第12話 近代文学館 執着がみえる

手離したくない 手離したくない

光の文字が黒地に白く浮かび上がった

テバナシタクナイ テバナシタクナイ

鹿児島近代文学館 島尾敏雄のコーナーに

メリーは立ち尽くした

死の棘 という私小説が有名な作家だとは知っていた

読書家の彼女なのであらすじは

おおかた頭に入っている

しかしその言葉は鮮烈な矢として

メリーの脳の襞に突き刺さり

一歩でも動こうものなら

泣き崩れてしまいそうだった

手離したくない 手離したくない

音のない声 血走った目で かつて

夫が伝えていた言葉だった

男の声 それは夫の声で しかし

身震いして言葉から逃れた彼女のくちびるから漏れたのは

同じ言葉だった

テバナシタクナイ テバナシタクナイ

ージャン

ジャンは椋鳩十のコーナーを回っている

ふと浮かび上がった文字は消えた

装置に手をかざすと目の前の壁に文字が光る仕組みなのだ

追いすがるように彼女は手をかざす

同じ言葉が再び 目の前に迫る

「どうしたの?」

のんきそうな顔でやって来たジャンは

メリーの隣に立って 文字を見つめた

やわらかな横顔

彼には見えていないのだろう

白い言葉の奥に渦巻く溶岩のような執念が

執念!

メリーのからだに鳥肌がたつ

それは彼女が蓋をして見ないできた感情

沈み込むのを恐れるあまり忌避してきた思いだった

メリーは燃えていた

表面上は軽やかな蝶として振る舞っていたが

内奥にはドロリとした赤黒い火をたぎらせていた

火はいずれ体の隅々まで行き渡り

男もろとものみこんでしまうだろう

もはやどうしようもなく

メリーの指先は焦げはじめていた

「手離したくない 手離したくない」

隣のジャンが読みあげて

その声には何の屈託も感じられなかったので

メリーは泣いた

わたしはこの人がいとおしい

それがただ

かなしかったのだ

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メリー・カゴシマ サラ・カイリイ @sarahkylee

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