第2話「包帯の男」

 その町は山の中にあるごく小さな町だった。

 村に毛が生えた程度ではあるが、人々は幸せそうであるし、見たところそれほど魔族に頻々に襲われている感じには見受けられなかった。恐らく腕のいい魔法剣士でもいるのだろう。

「あっ、あそこ、あそこ!」

 すると、シモラーシャが喜びの声を上げた。

「あっ……」

 マリーがそう叫んだが、彼女はグイグイと彼の腕を掴んで引っ張っていく。

 なんて腕の力だ───マリーは顔をしかめた。

 だが、シモラーシャは、そんな彼のことなどおかまいなしにズンズン歩いて飯屋に入っていく。

「へいっ、らっしゃ……あっ!!」

 シモラーシャが店に入ると、そこの主人だろうか、頭の禿げ上がった中年の男が勢いよく声をかけようとして、彼女の顔を見るなり絶句したのだ。

「?」

 マリーは、主人の放つただならぬ雰囲気を感じ、訝しげに思った。

 主人だけでなく、店全体に一種緊張感というか、恐怖というか、そういう空気が一気に充満するのを感じる。

(な…何なんだ?)

 だが、シモラーシャ一人がそれをまったく感じていないようで、ズンズカ歩いていく。窓の近くの空いたテーブルにやってくると、マリーを投げ込むように座らせ、自分もその向かい側にドッカと座った。

「ねえ、ちょっと!!」

 そして、嬉しそうに店の者を呼ぶ。

「へっ…へい……」

 固まったままだった、店の主人であろう男がぎこちなく動き出し、まるでからくり人形のような格好でやってきた。

「お…お客さん……またいらしたんで…?」

「そぉよぉ?」

 シモラーシャは、満面の笑みで主人を迎える。

 そして、派手にウィンクするとさも嬉しそうに言った。

「アレ、またお願いね!」

「あっ、アレですかぁぁ?」

 主人は素っ頓狂な声を上げた。額に冷や汗が流れている。

「?」

 マリーはきょとんとした顔でシモラーシャと主人の顔を見比べた。

 すると、主人は手の甲で汗を拭いながら引きつった笑いを浮かべ、

「あ…あのですね、お客さん。アレはもうおしまいなんで……」

「なぁーに言ってんのよぉぉ。ちゃーんと表に張り紙してあるじゃん!」

「ええええっ??」

 彼はびっくりしてダダダーっと、表に飛び出していった。

 シモラーシャはニヤニヤして、向かいに座るマリーの顔に視線を向けた。

 ほどなくして、店の外から絶望的なほど悲壮感あふれる叫び声が上がった。

「しまぁったぁぁぁ───!! 張り紙はがすの忘れてたぁ───!!」

「うふふふ……さーて、今日もお腹いっぱい食べるぞぉ~」

「??」

 やはり、マリーは首を傾げるだけであった。

 そこで、しおしおと戻ってきた店の主人に声をかける。

「もし、ご主人? 張り紙とはなんのことですかぁ?」

「ああ…お客さん」

 主人の顔は、こんなにわずかの間にげっそりとし、今にも死にそうな表情だ。

 さすがのマリーも、なぜかは知らないがこの主人を気の毒に思った。


「手前味噌ですが、うちは何でもおいしいと評判なんですよ。その中でもカツドンは絶品でして───しかも量も半端じゃない。そこで、もっと遠くの村まで宣伝のためにと、この間から“カツドン大食いできたら飯代タダ”っていう張り紙を出して客集めをしていたんですよ」

