだからね。とおーっても貴重なのよ……って、それよりもぉ、ところがですね…の後は何なのよぉ?」
「あ…ああ、すみませんでした」
マリーは軽い疲労感を感じていた。
どうも彼女と話していると、思う通りに話が進まず脱線してしまう。
本当に調子が狂いっぱなしだ。
自分のペースが保てない───と、彼は思いつつ、乱されて普通ならばいらつくか非常に気分が悪くなるはずであるのに、知らず楽しく思ってしまっている。
だが、マリーはそれを認めるのを潔しとしなかった───というか、まだこのシモラーシャと名乗る少女を信じていたわけではなかったのだ。
もしかしたら、何とか刺客から逃れようと仮面をつけているのかもしれない。
(でも……あの人は、そのような卑怯な女性ではなかった……)
マリーは、自分では気づかない。そう思っていることがどういう意味を指すかということを。
「ええとですね……どこまで話したかな……ああ、そうそう」
彼は、自分だけの秘密の思いから抜け出し、今している話題を思い起こした。
「その男は魔法剣士どころか……」
「うんうん……」
一層声を低める彼に、シモラーシャも店の主人も益々耳を近づけた。
「上級魔族だということですよ」
「えええっ!?」
「なんですとぉっ?」
マリーの言葉に、二人は吃驚し叫んだ。
店にいたすべての人が、何事かとシモラーシャたちに目を向ける。
「驚くのは無理ありませんが……ほら、皆さんのご迷惑ですよぉ」
マリーは、まあまあと二人の前で両手動かせてみせた。
「これが驚かずにいられる? 魔族がなんで魔法剣……というか、魔法包丁……ってゆーのも変よねぇ。でも、その包丁は魔法剣と同じ鉱石から作られてるわけだし……でもでも、なんで魔族が魔法剣みたいに輝かすことができるのよ。おかしいわよ。魔法剣士は清く正しくなけりゃ輝かすことができないはずなのにぃ」
シモラーシャは歯軋りした。その様子は、さも悔しそうといった感じで、思わずマリーは失笑する。
「魔法剣は霊力があれば誰でも輝かせることができるんですよぉ。何もそんなに自慢するほどのことじゃないでしょ」
「む───っ!」
シモラーシャは思いっきりプーッと頬を膨らませた。
「ですが、お客さん。魔族のは霊力とは言わないんじゃ?」
「ええ、まあ、そうなんですが……ですがね、霊力も魔力も元は同じなんですよ。要はその者の魂の力なんですから。人間であるか魔族であるかの違いだけで」
マリーは、不思議そうな顔をしている店の主人に説明した。
だが、主人はよくわからないといった感じで「そろそろ行きますね」と言葉を残し、いそいそと奥へ引っ込んでしまった。
「だけど……」
一方、シモラーシャは納得いかない様子である。
「同じ同じって言うけど、人間と魔族は全然違うじゃない。魂自体も違うって聞いたわよ。魂が違えば、霊力だって異質で同じとは言えないんじゃないの?」
「同じなんですっ!」
思いのほか、マリーは強く答えた。
だが、やはりシモラーシャは不服そうだ。
「なんで、そんなことあんたにわかんのよ。いくら何でも知ってる吟遊詩人だからっておっかしーじゃん!」
「え?」
どきっとするマリー。
慌てていい訳を考える。
「ええとぉ、あの、そのですねぇ……そうそう、僕はそんじょそこらの吟遊詩人とは違うんですよ。こう見えてもですね、長い間諸国を旅し、様々な高名で偉い方々や同業者から仕入れた逸話とか唄を頭にしっかりと叩き込んでいますからねぇ」
「ふーん……?」
シモラーシャは思いっきり疑わしそうな目でマリーを見つめている。その瞳はキラキラ輝くブルーアイ。澄みきった空の色のような清浄さを感じさせる。
(どこかで見た───)
マリーは知らず引き込まれていくのを感じていた。
ここではない、どこか懐かしい場所。
海では波がうねり、空はここと同じ抜けるような青の色。
動植物は常に優しくあふれ、可憐な妖精たちが軽やかに舞う───
彼女の瞳はその空の色のようだ。
(なぜだろう)
彼は思う。
彼女の瞳も顔も声もその身体も、確かにシモン・ドルチェのものである。そうとしか思えない。
なのに、かつて嫌というほど見つめたその瞳も、聞きつづけたその声も、この目の前の彼女と同じなのにまるで違うように感じる。
とても演技をしているというように思えない。
(これは、もっと様子を見なければならないな。その上でまた彼女を殺すかどうかは考えよう)
だが、マリーは気づいていない。
