第11話 8月10日

 誤算だった。二重の意味で計算がくるった。

 次の日の朝、俺は自室でスマホを握りしめながら、頭を抱えていた。さながら、六法全書をくらって廊下に座り込んでいた先日の諒太のように。

 このような事態が発生することが予想できなかったわけではなかったが、前回の時に何もなかったため、油断していた。

 俺の計算を大きく狂わせた原因は、今日の朝早くに学校から届いていた一通の連絡メールだった。

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[重要連絡 夏季休業中の登校について]

             8/10,Wed 07:30

From: 城南高校

To: 自分


保護者生徒各位

私立城南高校

校長 芦田努


昨日発生しました全国各地での信号機の誤作動及び電波障害の影響で、本校では模試を受けていた三年生の下校が遅くなるといった事態が発生してしまい、誠にご迷惑をお掛けしました。

つきまして、本校では本日職員による対応会議の他、学校近辺の安全確認を行うため、八月十日の午前中の登校は停止させていただきます。

本校に御用の方や生徒は、午後一時以降に登校するようお願い致します。

なおご不明な点がございましたら、学校までご連絡ください。

                                    以上

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 千尋と約束したのは三時なのでその約束自体に影響はないが、三時からの告白の撮影を十時頃からする予定だったため、その計画が狂ってしまった。

 前回の停電の時は特に対応をしなかったのに、今回に限ってこのような措置を講じてくるとは……。運がないとしか言えない。

 これでは長時間の未来撮影は無理なため、午後二時前ぐらいから二十分弱カメラを回すのが精一杯だろう。録画の確認の時間も入れたらもっと余裕を見たほうがいいかもしれない。

 こうなることもカメラで見ておけば良かったなどと嘆いても後の祭りで、今はただ大人しく時間が過ぎるのを待つしかなかった。



 いつも以上に息を上げて自転車を学校まで走らせながら、カメラが何を映すかを考えていた。告白が成功していたら、そのままそれに従えばいい。仮に失敗していてもそのままの行動を取らざるを得ないのだが、今後の生活に支障が出ないよう最大限のフォローを考えればいい。

 例えばこんなのはどうだ。

実は俺はリアクターが変身した姿で、本物の藤ヶ谷蒼馬は後で来るよ。ボツだ……。

じゃあこれはどうだろう。

なーんちゃって。

部室だけが突如氷河期に突入しそうだし、凍った俺を千尋がアイスピックで突き刺してきそうだからやめだ。

結局失敗した後の対応も撮影されてしまうかもしれないわけだから、これ以上余計なことを考えても仕方がないのかもしれない。俺はただ、運命を知った上でそれを受け入れればいいだけなのだから。

 一時少し過ぎに正門をくぐると、校内はとても静かだった。今日は部活動も休みなのだろうし、わざわざ午後だけ登校してくる人もいないのだろう。気温はここ数日で一番すごしやすいような気がする。昨日は聞こえていたセミの声が今日はなぜだか聞こえなかった。

 事務員さんに熱心だねと関心されながら鍵を渡され、部室へと向かった。やはり部室棟には誰もいないようで、まあリアクターを人として換算するなら一人はいることになるが、上靴が床を鳴らす音がよく響く。

 部室のドアを開けると、当然誰もおらず、机の上にはリアクターが転がっていた。昨日俺らが部室を出た時にあった場所より少しずれている気がするので、変身して戸締まりをしてくれたのだろう。

 部室は、窓から午前中の日光を力いっぱい招き入れてしまっていたため、息が詰まるように暑かった。このまま告白なんてしたら緊張からくる汗と相まって脱水症状に陥りそうなので、一度窓を開け、空気を入れ替えた後、エアコンをつけた。

 エアコンの真下で汗を冷やすと、カメラの設置に取り掛かった。部室に入って右手の椅子に二人で並んで座る予定なので、そこが映るよう机の上に本を重ね、その上にカメラを置く。座る場所によっては俺達の姿が映らないかもしれないが、最悪声だけでも録れていればいい。

あとは時間になったらこの録画ボタンを押すだけだ。この数日で何度も未来の撮影はしたが、今が一番緊張していると思われた。エアコンが効いているはずなのに、熱いお茶でも飲んだかのように身体の芯が火照っているし、落ち着け、と自分に言い聞かせようとしても、その声がなかなか出ない。手のひらに「人」と書いても、それが手汗で流れていってしまうように感じる。

 ただ時間が来るのを待つだけなのに、何かしていないといけない気がして、俺は椅子に座っては立つ、座っては立つを繰り返し始めた。特に意味はない。だけどこうして身体のどこかを動かしていないと、いざという時に筋肉や関節が動かなくなってしまうと思った。

スクワットもどきを続けていたら、時計の針はいつの間にか一時四十五分を刻んでいた。俺はすばやく録画のスイッチを入れた。あとは二時まで十五分間撮影をし、結果を確認するだけだ。それだけであるが、それこそが一番大変なのだった――