「五杯食べたらタダなのよ」

 シモラーシャが茶々を入れる。

 主人が恨めしそうな目を彼女に向けた。

「さっきも話した通り、うちのカツドンの量は半端じゃないもんで……大の大人の男でも二杯食べれるかどうか……なのに…なのに……」

 主人の声は震えている。

「なのに…この人は、ペロリと五杯食べたばかりか、十杯も食べちゃったんですよぉ。商売上がったりですぅ~」

 主人は今にも泣きそうだ。

「……………」

 マリーはポカンと口を開けたまま、主人からシモラーシャへと視線を戻した。

「あらぁ~、しょうがないじゃん。食べちゃったもんは。約束は約束だし、今度だってまだ張り紙してたしさぁ。ねぇねぇ、もいっぺん食べさしてよ。一応あたし、お客だよ」

「わかりましたよぉ、いいですか? もうこれっきりですよ。それに、お願いですから五杯以上は食べないでください、いいですね?」

「え───っ!」

 不満タラタラのシモラーシャだったが、主人の恨めしそうな目とかち合い、多少罪悪感を感じたのか、不承不承頷いた。

 それからしばらくして、マリーとシモラーシャの前にカツドンがデンと置かれた。主人が自慢するだけあって、確かにおいしそうな匂いである。それに量も多い。

 シモラーシャなど、来るが早いか大きな口を開けてバクバク食べ始めている。

「……………」

 マリーはあっけにとられた顔でそんな彼女を見ていたが、それでもとハシをつけて一口食べてみる。

「ふむ。なかなかおいしいですね」

「でしょぉ───? こんなおいしいカツドン食べたことないわ、あたし……あっ、おかわりね!」

 シモラーシャは、ご飯粒をほっぺたにつけたままどんぶりを上げる。

「ぷ……」

 マリーは思わず吹きかけた──が、賢明にも何とか押し留めた。

「あー、おいしい!」

 彼女が大きな声でそう言ったとたん。

「評判のカツドンか…まあ、評判もいいと悪いがあるからな」

 突然、店の奥のテーブルに座っていた人物がボソリと呟いた。

 店の中は、客たちが静かに事の成り行きを見守っていた。だから、その声は大きな声でなかったのに関わらず、意外と店全体に響き渡ってしまった。

「な…ななな、なんですとぉぉ?」

 店の主人が、その声を聞きつけた。先程まで泣きそうな表情をしていた彼だったが、屈辱からか顔が真っ赤になっている。

 彼はつかつかとその声の主のもとに歩いていった。

「お客さん、聞き捨てならねえなぁ。何か含みがあるいい方じゃあないですかい?」

 主人は腕を組み、足を広げて相手を見下ろした。

「それは申し訳なかった。別に他意があって言ったわけじゃない」

 そう言いつつ、その声の主は顔を上げた。

「………」

 瞬間、主人は目を見張った。

 主人だけでなく、その場にいあわせたすべての者たちの視線がその人物に向けられる。


(この男………)

 マリーは訝しそうに整った眉を寄せた。

 相手は男だった。それはまあ、声を聞けば、そして姿を見ればわかるのだが、よくよく見るとかなりの美しさだったのだ。

 やさしそうな茶色の髪は緩やかなウェーブで肩の下あたりで揺れている。目は切れ長の一重で、髪の色と同じやさしい色合いなのだが、主人に向けた視線には何の感情も浮かんではおらず、死んだように生気が感じられない。まるで、この世のすべてに絶望しているかのようなそんな雰囲気を醸し出している。

「あら~い・い・オトコ」

「!」

 マリーは目を丸くしてシモラーシャに視線を戻した。

 彼女は目尻をだらりと下げ、ニマニマとした顔つきでその男を見つめている。

 思わずマリーは「どうしたんですか?」と聞き返したくなるのをグッと我慢しなければならなかった。

 いったい───いったい彼女に何が起きているのだろう。

 魂のオーラは確かにシモン・ドルチェのものなのに、まるでこの様子は彼女とは別人だ。

 最初は、追っ手を逃れようとしての演技かと疑っていたのだが、どうやらそれも違うようだ。

(むむむむ……何年か彼女の監視をしてなかった時があったが……)