たとえ、彼女がシモンでなくても、今までならシモンの自我を携えて転生して来なかった者たちも情け容赦無く切り捨ててきたはずなのに、なぜか今回に限って様子を見るなどと───それがいったいどういうことかを、彼は気づいていないようだった。いや、もしかしたら気づいていて、あえてそれを認めようとしていないのかもしれなかった。
「で、何でついてくんのよ」
シモラーシャは、不機嫌そうな声でそう言った。
飯屋を立ち、シモラーシャとマリーは町外れの森の中を歩いていた。
本来なら、シモラーシャとしては助けてもらった義理も果たし──とはいえ、結局マリーの食べた分まで無理やり彼女のに足してタダにさせたのだが──後腐れなしに別れようとしていたようなのだ。
(冗談じゃない)
マリーはそうはさせじと思った。
彼女のことをもっと知らなければならないのだ。
いつものようにただ遠くから見守っているだけでは、彼女の本質を知ることなどできはしない。
とにかく、何でもいいから理由をつけて食らいつこう──彼はそう思った。
「あのですね。女性の一人旅は危険ですよ。一応僕も男ですし。どうです? ちょっとした用心棒にもなると思いますけど?」
「何バカなこと言ってんのよ!」
シモラーシャは憤慨して怒鳴った。
マリーは目を丸くする。
「あんた、あたしをいったい誰だと思ってんのよっ! あたしは魔法の塔一の剣士よ。あんたみたいななまっちょろい奴に、何ができるってーのよっ! 逆にあたしが守ってあげなくちゃならないくらいだわっ!」
(これだっ!)
マリーは瞬間頭を働かせた。
あまりのいい案に自分の頭の良さに酔いしれる。
「そっ…そうですよねぇ。ああ、そうそう、そうですよ、ええ。貴女はとてもお強い。ね、そこでご相談が」
「あによ」
シモラーシャは、何か気に入らないというふうに頬を膨らませ、マリーの言葉を待った。
よくよく頬が膨らむ人だと思いながら、マリーはニヤニヤとした笑いにならないよう気をつけた。精一杯しおらしくしてみせる。
「僕はお察しの通り、しがない吟遊詩人です。とりあえずはこのフィドルに仕込んだ細剣で何とか旅を続けていますけど、今まで旅してきた土地はあまり上級魔族とかが跋扈しない場所でした。ですが、ここらあたりはどうやらこの間のような上級魔族がよくよく出没するらしいですね。そこで、貴女に依頼したいのですが、僕の用心棒としてしばらく旅をしてもらえませんか?」
「…………」
シモラーシャは眉を寄せて考え込んでしまった。
まったく──何を考えているのか、よくわかる人だ、とマリーは苦笑した。そんなところも、シモンと全然違う。
彼女は、何を考えているのか、まったくこちらにはわからない人だった。それは自分だけじゃなく、仲間たちみんながそう思っていたはず。闇の神とて同じこと。だからこそ、彼も彼女に裏切られていたことをギリギリまで気が付かなかったのだから。
(あの人も、このシモラーシャのような人だったら、僕たちも苦労はしなかっただろうに)
そう思いつつ、マリーは言った。
「何か都合の悪いことでもあるんじゃないのですか?」
「なっ…なんで…?」
ほら、当たった──マリーは、びっくりして目を見開いている女剣士に向かいニッコリ微笑んで見せた。
「よければ、僕に話してくださいませんか? これも何かの縁。及ばずながら、力をお貸しできるかもしれませんよ。それに……」
マリーはパチンとウィンクしてみせて、
「お金ならありますから。当分は路銀にも困らないと思いますが」
「のった!」
一つ返事で了承したシモラーシャであった。だが、すぐに彼女は思い出したように聞く。
「そういやさあ、さっきもあんた言ってたけど、上級魔族が何でバッタになるのよ?」
「は?」
「だからぁ、あまり上級魔族とかがバッタしてないって言ったじゃん」
それを聞いたマリーは、眩暈がするような脱力感に襲われた。
「あのですねぇ、バッタではなくってぇ、バッコですよ、バッコ!」
「あっ、そっか、そっかぁ~、なんだぁ~あたしの聞き違いじゃん!」と、マリーの背中をはたくシモラーシャ。そして、一呼吸置いてから、再び尋ねる。
「で……”ばっこ”って何?」
「…………」
マリーはしゃがみこんでしまった。
(まったく、この人って……)
あまりにもバカな質問をするシモラーシャに頭を抱えつつ、それでも心の底でこの状況を楽しんでいるマリーであった。何だか楽しい旅になりそうだぞ───と。
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