 俺は、液晶モニターに映る誰も座っていない二つの椅子をただじっと見つめた。ここに起こる未来はどんなものだろうか。告白は成功するのか失敗するのか。

 よく未来は、運命のように決まっているものか、そうでないものかで議論があるが、タイムカメラ(仮)の起こす現象を見る限り、未来は決まっているものと思えた。決まっているからこそ、撮影できるのではないか。

 つまり、撮影することも計算に入れた未来が決まっているわけだ。

 そうだとしたら、毎日にように外に出て生きる意味もないのかもしれない。自分の意思が未来を作るわけじゃないのなら、自分の部屋でカメラを構えて今日何をするのかを確認して、その通りに行動すればいいだけだ。生きるということは未来へ行くことと同義であり、未来が分かっているということは生きていることと同じであるのかもしれない。

 カメラをずっと覗き続けていれば、未来を見通す千里眼を持った仙人のようになれるのだろうか。

 その時、部室のドアがガラッと開いた。モニターを覗き込んでいた目を入り口の方へやると、そこには千尋が立っていた。少しだけ汗をかいているせいで白いブラウスのシワとその影がはっきりと浮かび上がり、輪郭が綺麗に縁取られ、胸の赤いリボンが目立っている。

 千尋の大きな瞳と目が合った。彼女の口は何かを言いかけていたかのように開きかけている。

 世界中の時間が止まったように感じた。冗談や大袈裟な表現なんかではなく、本当にそう感じた。いや、もしかしたらそう願いたいだけなのかもしれない。

「なに……してるの?」

 千尋が少し上ずった声で聞いてきた。

「…………」

 俺は口が半開きのまま、何も言えず固まってしまった。かろうじて声帯から漏れた音は、

「どうしてもう……」だった。

「蒼馬から約束してくれるなんて珍しいから、ちょっと早めに来ようと思って……」

 千尋の言葉からは薔薇のようなロマンスの香りがしたが、しかし棘があった。

「そ、そうなんだ……」

 カメラはこの場の雰囲気に気を使うことなく撮影を続けている。どこを見たらいいか分からなくなっていた俺は、刻一刻と増える撮影タイマーを見つめた。

「そのカメラって……あのカメラだよね?」

「……そうだよ」

「それでなにを撮ってたの?」

 カメラの目の前には都合の良いように椅子が二つ並べてある。

 俺は、この危機を抜け出す方法を考えるのに必死で、言葉を発することに脳みそを使っている余裕がなかった。

「蒼馬!」

 千尋が声を張り上げた。その声に湿っぽさも感じた俺は慌てて彼女を見ると、千尋は目に涙を浮かべていた。

この瞬間、俺は初めて自分がしていることの意味を自覚した。そして、これが取り返しのつかないことだということも……。

「それでなにを撮ってたの……」

 女の涙は武器というが、彼女のそれはもはや俺にとっては兵器だった。核だった。そのミサイルが俺の胸に大きな穴を開けた。

「ごめん……」

 謝って済むなら警察はいらないが、謝って済まないなら警察を呼ぶしかない。けれど世の中には謝った上で警察を呼んでもどうにもならないことがある。

「なんで謝んの! 私ただ聞いてるだけじゃん」

 たしかにそうだ。千尋はまだ何も言ってない。けれど自然と謝ってしまう。

「ごめん……」

「なんでよ!」

 千尋はそう叫んで、その場に泣き崩れた。もう涙は目に収まるほどの量ではなく、両手の甲で溢れ出る涙を拭いている。

「なんで! どうしてそういうことするの!」

 千尋は涙声で俺にそう訴えた。俺の口はパクパクするだけで役に立たなくなっていた。

「最低だよ! 人の心をそうやって……、最低だよ」

 何も言い返せない。俺はただ、部室の備品か何かであるかのように椅子に座ったまま、涙を流す彼女を見た。

「私の返事を知ってたらなに? 安心できる? 保険になる?」

 泣き腫らした目で千尋が言った。

「分かんなくて当たり前じゃん。知らなくて当たり前じゃん。そりゃあ怖いけど、怖いからって先に進まなきゃ何にも変わらないじゃん!」

 俺はもう千尋の方を見ていられなくて、カメラの液晶に目を戻す。

「そうやってカメラばっか覗いて、過去について何も知らないくせに、未来ばっか知ろうとしてどうすんの」

 俺はぎゅっと唇を結んだ。

「だいっきらい!」

 ガラスまでも割ってしまいそうな声で千尋は叫び、ドアを勢いよく閉めた。反動で少し開いた隙間から彼女が走り去っていくのが見えた。


 最低だ……。


 ドッと背もたれにより掛かって、天井を見上げた。最低だった。それは、人の気持ちをカメラを使って知ろうとしたことに対してもそうだが、こうなった上で尚、この未来を事前に見ておけば良かったなと思ったことに対してもだ。

 もし見ていたら、回避こそできなくても、ここまで呆然とすることはなかっただろう。だって知っているのだから。

 彼女の最後の一言は、ガラスこそ割らなかったが、俺のガラスの心をこなごなに打ち砕いていった。

 最低だ。

 未来が見えたって、変えられなきゃ意味ないじゃないか。

 俺はそう思いながら、塞ぎ込んだ。

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