 マリーは何が何だかよくわからなくなって、かなり動揺しているのを認めないわけにはいかなかった。

「だっ…だったら…そういうお客さんは、これよりももっとうまいカツドンを作れるんですかい?」

 その時、主人がそう叫んだので、またもやマリーはくだんの男へと目を向けた。

「…………」

 黙ったまま男はテーブルを立った。

 男はごくありふれた旅人の服装だった。白っぽい上着を腰の下辺りまで垂らし、サッシュでウエストのところをキュッと締めてある。マリーが着ているようなゆったりとしたタイプの服装ではなく、少しカッチリとした生地で作られたものらしい。スッキリとしたボディラインが見て取れる。スボンも膨らんでいないピッタリとしたもので、足が恐ろしく長く見える。

 すると、男は後ろに手を回し、腰の辺りから何かを取り出した。

「ひっ…!」

 出されたものを見て、主人が驚いてひっくり返った。

 それは包丁だった。キラリと鋭い輝きを放つ包丁。

(あれは……)

 マリーは目を細めた。

「なななな……何を……」

 主人はしりもちをついたまま、何事か喋ろうとするが震えて声にならない。

 だが、男は飄々とした雰囲気でそんな主人のことなど意に介さず、静かに一言。

「厨房を借りる」

 そして、スタスタと店の奥へ進もうとした。

「そんな手で料理なんてできるんですかぁ?」

 突然マリーが大きな声を上げた。

「…………」

 マリーの言葉に、背中を見せて歩き出した男はピタリと止まる。そして、ゆっくりと振り返った。相変わらず無表情な目だ。

「怪我なさってるんじゃないのですかぁ? それ、その包帯」

 マリーはつんつんと指で指し示した。

 見ると、包丁を握った右手に布が巻かれていた。

 包丁を携えているということは、この男が料理人であるという証拠である。だが、料理人は手が命。包帯など巻いているということは怪我をしていると思われるのは仕方のないこと。普通の者ならそんな怪我をしていて料理などできるかと思うのも当たり前だ。

「…………」

 だが、男はマリーに答えずに無言のまま、再び前を向くと店の奥へと歩き去った。

「む……失礼な奴だなぁ。せっかく心配してあげたのに……」

 大いに気分を害されてしまったマリーであった。

「きっと、誇りが彼をそうさせたのよ」

「はぁ~?」

 シモラーシャが、またしてもうっとりとした表情で変なことを言ったので、マリーは思いっきり眉を寄せた。胡散臭いぞ、といった雰囲気がありありと出ている。

 だが、ものの数分と経たぬうちに、店の奥からトトトトトーンという包丁の音が聞こえたかと思うとジュワジュワと音が響き、彼はそちらに神経がいってしまった。どうやら男が料理を始めたらしい。

「う~ん、いい匂い」

「ほんとだ」

 シモラーシャが目を閉じ、くんくんと鼻を蠢かすのを、マリーは横目で見つつも彼女に賛同した。

 店の奥から漂ってくる匂いは、本当に食欲をそそるものだった。その場にいる客たちも皆ごくりと喉を鳴らしている。




 そして、ほどなくして男がどんぶりをひとつ携えて奥から出てきた。

 彼の手に持たれたどんぶりも、先ほど出てきたものと大きさは同じだった。普通のものより二周りは大きい。

 そのどんぶりからはホカホカとした湯気が立ち上っていた。

 彼が奥から現れた瞬間、店全体にふわっとしたいい匂いが充満し、そこにい合わせた者ちすべての喉がゴクリと鳴った。

 男はつかつかとマリーのところにやってくると、そのどんぶりをテーブルに置いた。

「なんですか?」

 マリーは怪訝そうな顔を相手に向けた。

「食べてみてくれ」

 男はそれだけ言うとくるりと振り返り、自分が座っていたテーブルに戻った。

 何なんだといった感じで、マリーは男に視線を向ける。

「………」

 だが、どんぶりの湯気が鼻をかすめたとたん、何だか知らないが、猛烈にこのカツドンを食べたくなってしまったマリーであった。

「え───!! い───なぁ───!!」

 シモラーシャがそう叫び、どんぶりに手を伸ばしかけた瞬間、さっとマリーはどんぶりを自分に寄せた。目にも止まらぬ早さでハシを手に持つ。そして、シモラーシャが睨み付けるのを尻目に食べ始めた。

「こっ…これは……!」

 マリーの目が驚きに見開かれた。

 事の成り行きを見守っていた人々が、思わず身を乗り出してしまうほどの驚きようだった。

「こっ、このカツは……」

 マリーはご飯の上に乗せられたカツをハシで持ち上げると、感嘆の声を出す。すでに彼はこのカツドンの虜になっているようだった。

「見事なまで均一に張られたこの衣──厚くもなく薄くもなく、パリッとした触感がなんと心地よいことか──きめこまやかなパン粉は、その粒の大きささえもそろっている」

 マリーはそのカツを口に運び、パリッと噛んでみせた。

 周りの客たちは一言も口をきかず、マリーの一挙一動をじーっと見守っていた。誰もがその目に羨望の色を浮かべている。

 そして何より目前のシモラーシャなど、すでに目が涙目になっていた。

 だが、そんなことなどお構いなしに、マリーは食べ続けた。

「そして、その黄金の衣をまとったこの肉!」

 再びマリーは口を開いた。どうあってもウンチクを語らなければ気が済まないらしい。

「決して高級なものを使っているわけではない。なのに、切った瞬間にあふれ出る肉汁。そして、この歯ごたえはカツの味にさらに深みを与えているようだ」

 マリーは傍らに備えつけてあった小皿を引き寄せ、その上にカツを乗せ、ハシで切ってみせた。

「よほど、あげる時の温度と時間の管理がうまくできてるのだろう。そうでなければ、これだけのカツはできないはずだ」

「ああ~」

 身を乗り出してヨダレを垂らさんばかりのシモラーシャ。その目の前で、マリーはそのカツをパクリと食べる。

「そして、このダシだ……同じ厨房にある材料だけで作ったものだろうか。いくつものうまみが混然一体となって、まるで……まるで、そう、交響楽のようなハーモニーを奏でているようだ」

 マリーは目を閉じ、ダシの香りをかいでいるような格好をした。

 どうも、少々彼の行動は芝居がかっているようである。だが、誰もそれに気づいている様子はない。

「…………」

 包帯の男は、静かにマリーのウンチクを聞いているようである。その表情からは、何を感じているのかわからないが。

「そして!」

 いよいよ、マリーの声は厳かに響き渡り、ウンチクのラストを飾ろうとしていた。

「このダシとカツが出会った時、食べる者を至福へと誘う……」

 マリーはそう言い、ダシにカツを漬すと涙をハラリと流しながらそれを口に入れようとした。が───

「お腹に入ってしまえばおんなじよー。味なんてそれなりのがついてればだーいじょうぶっ!」

「ああ───っ!!」

 マリーの悲痛な叫びがこだました。

 今まさにマリーの口に入ろうとしていたカツ。それをシモラーシャがパクッと食べてしまったからだ。なんという行儀の悪さ。可憐な少女がするようなことではない。

「何するんですかっ! 最後のカツだったのにっ!」

 マリーはムッとした顔でシモラーシャを睨んだ。

「あんたがボーッとしてんのがいけないんでしょ。あ~あ、あたしも食べたかったなー、そのカツドン」

「何言ってんですか、今食べたじゃないですかぁ」

「なによー、たったあれっぽっち、食べたうちにはいんないわよっ」

──ガタン

 マリーたちがギャイギャイ言い合ってる中、当のカツドンを作った本人は立ち上がりテーブルに小銭を置いて言った。

「ここに置いておく」

「あっ、あんた……」

 出ていってしまおうとする男に、店の主人が駆け寄ってきた。彼の顔は少し青ざめている。

「あんた……あんた一体何もんなんだ?」

 彼はふと男の右手に巻かれた包帯に目をやり、何かに気づいたようにハッとした。

「その手の包帯……ま、まさか…あんた、あの……いっ、いや、そんなはずはない……そんな人がこんなところに来るはずが……」

 主人がそう言うと、背中を見せたまま男はポツリと言った。

「そんなに人のことを詮索しないほうがいいぞ」

「………」

 主人は絶句した。

 そして、男は振り返りもせずに店を出ていった。

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